フォト
2019年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Face Book

何でも掲示板です↓

“趣味の音楽関連”

無料ブログはココログ

2019年7月17日 (水)

セミが鳴きだした!

今朝は久しぶりに朝から日が射した~ッ!^_^)

ここ二週間以上、連日雨や曇天が続いて正に梅雨真っ最中だった!
鬱陶しい天気が続いていたが、今朝は本当に気持ちの良い朝を迎えた。
そして、、、待ちに待った大好きなセミが遂に鳴きだした!

20190717b

我マンション北側の内庭には樹木が鬱蒼と茂っているので、毎年7月に
入って間もなく、その内庭ではセミが鳴き出していたが、、、、、?

今年は雨模様の天気が続いていたのでセミ達も木の中、土の中で日光が
射すのを待っていたのだろう?
今朝は 「待ってました!」、と云わんばかりに一斉に鳴きだした。
、、、これで、やっと今年の夏が始まるな~!、って感じ。

以下、過去のブログの焼き直し版だけど、、、

Cicada_kumazemi_3このブログを書いている部屋の左側の窓の下では
今、全てのセミがその鳴き声を競うかの様に、
あるいはその短い命を精一杯 生きてるぞ~!
、と云わんばかりに鳴いている。

下記の▶ をクリックするとクマゼミが鳴き出すよ!



今年もまた、何だか‟世間の喧騒、人生の儚さを嘆いているような?”

20190717d

こちらもネットから無断借用したいろんな
← セミの鳴き声 (Click) です。
これを聞くと、どこか遠い昔の事が思い
出されます。

 


セミと云えば、、、
その幼虫として地下生活をする期間は3~17年(アブラゼミは6年)にも
達するらしい。思ってたよりその幼虫期間は他の昆虫類より長寿だ?

長期間の地下幼虫時代を無事に終えていよいよ羽化、しかし、、
成長してからの寿命は長くても一ヶ月間程らしいので大変短くて儚い。
まるで人間の一生にも当てはまる様だな~、、、?

セミの幼虫時代が3~17年なら、人間で云えば生まれて成長する、
ちょうど思春期の頃までの期間とほぼ一致するのかな?
セミが幼虫から成虫になるのと同じく、人間もまた17,8歳以降~
徐々に大人へと成長していく。

自分の子供時代、あの故郷長崎の実家の裏の神社の森でセミ捕り
やってた頃、今思えば貧しくとも楽しかったあの頃を思い出す!涙)
あぁ~あれから60数余年、、、!

その自分の子供達二人も、いつの間にか大人に成長し、今それぞれ
自分の人生を懸命に生きている、、、!
楽しいことも有れば、辛く苦しい事もあるだろう、、、!
否、むしろ辛くて苦しい事の方が多いかも知れない、、、?

しかし、それでも子供たちはきっと頑張って生きていくだろう。
今や抜け殻となった親セミはそんな我が子の様子をなす術もなく、
唯々、黙って見守るしかない。

親から子へ、そしてその子からまた次の子へ、と代々家族の営みが
永遠に繰り返される。まるでセミのように、、、!



◎参考資料
* セミの種類

◎過去の関係ブログ記事
* この暑さはなんだ!

コメントは こちら から、、、

2019年7月 8日 (月)

訃報! ジョアン・ジルベルト

Brasilflag_7_2 ブラジル音楽、ボサノバの生みの親の一人、、、
João Gilberto(ジョアン・ジルベルト)が先6日にリオデジャネイロ
の自宅で亡くなったとか? 御年88歳だったらしい。

「Sinto muito pela sua perda!」

    、、、謹んでお悔やみ申し上げます、、、!
20190707-4

ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)

1950年代後半ごろに作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家
ビニシウス・ジ・モラエスと共にボサノバ音楽を創始し、「ボサノバの父」の
一人に数えられた。代表曲は哀愁を帯びた「Chega de Saudade」、
「Grota de Ipanema(イパネマの娘)」等々。64年発表のアルバム
「Getz/Gilberto」で米グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した。

この「Getz/Gilberto」とは、、、?
ジャズ・テナーサックス奏者のスタン・ゲッツが、チャーリー・バードとの
連名で発表したアルバム『Jazz Samba』(1962年)がボサノヴァを取り入れ、
大ヒットとなった。それに気を良くしたか?^_^)  ゲッツは1963年、その頃
既にボサノヴァ界の大物になっていたブラジルのジョアン・ジルベルト
アントニオ・カルロス・ジョビンをアメリカに招き、この「Getz Gilberto」
の傑作アルバムを世に出した。ゲッツの思惑どおり こちらも大ヒット!
さぞや笑いが止まらなかっただろうな~!^_^)

 
(クリックすると裏面のパーソネル、曲名などに変わります。)

この中で当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルトが「イパネマの娘」
と、「コルコヴァード」の2曲を唄っている。さらりとした歌唱法で、けだるさが
特徴の一見素人ぽい唄い方が魅力で、日本では人気が有ったが、
当時、ブラジル本国では何故かあまり人気はなかった様だ!?


ジョアン・ジルベルト
の作品の中には、他にも以下のような代表作が有る。
(以下もYoutubeでご覧になれます!)

Chega De Saudade (想いあふれて)
Felicidade (フェルシダージ)
Desafinado (デサフィナード)
Corcovado (コルコバード,静かな夜)
Izaura (イザウラ)
Eu Vim Da Bahia (ジョアン・ジルベルトはバイア州生まれだった。)
Bim Bom (ビン・ボン)
Um Abraço no Bonfá (ボンファに捧ぐ)


◎最後に、、、
ボサノバ、と云うブラジル音楽は、日本では昔から好まれていて、
それなりにミュージシャンも演奏したり、歌手も多いが、そもそも
その発祥の地であるブラジルでは、特に現代では殆ど流行ってなくて、
”ボサノバは昔の音楽”との印象が強いし、テレビやラジオでも滅多に
聴かれない。演奏するミュージシャン達も今では少なくなっている。

◎関連情報
*Brasil
(Wikipedia)
*Globo.com (Pop & Arte-Música)
*JazzTokyo
*Estadão
*Joao Gilberto
(Wikipedia)
*Getz/Gilberto
(Wikipedia)
*Bossa Nova(Wikipedia)
*Antônio Carlos Jobim (Wikipedia)
*「イパネマの娘」作曲者の像

◎過去の関連ブログ
*『黒いオルフェ』、『真夏の夜のジャズ』
*マルセロの唄を聴いたら“Saudade Brasil”
*晩夏、思い出の海
*2018年ブラジル・カーニバル
*初の西回りブラジル行きは?

◎その他の関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄の、、、
※“ブラジル関連”シリーズ、の全て。
(サッカーやカーニバルの話が多いですが、、、!)

また、
本文記事左側INDEX欄、 >※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。

コメントは こちら から、、、

2019年7月 1日 (月)

お城にエレベーターは不要!

今日から7月、、、ここんところ連日の雨続き、そこで雨の日は、、、
「ミシェル・ペトルチアーニ」 のピアノでも聴きながら、またもや爺放談を!

G20で議長を務めた安倍首相が28日の夕食会で、、、
『明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失したが、天守閣は今から約90年
 前に16世紀のものが忠実に復元されました。しかし1つだけ大きなミスを
 犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました。』

Osakajyo2

首相のこの発言の中で、、、
大阪城にエレベーターを付けたのは「大きなミスだった!」と発言した事が、
東京五輪を控えて「バリアフリー意識の欠如だ!」と批判しているメディア、
そして、「そうだ! そうだ! 障害者を差別するな!」 と、、、
健常者で自称ヒューマニスト達? の拍手喝采、、、!

その中には、あの有名な『五体不満足』な人も、、、?
「朝から、とっても悲しい気持ちになる。」、とツイート、したとか! 
これを聞いてムカッ!「アンタが云うなッ!」と、独り言!^_^)

こんな報道を読んで、相変わらずこんなくだらない批判をするマスゴミめ!
と思いながら、先の安倍首相の発言は城の復元時の経緯を語ったもので、
何も身障者をないがしろにしたり、バリアフリーの意識の欠如ではなく、
単なる言葉のアヤ、ウイットである事を何故理解できないのか、、、?
それとも、理解はしているが、、?
今、流行りの何でも良いからとにかく安倍批判 なのか?、、、と。 

Osakajyoev

そもそも単純に考えて、歴史的な建造物にエレベーター
を付ける、って、
不自然だろう!  こちらの名古屋城でも
その件で揉めているが、現名古屋市長は断固として
エレベーター設置に反対の立場を表明しているのは
立派と思う。
彼はエレベーターは設置しないが別のバリアフリーの
方法を提案している。

こんな事を書けば、身障者を差別してその気持ちを理解しようとしない人、
と批判される事ぐらい百も承知だが、それでも敢えて書けば、、、?
何も身障者に限らず、足腰が弱くなった高齢者や病弱者も残念ながら
健常者と全く同じ様な行動は出来ない。お城の天守閣の最上階まで階段を
登っては行けないだろう。

身障者の言い分、つまり彼らが健常者と同等の権利を主張するのは
当然で、そのこと自体を批判する気はないし、だからこそ社会にバリア
フリーは必要で大切な事だ、とも思っている。

しかし、だからと云って何でもかんでも全て健常者と同じ、あるいは
それ以上の公共サービスを要求する事には違和感を感じる。
冷たい言い方だが、出来ない事を無理に要求するな! と云いたい。

そして、、、
健常者が障害者に気を使う事は必要であっても、障害者自身がそれを
弱者の特権の様に声高に叫んで欲しくない。
それをやると不自然で且つ我がままと、感じてしまう、、、!
身障者も健常者も、あくまでも対等な人間関係であるべきなのでは?

上記、安倍首相発言を声高に批判している人達、、、
その中でも特に、健常者の方々に聞きたい、、、?
「貴方は電車やバスの中で、老人などに席を譲ってあげますか?
知らんぷりして居座ってませんか? 道端で何か困った様子の人を
見かけた時、どうしましたか?と声を掛けたりした事が有りますか?」
、、、とね!
 

◎最後に、、、
冒頭紹介した「ミシェル・ペトルチアーニ」は私の愛聴盤の中の一枚。
 
『神は彼に何を与え、何を与えなかったのか、、、?』

この人は、先天性疾患による障害を克服し、フランス最高のジャズ・
ピアニストと評価されるほどの成功を収めた。
遺伝的原因から、生まれつき骨形成不全症という障害を背負っていた。
この障害のため彼の身長は成長期になっても1メートルほどしか伸びず、
骨はもろく、またしばしば肺疾患に苦しめられた。

同年代の少年が熱中するようなスポーツに加わることはできず、
ペトルチアーニの関心はもっぱら音楽に向けられるようになった、、、
続きは Wikipedia と、下記、彼のドキュメント映画の案内もご覧あれ!



◎過去の関係ブログ記事

*傷害者施設での惨劇に思う!
*わざわざ「敬老の日」?
*困ってる人に、ごく自然に親切に接する国の話?

コメントは こちら から、、、

2019年6月19日 (水)

今、香港が揺れている!?

今日は久しぶりに時事放談ならぬ爺放談を一発!^_^)

今を去ること22年前、時は1997年7月1日,場所は香港 九龍東,尖沙咀
にも近い棉登徑(Minden Ave.) の一角にある有名な日本のお寿司屋さん、
忘れもしないあの日、香港は雷を伴う大雨だった! そんな中、私は
それまでの中国杭州勤務時代からの親しい友人達と夕食をしていた。

折しもこの日、香港は約150年間続いた英国の植民地から、晴れて中国
に返還された記念すべき日だったが大雨!、、、後日、思ったのは?
「あれは香港の涙雨だった!」、つまり香港は中国に返還されるのを
嫌がって泣いていたのでは?と、我々日本人は密かに噂していたものだ。

時が経つのは早いもので、あれから既に22年、、、
今、その香港が大きく揺れている!
10年間 香港に住んでいた者として少々気にはなっている、、、!

そもそも私が居た2007年3月までの10年間は、大きなデモなどは
無かった。しかし今は主に学生達が中心になって、連日のようにデモを
繰り返し、まるで2014年に起こったあの「雨傘革命」の再来の
ようだけど、、、?
 
今回はそれを遥かに上回ってるようで、報道によると、今2019年の
”容疑者引き渡し条例”改正に反対するデモで、主催者側の発表では、
約200万人が参加していると云われている。香港の人口は約750万人、
だから4人に一人はデモに参加した事になる。それだけでも凄いッ!

この22年間、一国二制度で、ある程度自由が保障されていた香港だが、
もしこの”容疑者引き渡し条約”が成立すると、香港の容疑者を中国で
裁判にかける事になり、香港の自主性やその自由度が失われる、と
云うのが、デモ主催者側の主張だ。

去る16日はビクトリア公園から政府本部庁舎のある中心部を目指した
デモに途中から一般市民が続々と合流し、私も良く散策していた、
あの界隈は大勢の人で埋め尽くされた。
Hkdemo2
(見覚えがある、懐かしいあの街角、、、ネットより無断借用!)

デモ゙学生や市民らの要求は、”容疑者引き渡し条約”の廃案!
そして先日、遂に行政府トップの女性長官は同法案の審議を延期する、と
発表した、、、しかしデモ側は延期ではなく、完全撤廃を求めている。

********************************************************

思えば、、、
私が初めて香港で勤務し始めたのは、香港の中国返還の年の3ヶ月前、
1997年4月7日からだったので、これは全くの偶然、、、! 
今、思えば貴重な体験をした、と思う、、、。
その後、2007年3月に帰国するまでの10年間、私は香港企業に勤務し、
香港人との付き合い等を通じながら、常日頃から感じていた事は、?

◎今、思い出す当時の私が感じていたのは、、、?
香港人は戦時中の僅か3年強の日本統治時代には反感を持っているが
アヘン戦争終結後の1843年来、150年以上も香港を植民地支配していた
イギリスの事をあまり悪く云うのを聞いた事がない、、、?
つまりイギリス人の事をあまり嫌っていない様だ? と、感じていた。

一口に香港人、と云っても昔からこの広東省一帯に住んでいた中国人、
いわゆる広東人と、1949年からの共産中国を嫌って大陸から広東省の
一端である香港に流れ着き、移住してきた中国人とその子孫、それらと、
広東人との混血が続いて、、、現在の主な香港人を形成している。

◎最近、香港に居る旧友とのメール交換で知り得た感触でも、、、
香港人の意識の差について、世界的な共通事項である世代間の意識格差
の他に、香港では香港特有の歴史を踏まえた意識の差が有って、これは
如何ともし難い!

つまり今の学生など比較的若い世代は、そもそもイギリス統治時代の
初期の香港の事は体験してないから分からないが、1945年以降の戦後の
イギリスの植民地政策の変化で、同じ植民地であっても自由で民主的な
社会だけを知ってそれを謳歌、当然の事としてきた世代がその中心だ。

つまり、今の香港のお爺さんお婆さんと若者では、香港が如何に変化して
きたか? その経験したルーツが違うから自ずから対中国観も異なる。
例えば、イギリス植民地時代には香港人の参政権など、選挙権は殆ど
無きに等しかったが、1997年の返還以降、例え中国の影響が強い選挙で
あっても曲がりなりにも普通選挙で行政府の議員などを決められる様に
なったから古い香港人や高齢の人からすれば、それだけでも良くなった!
と、感じている人も多いとか、、、? 
(しかし、現在の香港人に与えられている参政権では、親中国派の指名
 委員会が事前に選んだ候補者しか立候補できない。)

そんな老人たちから見れば、今のデモ騒ぎを快く思ってない人たちが
居るのも事実だろう。また先の「雨傘革命」の時にも云われていたが、
老人達だけでなく、市の中心部で商売をしている人達はデモ騒ぎで商売に
ならず、他にもデモのせいで交通が麻痺したり、普段の生活に何かと
支障、混乱をきたすので、これまたデモには大反対していた!
ただ、若い人たちは中国政府が影響力を駆使できない、本当に民主的な
選挙制度を求めていて、これに賛同する大人たちが居る事も事実。

また、若人が主張する西側の民主主義理念に理解を示していた一部の
年配の人達も、現実を見ればそれに敢えて逆らう様な事には賛同できず、
逆に、若者達に現実をよく見て考えろ!、と忠告するなどして、、、
中国政府の言い分をまるで代弁するかの様な、、、?
つまり現状を受け入れるしかない、と、半分諦めているかの様な、、?

◎これらは私が思うに、、、
まるで中国本土、特に上海や北京など都市部の中産階級の人達が云う
『欲を云えばキリが無い。ごく普通に静かに生活が出来るのならば、
 敢えて政府に反発するような事はしない方が良い。』

と、こんな考え方と大差はない。日本流に云えば長い物には巻かれろ
そして、寄らば大樹の陰? と日和見的になっても仕方がないだろう。

つまり香港でも中国本土でも、現実に甘んじている人達が多数なのか?
だから、現在の香港ではその世論が二つに分断されている様な感じだ!

◎ここで話は少し外れるが、若い30~40歳代の香港人気質で云えば、、
私が香港で勤務していた頃、自社の香港人社員と雑談した時、、、
『私のような日本人(外国人)から見たら、貴方たち香港の人は中華民族、
 つまり中国人だろう!?』と、云った時の彼らの反応は、、、?
『自分は香港人であって中国人ではない!』、と!

そして、『出張で中国にも行くが本音は行きたくない、何故ならば、、?
中国の街は不衛生だし、彼らはマナーも悪い。自分たち香港人とは育った
環境が全然違うので、本心では馴染む事が出来ない。』、、、と!
これを聞いて私は愕然、とした事を今でもハッキリ憶えている。
私の様な日本人が中国の悪口 を云うのと違って、同じ中華民族の香港人
が、そこまで云うのか? と驚いた次第!

まぁ~私流に云わせて貰うと、、、
彼ら香港人は自身のアイデンティティーを求めて彷徨している感じなのだ。
また、近年の中国本土から香港へ流入する中国本土人に対する香港人の
憎しみや軽蔑も強くて「中国本土に帰れ!」と叫んでいた事にも驚いた!
ある意味、香港人は良く云えば国際人、悪く云えば国籍不明人? と思う。


◎話を戻して、、、
1997年7月1日からの香港の「一国二制度」は、つまり、、、、
「香港は中国に返還後の50年間は政治体制を変更しない」、要するに、
1997年7月1日から向う50年間(今から2047年までの 残り28年間)
中華人民共和国 香港特別行政区 として、それより以前の返還前と
基本的には同じ行政が布かれる、とされている、、、が?

即ち、一般香港人、それに日本人など外国人の市民生活上なんら変化は
ない、とされていた!、、、が、この一見聞こえは良いが、、、?
現実的には、私が体験した最初の10年間だけでも、たしかに普段の生活
する上で不便さは感じなかったが、何かと小さな事で中国の影響を感じる
事もまま有った。最もそれより以前の1996年までの生活経験はないので
厳密に比べる術はなかったが、、、!
だから1997年の返還当時から、毎年少しずつ香港社会が中国化していく
のは必然かも? と思う。残念ながら!


◎最後に、、、
私個人としては今回のデモに理解と賛同は充分できる。しかし、、、
残念ながら「一国二制度」は早かれ遅かれ、上記したように徐々に形骸化
亡失していくのは避けられないだろう! 何故ならば? 今回のデモの
切っ掛けとなった法案が例え廃案になっても、また別の形、別の分野でも
何かと北京政府の影響が強まっていくのは上記した様に必然と思うから!

それは、今から残り28年間と云う、文字どおり時間の問題だろう!?
これは、現在の「中華人民共和国共産党による一党独裁政治が、
その28年先の将来まで続く限りは!?」
、と云う事。残念ながら!

だから、、、 

今回の香港デモのニュースに接して、香港の特に若者達に云いたい!
『何処かの国では、その政府や首相に対して、自国民が大声で罵詈雑言
 を吐いたり、貶したり、メディアは公然と批判報道や記事を書いても、
 警察は飛んで来ないし官憲に逮捕もされない、そんな何処か夢の様な
 国と香港は根本的に違うんだ! 

だから、、、
下手すると逮捕され、いつの間にか行方不明にされ、、、?
一生を棒に振る悲惨な運命が待っているかもしれないのだ、、、!?
私が知っている数少ない香港の友人達が、将来そんな事にならない様
それを心から願うのみ! 

だから、、、
残り28年間の出来るだけ早いうちに、別の方法? 別の生き方を考える
方が良いのかも知れない?、特に若い人達は、、、!
例えば、旧宗主国 で生きる、とか?、、もし可能ならば?
以上。


◎関係参考資料
*香港
(Wikipedia)
*アヘン戦争(Wikipedia)
*香港返還(Wikipedia)
*一国二制度(Wikipedia)
*FNN Prime
*BBC News Japan
*2014年香港反政府デモ(Wikipedia)


◎過去の関係HPとブログ記事
*
『光頭老の手紙 From:Hong Kong 
*誰も書かなかったチュウ国
*香港はあと30年で、、、
*懐かしの映画(27)『慕情』
*香港の山の魅力
*香港返還15年

コメントは こちら から、、、

2019年6月12日 (水)

四国~宮島~岩国,広島の旅 (後半)

令和になって初めての旅、、、
去る5月27日(月)から5月31日(金)まで 四国~宮島~岩国,広島の旅へ。

前回の 前半 に引き続き、ここからはいよいよ後半 、、、!
5月30日(木)朝、この日からは我々夫婦だけで松山からフェリーで広島経由
宮島へ、翌31日宮島からフェリーで宮島口へ渡り、JR山陽本線で岩国の
錦帯橋~広島の
平和記念公園と周って来た。コース概略は下図のとおり。
Photo_6
詳細は Google Map をご覧ください。

後半
宮島 厳島神社へ 

5月30日朝、前29日に泊まったJR松山駅近くのビジネスホテルからタクシー
で約20分で松山観光港へ着いた。「松山・宮島クルーズパス」と云う、
広島港を経由して別の船で宮島へ渡るルートの乗船手続きなど済ませ、
ちょど午前9時に松山港出港、、、 天候も良くて快適な海の旅、、、
、右手遠くのあの橋は? 後日 地図 で再確認したら、一昨日渡った
しまなみ海道の大島大橋のようだ?
Img_0183 Img_0185 Img_0186 Img_0190

間もなく沢山の島影から右手に陸地が近づく、どうやら呉市のようだ。
そして9時45分、彼の有名な平清盛が開いたと云われる有名な、
音戸の瀬戸 へ! あの赤い鉄橋が音戸大橋だ! 
ここは呉市と左側の倉橋島の間に存在する幅が100m以下の狭い海峡、、
急に船足が遅くなり徐行運転の操船にはいる!
そして、音戸大橋をゆっくり通過した直後の右手の様子、、、!
Img_0189 Img_0192 Img_0193 Img_0194

やがて右手に連なる赤茶けた工場群は? 日新製鋼、さらに進んで、
海上自衛隊の呉総監部らしい。自衛艦も見える! 一方左手に
見えるのは、、、? 昔、海軍の拠点が有った江田島だ~!
そして、あの岬の灯台を抜けると、、、広島港宇品ターミナル。
Img_0197 Img_0200 Img_0201 Img_0205

10時10分ごろ着きました広島港。ここで直ぐに別の船に乗り換えて
いよいよ目的地の宮島へ、、風も心地よく乗り心地はGood!
Img_0208 Img_0209 Img_0214 Img_0216

外人さんも写真を撮りまくり! 遠くの山並みは宮島と対面する宮島口と
広島県廿日市一帯。やがて宮島が近づいて、例の赤い鳥居が見えてきた。
Img_0215 Img_0218 Img_0219 Img_0220_1

11時少し前、宮島到着。桟橋ターミナルの外は大勢の修学旅行生が、、
予約していたホテルの車に乗り込んで、、、
Img_0222 Img_0225 Img_0228 Img_0226

11時半頃ホテル到着。チェックインの後、早速街並みを散策、、、
港から近くだが、古く込み入った路地の中、観光客目当ての小店が軒並み
並んでいる。なかなか情緒ある路地が続いて、、、
Img_0229 Img_0230 Img_0231 Img_0232

海岸の方に向かって進むと、、、
ここで初めて名物の鹿さんが!でも少ない?もっと多数の鹿がいる
はずだけどな~?  おッ、左手遠方にあの赤い鳥居だ~!
そして、右手の丘の上には五重塔も、その横の建物と下の段の様子、、、
Img_0233 Img_0235 Img_0237 Img_0238

そのまま進んだら直ぐに着いた厳島神社の本殿!入館料¥300を払って、
その右側の側面から見た本殿の様子、大勢の観光客と連なって本殿を
進む、、、       、、、フト左手の水溜まりは?「鏡の池」
Img_0239 Img_0241 Img_0243 Img_0244

さらに前進、、、左手は一部補修中、その先にあの大鳥居と、神殿も、、、
長くてくねくねと廻り込むような回廊が続く、、オッ、あの五重塔だ!
Img_0245 Img_0246 Img_0250 Img_0247_1

回廊伝いの各神殿や社は国宝・世界遺産「厳島神社」や、Wikipediaでも
詳しく載っているのでそちらをご覧あれ。無知な私は回廊伝いに見て回り、
その壮大な威厳にただただ圧倒されっぱなし! 1000年以上もの大昔、
平安時代に平清盛が現在とほぼ同じ規模の社殿を創ったとか? 
平家全盛時代のロマンをかき立てる話だな~! と心密かに思いながら
一旦、回廊を出て周辺の浜辺を歩いて大鳥居へ!
                      、、、ちょうど正午過ぎの引き潮時。

Img_0248 Img_0249 Img_0247 Img_0272

赤い大鳥居、近くで見上げたらやっぱりデカいな~!
ちょっと大鳥居から離れて記念のツーショット。その右手先には反り橋
天神社と呼ばれる社らしい建物も、、、
Img_0268_1 Img_0253 Img_0257 Img_0256

ここらで境内の方に戻ろう! この厳島神社の全景を撮りたいけど、、?
やっぱり何処か高台からでなくては無理な様だった。海側から神社へ、、
Img_0275 Img_0276 Img_0274 Img_0279 

海側から神社に向かって左側から通路に出ると、こんな掲示板も
鹿と戯れる外人オッサン! それにしてもホント鹿が少ない、、、?
鹿は何処へ消えた? そして先ほど見た五重塔への階段を昇る、、、
Img_0280 Img_0291 Img_0277 Img_0282 

五重塔の説明板! その隣の大きな建物は千畳閣とやら!
Img_0283 Img_0287 Img_0285 Img_0286    

受付の係の人の説明によると、この千畳閣にある宝物は昔は厳島神社
本殿に収められていたとか? 詳細は 五重塔,千畳閣をお読み下さい。
この高台から見下ろした厳島神社の一角と、遠く山の中腹に見えた
大聖院。一旦このエリアから街中の路地に戻って、次に目指したのが
                             、、、その大聖院
Img_0288_1 Img_0289 Img_0290 Img_0296

路地を進んで、左手の武家屋敷風な建物は厳島神社の神職の屋敷跡で
国の重要文化財とか! その坂道の最後が大聖院本殿への入口。
Img_0297 Img_0301 Img_0302 Img_0303

大聖院の説明板。さらに詳しくは大聖院 をご覧下さい、、、。
滞在ホテルのスタッフが云うには、宮島には厳島神社に関係する多くの
神社や寺が散在するが、この大聖院は特に筆頭クラス! と云うので
来てみたが、さすがに宮島の神社で一番歴史が古く、広大な敷地で
                  、、、大規模な神社のようだ。
Img_0306 Img_0308 Img_0310 Img_0314 

階段を昇った上には「彌山本坊大聖院」の大表札!
本殿の中に入ってみたら沢山の不動明王、、、一旦外に出たら、、、
面白いお地蔵さんの愚痴聞き地蔵?連れ合いが何やら私のグチを!^_^)
Img_0315 Img_0316_1 Img_0318 Img_0319

次の社、大聖院の奥の摩尼殿に登る階段の魔尼車を眺めながら、、、
本当は廻しながら階段を昇るらしいけど、、、!^_^)
昇り切ったら小さな社、、、 そこから見えた海と宮島対岸の廿日市市。
Img_0320 Img_0321 Img_0324 Img_0325

お次は遍照窟?へ入ってみようと、、、これは凄い! OO如来やXX菩薩が
何と、八十八体も安置されている。四国八十八ヶ所霊場を廻らなくても
ここを廻ればそれで良し、とされてる云わば楽にご利益にあやかりたい者
には便利な場所!^_^) その近くの勅願堂の裏には涅槃像や仏像も沢山。
Img_0329 Img_0330 Img_0332 Img_0334

こちらは”第二番霊場”と、"弥山"の守り神、魔尼殿の三鬼大権現、、、
素晴らしい木造建築だ! 、 、、そして この辺り一番高い場所か?
素晴らしい遠望! ここからの下りは昇って来た階段ではなく右手に有った
霊宝館 と云う館の横道に入り、そこの階段を下ってみる事に、、、?
Img_0336 Img_0335 Img_0338 Img_0339

そこは細い階段がずっと下まで続いている様で、その説明板にある様に、
500体もの小地蔵が階段に沿って並んだ五百羅漢 と云うらしい。
小地蔵さんにカラフルな毛糸の帽子を被せているのが面白い!
これで大聖院の見学が終わった。これより宿へ戻ろう、、、!
Img_0342 Img_0340_1 Img_0341_1 Img_0313

宿に着いて一休み。時刻は夕方4時前、今日はよく歩いたな! フ~ッ!
宿の部屋からあの赤い大鳥居が見える。(ちょっと高くついたが、
そんな部屋を予約していたのだ!^_^) 夜7時過ぎの夕食を済ませ、
夜の厳島神社へ出かけた!

写真もまぁまぁ撮れた! もちろんライトアップされてたが、ポンコツの
コンデジにしては夜の大鳥居もまぁまぁ! 夜間撮影は難しい!汗)
何枚も失敗作が有ったが、、、! ただ時折、観光船がこの鳥居を
潜っていたのにはビックリ!  満潮時だけのサービスだろうか?
撮影は観光船が鳥居の下を潜るタイミングを外して撮るのが大変だった。
夜が早い宮島の町、ほぼ暗闇の中を宿に戻った。長~い一日だった!
Img_0345 Img_0354 Img_0350_1 Img_0352

翌31日朝、本当は宮島唯一の山、ロープウェイで”弥山”に登って
見たかったが、ロープウェイの運行予定と若干の山歩きを含めて
往復2.5~3時間ほど掛かるし、ロープウェイを待つ登山客も多いし、
それより、この日はまた天候が崩れて雨模様になるとの予報を聞いて
結局登山を諦めた、、、!涙)
、、この後の予定も考えると時間的な余裕がなかったし、、、?

そこで、ホテルをチェックアウト、車で波止場まで送ってもらう。
朝8時半前、今日もまた沢山の観光客、特に修学旅行の生徒たちだ。
桟橋には既に対岸の宮島口へ渡るフェリーが待機していた。
Img_0365 Img_0366 Img_0367 Img_0369

さらば宮島よ! また来る日まで?  否もう来れないだろうな~?^_^)
わずか15分程で対岸の宮島口に到着、、、
そこから歩いて直ぐのJR山陽本線 宮島口駅へ!
Img_0372_1 Img_0373 Img_0376


これより岩国 錦帯橋

宮島口駅から15分程で岩国へ、さらに岩国駅前から今度はバスで
やっぱり15分? 午前10時過ぎに着いた所は錦帯橋 だった!
私は大昔に一度来た事があったが連れ合いは今回が初めて!
圧巻の木造アーチ橋!、説明板を読むと過去何回も水害で流されていた。
Img_0377 Img_0379 Img_0378 Img_0383

鵜飼と云えば岐阜県の長良川と思ってたけど? ここ錦帯橋でもやるんだ
な~! こちら下にも説明版! そしてこの橋が架かる錦川 の向かい側は
紅葉季節にはあの山一面が綺麗に色付くんだろうな?オッ,山頂にお城
そして、昔の人は偉かった! よくもまぁ~こんな複雑な構造の橋を考えた
ものだな~、と改めて感心! 本当に日本人は、特に昔の人は凄いッ!
Img_0380 Img_0384 Img_0386 Img_0385

まさに清流って感じの錦川。キャンプも出来るらしい! ここでツーショット。
Img_0389 Img_0390 Img_0392 Img_0388

この複雑構造のアーチ橋、歩行時の要注意は下る時だ。下手すると
ズッコケる! ちょうど小学生が転んで捻挫したらしく?、、、引率の
先生から注意されていた。「渡る前に注意せろよ、先生!」と独り言。 
Img_0394

ところで錦帯橋見物は橋を往復して終わり、と思ってたら橋を渡った
向こう側に広い公園が有った。最初、橋の袂の小屋で入場料¥300/人
払った。橋を往復するだけにしては高いな~? と思ったので、、、
「高齢者割引はないの?」、とセコイ事を聞いたけど、そんな自分が
恥ずかしかった!^_^) この広~い公園の見学料も含まれていたのだ!

そこは吉香公園と云う歴史的に由緒ある公園らしい? 公園の入り口に
この付近の観光名所案内と、長州屋と云う名のレストラン、、、!
そうだ、ここは山口県だった!
公園は旧岩国藩主吉川家の居館跡とか? この中をブラブラ散策、、、
しかし何だが怪しい雲行き? やっぱり予報どおり小雨模様だ、、、!
Img_0399 Img_0398 Img_0406 Img_0405

とにかく広~い公園だ。面白そうな案内板につられて、、、
入ってみようシロヘビ館! その手前の小屋では鵜がギャ~ともがき中?
シロヘビはたった二、三匹、しかし白い蛇は全国でも珍しいか、、?
と、思ってたら、、、?
Img_0409 Img_0411 Img_0413 Img_0415

公園の中には時代を彷彿とさせる建物や、先ほど錦川の対岸から見えた
山の上の城へ上がるロープウェイ乗り場、そして美しい堀などなど、、、
Img_0401 Img_0421 Img_0385_1 Img_0423 

あれは何かな?近づいてみたら斯く斯く云々。お堀と白壁がよくマッチ!
Img_0422 Img_0425 Img_0426 Img_0429

小雨模様なので何だか落ち着かない連れ合い! さぁ帰りましょう、と、
元来た橋の出口に戻って、、、”槍倒し松”とやらを横目に再び錦帯橋を
渡って、、、最初に降りたバス停まで戻り、そこから岩国駅まで戻り
着いたのが、、、ちょうど正午頃だった。
Img_0432 Img_0434 Img_0435


岩国駅からJR山陽本線を逆戻り、先刻乗った宮島口駅を通り過ぎ、
13時15分頃に着いた所は広島駅。腹へった! 先ずは昼メシだ! と
駅構内の商店街で広島名物お好み焼き を初めて食べてみたら、?
何とッ、麺が入っているではないか! ウドンかソバを選べるが、
いずれにしてもダメだ!あまりにも"ごってり感"が強すぎて
若い人には良いかもだが?、我々の口には合わなかった、、?
   、、、やっぱりお好み焼きは関西に限る!
Img_0436 Img_0437x

これより広島 平和記念公園
遅い昼食後、駅から近い所から路面電車に乗って平和記念公園まで!
路面電車はなかなか立派! 運転手の他に珍しく車掌まで乗っていた。
それはともかく、今回の旅の最後の目的地がここ広島平和記念公園
我々夫婦は長崎出身、長崎の平和公園は当然知ってるが、ここ広島は
初めて訪れた場所だった。
Img_0439 Img_0440 Img_0441_1 Img_0448

ここは長崎の平和公園より広い! 原爆爆心地付近の地形が平たん地
だったからか? それに比べて長崎の爆心地は比較的起伏にとんだ地形
だったから。それで思い出したのは、、、?

広島と長崎の原爆被災者の数だが、原爆が落とされた当時1945年の
広島の人口は35万人で直接被爆死者数14万人。長崎の人口24万人で
同じく死者数7万人。この差の主な要因は広島市は比較的に平野だが、
長崎は市の中心部は周囲を山で囲まれていたから、と云われている。
【注】直接被爆者数とは?、、、

以下、余談だけど、、、
ここ広島の平和記念公園は今回初めて訪問した。しかしこれまで
報道で何回も見ていたここの風景なので、初めて来て今歩いてみて
特に違和感はない。あのオバマも来たのだから、日本人でしかも
被爆二番手である長崎人の我々が遅ればせながらも来るのは当然!

しかし、長崎の原爆被災はここ広島と比べて今一つ知名度が低い!
だから、いつぞや国会で喚いていたあの女に云いたい、、、!
『二番ではダメなんですよ、何でも一番でなくっちゃね!』、と!^_^)
いずれにしても、、、
広島が歴史上最初の原爆被災地
なら、長崎は最後の被災地、、、!
しかし、今日は黙って静かに二人で黙祷のツーショット!
Img_0445 Img_0446 Img_0453 Img_0454

下記の細長い建物もお馴染み原爆資料館。そしてあの有名な慰霊碑、、、
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」、、、この言葉が
以前チョット話題になったことも有り、私自身も当時 "過ち”と云う
言葉に何となく違和感を感じていたが?その実物を見たのは今回初めて!
Img_0456 Img_0459 Img_0458 Img_0461

最後に、、、あの原爆ドームにお別れの最後の黙祷!
ふたたび路面電車で広島駅に戻り着いたのは午後3時頃半だった。
Img_0462 Img_0438

以上で全ての旅行日程が終わった。広島から新幹線で名古屋まで、、、
そして我が家に帰り着いたのは午後7時頃だった。

最後に、、、
今回5月27日~31の4泊5日で「四国~宮島~岩国,広島の旅」を終え、
その前半は友人とそのご家族一緒に四国各地と瀬戸内海の島を楽しみ、
そして後半は我々夫婦二人で、安芸の宮島,厳島神社、そして岩国
錦帯橋
広島,平和記念公園、とそれぞれ印象深い良い旅行が出来た。
これが最後の旅行になった!、、、とは思いたくはないけど、、?^_^)

この後半は上に載せた写真と、それ以外の写真は下記をご覧下さい。
 (注:Google Account が必要です!)
*写真集≪宮島,錦帯橋,広島,2019.5.30~31≫

また前半のブログは下記をご覧下さい。
*四国~宮島~岩国,広島の旅 (前半)

コメントは こちら から、、、

2019年6月 6日 (木)

四国~宮島~岩国,広島の旅 (前半)

令和になって初めての旅、、、
去る5月27日(月)から5月31日(金)まで 四国~宮島~岩国,広島の旅へ。

先ずは前半、、、
最初の27日夜から友人家族と共に大阪からフェリーで四国愛媛県へ。
翌28日早朝東予港へ到着後、友人運転の車で今治経由でしまなみ海道-
大久野島へ、今治へ戻り松山まで。そこで一泊。翌29日は松山から~
四国西部海岸線の予讃線沿いに下灘駅~八幡浜~松山とドライブ。

そして後半、、、
30日朝からは我々夫婦二人で松山からフェリーで広島経由で宮島へ、
翌31日宮島からフェリーで宮島口へ渡り、JR山陽本線で 岩国の錦帯橋~
広島の
平和記念公園、、、と周って来た。そのコース概略は下図のとおり。
Photo_6 
詳細は Google Map をご覧ください。

前半
初日5月27日(月)午後自宅を出発、名古屋から近鉄で大阪なんば駅まで、
そこで友人家族と合流。先ずは皆で夕食を済ませタクシーで大阪南港へ。
南港からは22時発のフェリーで四国は愛媛県の東予港までの船旅、、!

東予港には翌28日(火)早朝6時に到着、約8時間の船旅だった。
考えてみたら国内で長時間の船旅は初めて、、、
大型カーフェリーの内部の様子をご覧ください、、、!

Img_0016_3 Img_0008_1 Img_0009_1 Img_0007_1
友人が予約してくれてた船内は広々としていて快適、部屋も十分過ぎる!
客室二階、三階への豪華な"らせん階段"は、あの映画「タイタニック」
思い出させたな~!^_^)

出発時の午後10時、デッキに出たら巨大な煙突と夜景の大阪南港、、、
橋の写真は友人が29日の帰路の明け方(30日)に撮影した明石海峡大橋。
 Img_0013_3 Img_0012_1 Akashikaikyoohashi Img_0017
27日夜中の瀬戸内海航行だから明石海峡も瀬戸大橋も全く闇の中?
もちろん、私は快適ベッドで爆睡中! 文字どおり白河夜船状態、!^_^)
そして翌28日朝6時ほぼ定刻どおり四国は愛媛県、小雨の東予港に到着。
フェリー最下段の車両ガレージから、友人の車に乗り込む、、、!

昨夜の大阪出発時、このカーフェリーの全景が見れなかったので、
今朝ここ東予港ふ頭でその全景をカメラに収める事ができた。デカッ!
これより、今治市方面へ北上する小雨の中のドライブ、、、
Img_0021_1 Img_0022 Img_0023_4 Img_0026
午前7時半頃に来島海峡を渡る"しまなみ海道"の入り口ドライブインに
到着。しかし残念ながら未だ早すぎて店内食べ物店は全て閉まっていた。

そもそも瀬戸内海は初めてだ! 調べてみると本州四国連絡橋3ルート
(1)徒歩で渡る-来島海峡大橋-、(2)鉄道で渡る-南備讃瀬戸大橋
(3バスで渡る-明石海峡大橋- 、今回はこれの(1)来島海峡大橋の通称
"しまなみ海道"を車で行く。だから、、、?

本当はこんな↓景色を期待してたけど、、、!(ネットから借用)
650x_38821126  

実際のこの日はこんな↓景色で残念至極! ガックリ! 
Img_0026_1 Img_0028_1 Img_0032_2 Img_0035
渡る島々は「大島~伯方島~大三島~生口島~因島~向島~本州
尾道市」となるが、このコースを前もって予習したら本当は素晴らしい
絶景らしいけど、今日は厚い雲が垂れ下がる小雨模様の天候で折角の
景色もパー!涙)大三島まで来た8時半頃、生口島へと渡る多々羅大橋
のたもとに有ったキャンプ場近くのコンビニで軽い朝食を済ませる。

そして、大三島からしまなみ海道のルートを外れ、ちょうど9時頃に盛港
からウサギの島として知られる大久野島へ渡る、、、
Img_0039 Img_0037 Img_0041 Img_0045 

出発してわずか15分ほど、9時20分頃には大久野島に着いた。
大久野島桟橋の前には送迎バスが待っていた。バスに10分ほど揺られ、、
着いた所が"休暇村大久野島"と云うリゾートホテルに到着、、、!
                         ~早速ウサギたちがお出迎え!
 Img_0046 Img_0047 Img_0062 Img_0058_1
完全に人慣れしているウサギ達。何でも700匹以上も生息しているとか!?
Img_0061_1 Img_0064 Img_0065_2 Img_0071
リゾートホテル近くでウサギ達と戯れた後、今度は徒歩で元の船着き場の
方まで、途中にもウサギがそこかしこに! 途中に有った大久野島全体図、
そして旧軍が研究していたらしい毒ガス研究の資料館、中は撮影禁止。
昔読んだ本で、満州の731部隊の事を思い出した、、、!

その詳細は 大久野島毒ガス資料館 毒ガスとウサギをご覧ください。
「毒ガス」戦争の暗いイメージを打ち消すために敢えて平和の象徴の様な

「ウサギ」を人工的に増やしたのかな? と思ってたらそうではないらしい?

次に立ち寄った場所はビジターセンター。さらに小雨の海岸沿いを行く!
Img_0078 Img_0074 Img_0079_2 Img_0080_2

とにかく今28日は一日中小雨模様、間もなくフェリー乗り場に到着、ここにも
ウサギ達がいた。そして正午頃にウサギ達にお別れして大久野島を後に、
12時半頃には出発した盛港に帰り着いた。ウサギの島散策を終えた後、
Img_0082 Img_0085_1 Img_0086 Img_0088_1


相変わらず小雨の中を車は元来たしまなみ海道をUターン!
午後1時半頃に最初の来島海峡入り口のドライブインに到着して昼食。
その後、車はJR予讃線沿いの海岸線を一路南下、伊予亀岡を抜け、
午後3時半頃途中の道の駅ふわりで小休止、、、その後、、、
さらにドライブは続いて、夕方4時半に松山市内、道後のホテルに到着。
Img_0090 Img_0022_1 Img_0092 Img_0105

ここで一泊して翌日5月29日には天候が回復、ホテルの部屋から遠望した
松山市内の遠望と松山城のズームアップ! 
ホテルを午前9時半チェックアウト後すぐ近くだった有名な道後温泉本館
の前を通過、、、松山の路面電車を撮りたかったが失敗して愛媛県庁に? 
Img_0098 Img_0109 Img_0113 Img_0114_1

車は松山市内を抜けて、今日は四国西部海岸線のJR予讃線沿いに南下、
昨28日とはうって変わって好天の快適ドライブ。
伊予市を通り抜けて、次に目指したのは下灘駅だった、、、
Img_0118 Img_0117 Img_0122 Img_0120
10時半過ぎに着いたこの小さな無人駅は夕日の伊予灘を眺める絶景
ポイントとか! 今回旅行に誘ってくれた写真家の友人が好きそうな鉄道
写真撮影の名所らしい、、、。
今日も何を思ってか、、、? 数名の若人がベンチに座って、、、!

そして無人駅舎の中を覗いたら? な~るほど綺麗な夕日の写真だった!
我々ロートルもロマンチックな場所に来たのだから、と久々のツーショット!

Img_0132 Img_0133 Img_0135 Img_0129

車窓右手に広い伊予灘を眺めながら、車はさらに南下、、、そして、
ちょうど正午頃着いた所は八幡浜市、、、
森進一の 港町ブルースを思い出した!
地図を見て貰えば判るがここ四国の八幡浜から西側の九州大分は近い。
だから八幡浜から大分県別府や臼杵市までフェリーも出ている様だ。
Img_0136_1 Img_0137 Img_0140 Img_0138

八幡浜は港町、そこで海鮮丼の昼食後、Uターンして元来た海岸線路を
今度は北上、、、先ほどの下灘駅を通過後午後2時頃、
”ふたみシーサイド公園”に到着。ここでも綺麗な伊予灘を眺めながら
小休止、その後さらに北上を続け左手に松山市を遠望しながら快適
ドライブを続けて、、、、、
Img_0145 Img_0142 Img_0150 Img_0152

3時前には松山市内に到達。市のほぼ中心部にある伊丹十三記念館
立ち寄った。そもそも映画監督として有名だった”伊丹十三”の名前と
二,三の有名作品ぐらいは知ってたが、彼の妻で”マルサの女”の主役
を務めた宮本信子が、この記念館館長だった事は初めて知った! 
Img_0160
記念館の中は撮影禁止! ただ伊丹十三とその実父万作が稀で鬼才な
文化人だった事を伺わせる、如何にも希少価値が有りそうな陳列品に
溢れていた、、、

そう云えばここ松山と云えば司馬遼太郎の歴史小説でドラマにもなった
”坂の上の雲”での日露戦争の英雄、秋山兄弟と俳人正岡子などなど
超有名人、文化人を多数輩出している土地柄だ!
 Img_0180 Img_0176 Img_0169
その後、車は市内を走って中心繁華街の伊予鉄高島屋デパートへ、、、
そこで、みんなで何十年振りかで観覧車に乗ってみる。
あの松山城に行けなかった分をこの観覧車でほぼ同等の高さから、、
しかも比較的間近に望む事が出来た。

高~い観覧車の窓から見下ろす松山市内の一大パノラマ、、、!
Img_0164 Img_0167 Img_0165 Img_0175 

そして最後、このデパート内のレストランで皆で最後の晩餐食事会の後、
夕方6時過ぎ、我々夫婦二人をJR松山駅近くのホテルまで送って頂き、
そこで友人御家族と別れた、、「3日間ありがとうございました~!」

以上で今回の旅行の前半、5月27日夜の大阪南港~翌28日朝東予港~
今治経由でしまなみ海道大久野島~松山へ、松山で一泊後翌29日は
松山から~四国西部海岸線の予讃線沿いに下灘駅~八幡浜へ、、、
そして松山市内へ戻った前半でした。

上記に載せた写真と、それ以外の多数の写真は下記をご覧ください。
 (注:Google Account が必要です!)
*写真集≪四国しまなみ海道,大久野島,松山,下灘駅2019.5.27~29≫ 

引き続き5月30日からの宮島~錦帯橋~広島の旅(後半) へと続きます。
 
コメントは こちら から、、、

2019年5月18日 (土)

時短運動会とは?

我がマンション南側のベランダから下を眺めると、、、?
安城市立今池小学校の広い運動場と校舎が見える、、、、、

そこでは、、、
毎朝、近所の子供たちが数人のグループで通学しているところを眺めたり、
運動場で元気に体操の授業を受けている子供達の声を聴いたり、、、、
真剣に授業を受けている様子を垣間見て、いつも微笑ましく思っている。

元来、私は子供があまり好きではない、我ながらイヤな性格だが、、、
近年は子供たちを見ているのがなかなか楽しい、、、!?
それは孫が近くに居ないから? それとも己の歳のせいかな~?^_^)

今日の土曜日は今年 令和の年なって初めての運動会、、、!
毎年、運動会の前日金曜夕方から、子供の父兄らが翌日の運動会の為、
場所取りシートをグラウンドの随所に敷き詰めてる様子を眺めていたが、
今年は昨日金曜日の夜になっても、誰一人として場所取りに来ていない?

何故だ?、と不思議に思って、、、?
運動会当日の今朝、通学途中の子供たちにその事を聞いてみたら、、?
なんと、、、
「今年から運動会は午前中だけ! だからお父さんやお母さんはお昼の
弁当を
準備して運動会に来る必要が無いので場所取りにも来ないの!」
これを聞いて私は愕然! 何たること! 学校は何を考えてるんだ~ッ!と

そして、今午前8時過ぎ、いよいよその運動会が始まった、、、!
父兄たちは既に来ているが、たしかに座る場所のシート桟敷はなく、
皆さん、起立したままの状態で運動場の周りに集まっている。
Img_0008

こうして駆けっこはやってるが、多分今年は組体操などは無いんだろうな?
そうだッ! 昼の部の最後、紅白玉入れは有るのか、それとも無いのか?
さらに、、、 騎馬戦などもないんだろうな~? 危ないから、とか云って!
Img_0013_2
そして、しばらく眺めていて気が付いた事は、、、?
そうだ、なんだか静かな運動会だな~、と、思っていたら、、、? 
「そうか! スピーカーから運動会定番のあの勇壮なマーチ が鳴って
 ないぞ~! 何でや~?」
、、、そう云えば、、、?

いつだったか「子供達の声がうるさい!」、と近所から学校にクレームが
有ったとか? それは運動会の時ではなく、通常の屋外での体操など
課外授業? の時の子供たちが はしゃぐ声の事だったらしくて、、?
結局、学校側が日頃の近隣住民のクレームに対して気を遣った、、?
だとすれば、私ャ~それを聞いて、、、
「どこの大人がクレームしたか知らんけどバカ じゃないの?」、と独り言!

静かな運動会を眺めてても、面白くも可笑しくもないので、、、、
ベランダから自室に戻って改めてネット新聞を見てみたら?、有ったッ!
「時短運動会」広がる 廃止論まで飛び出す学校と親のホンネ

これを読んで「やっぱり! 全国的にそうなんだ~!」、、、と!
『全くイヤな世の中になったな! こんなんで本当に良いんだろうか?』
これも世相? 世の中が昔とは違うんだから、、、? とか云われたりして!
ひょっとしたら運動会そのものが無くなるかも?、もしそうなったら、? 
などなどモロモロ考えて、寂しい思いになってしまった。

そう云えば以前、運動会については下記のようなグチを書いた事もあった。
組体操を止めろ!?
Img_0046_3運動会の人気種目として昔から親しまれてきた
組体操。それが危険だから止めよう、って話!
子供たちの成長をみる絶好の競技を止める
なんて、、、
私ャーそんな事を云う人間の気が知れない!

これって 指導する先生たちの問題ではないの?
つまり昔からやってたし、時には運悪くケガをする
児童もいた。しかし基本的には教師がしっかり
時間をかけて指導訓練していたのでそれほど
大きな事故はなかった? 、と記憶しているけど?

あるいは、最近は昔と違って春に運動会をする学校が増えてるような?
これが案外教師たちが子供たちを訓練する時間が不足する原因じゃ
ないのかな~? 秋は学校行事が詰まってるから春に? とからしいけど
しかし、やっぱり昔の様に運動会は秋にやった方が良いのでは!?

また、、、
最近は子供たちの健全な競争心の育成 に対して的外れな批判もあり、
そんな日狂組的な思想や、モンスターペアレンツのバカさ加減に、、、
『私ャ~本心呆れている!』

【追】
最近、ある外国の特に小学校に於いて、日本の運動会の習慣を
真似、取り入れて低学年教育の一環としつつある国もあるとか、、?
"日本の良さは、日本人より外国人の方が知っている?"
これって、、、何をか言わんや! だね!

7年前だけど、2012年の同校の運動会写真集 をご覧あれ!
子供たちが実に楽しそうに躍動しているよ!

◎過去の関連ブログ
*2015年,春の運動会
*春の大運動会

コメントは こちら から、、、

2019年5月16日 (木)

ドリス・デイが亡くなった!

この13日、ドリス・デイが亡くなった! 97歳だったそうな、、、、!
そして日本では映画「羅生門」などの大女優、京マチコも(95歳)、!
『お二人に黙とう!』

ドリス・デイと云えばケ セラセラ、、、ケ セラセラと云えばドリ・デイ、と
云うぐらい、切っても切り離せない1950~60年代の大ヒット曲!
私は今でもハッキリその曲を口ずさむ事が出来る。

ケ セラセラが大ヒットしたのは1956年(昭和31年)、私は中学生だった。
その後、日本では雪村いずみやペギー葉山がカバーしていたな~!
ちょうどその頃から私はポップスが好きになり始めていた。
当時ラジオの音楽番組やEP盤を盛んに聴き漁っていた事を思い出す。

ケ・セラ・セラ=スペイン語 "Que sera sera"(成るようにしか成らない)!
元々は私が好きで観ていた ヒッチコック映画 「知りすぎていた男」
主演女優のドリス・デイが唄っていた曲。
以下の画像をクリックして映像と唄をお楽しみあれ!

Shirisugitaotoko



その他、1956年に発表された下記のポップスもよく聴いていたな~♪
各画像をクリックしてお聴きください。(赤太字は参考資料のWikipedia)

*エルヴィス・プレスリー
  
「ハートブレイク・ホテル」、他に多数の映像がYoutubeで公開されている。
 あまりに多すぎてここでは載せきれない! やはりプレスリーはダントツ!
Photo_2

*ジーン・ヴィンセント
「ビー・バップ・ア・ルーラ」
、たしかこの一曲だけが大ヒット!?
Photo_3
(その他、これより古いRock'n'roll で"ビル・ヘイリーと彼のコメッツ"の   
「ロック・アラウンド・ザ・クロック」も大好きだった。)


*ハリー・ベラフォンテ
「バナナ・ボート」、この曲を日本では 浜村美智子 が唄っていたな~!
 他にも「マティルダ」や「ダニー・ボーイ」などもヒットした。  

Photo_4

*パット・ブーン
「アイル・ビー・ホーム」
 
その他、私は「砂に書いたラブレター」が大好きだったな~!

 Photo_5

今、こうして書いていると、まだまだ沢山の曲を思い出すけど、、、?
キリが無いのでこの辺りで止めとこう!
歳をとると、どうも懐古的になっていかんな~!^_^)


◎最後に、、、

上記、この一世を風靡した歌手の中で、エルビスとジーン・ビンセントは
既に亡くなっているが、後の二人も既に80,90歳台、、、!
最近は便利な世の中になって、かなり古い映像でもこうして原本の
映像フィルムと音源さへ有れば、Youtubeとして公開されて、誰でも
いつでも簡単に楽しめる様になった。

中にはオリジナル曲をリアルタイムで聴いてた時代には、その歌手の
顔も知らず、ただ勝手に想像していただけだったがYoutubeのおかげで
こうして実際の顔も知ることができる。上記の例で云えば、、、
私は"ジーン・ビンセント"はこのYoutubeで初めて知った。

外国の歌手に限らず、日本でもラジオでその美声だけしか知らなかった
歌手の顔が、テレビ時代になって初めてその顔を見て、それまで自分が
勝手に想像していた顔との大きな違いにガッカリしたとか、、?^_^)
そんな経験をした人も多いだろう。私も何人かそんな歌手を思い出す。

例えば「三橋美智也」、しかしダントツは「バーブ佐竹」だろう?^_^)
、、、ご本人にはゴメンナサイ、、、!
「美声、必ずしも美顔とは限らず!」「天は二物を与えず!」、、、
、て事だった。
話が完全に逸れてしまった。スミマセン!^_^)
  

◎関連資料
*1956年の音楽(Wikipedia)

◎過去の関連ブログ
*
わが青春時代のポップス!
*ジャズ好き、でも演歌も好き!

◎関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。

コメントは こちら から、、、

2019年5月10日 (金)

映画「"Bill Evans" Time Rememberd」

相変わらず耳の調子が悪い、、もう発病して2年も過ぎた のに!?
今、掛かりつけの名古屋の耳鼻科医曰く、、、
「完全に元のようには治らないよ!」、、、だって!
初診の時は「必ず治るから!」、と云ってたクセにだ、、クソッ!

医者の言葉にイライラしながら、、、
金山までの帰路の途中、偶然見つけた下記の映画のチラシ、、、

190214_billevans_1

こりゃ~良いな! 早速見に行ってみよう、とイライラ感も忘れて、、!^_^)
スマホで映画館の場所を探す?  そこは名古屋の中心街、錦通り地下鉄
の栄駅と新栄駅の中間にある「名演小劇場」と云う小さいが5階建ての
古~いビルだった。ここは知らなかったな~!

映画はジャズ・ピアニスト、故ビル・エヴァンスの生涯を描いた、
ドキュメンタリー映画 『"Bill Evans" Time Rememberd 』
この映画は4月頃から全国で上映されているらしい。

以下、宣伝文によると、、、、、
ビル・エヴァンスの生誕90周年を記念して公開される本作(2015年発表)
は8年の歳月をかけて制作。「時間をかけた自殺」とも言われたエヴァンス
の51年の人生とその音楽をたどり、出生からキャリアのスタート、彼を
めぐる人間模様、死の間際までを綴った内容となっている』、、、とか!

ビル・エヴァンス本人以外の出演者の中には、、、
トニー・ベネット(Vo)、ジョン・ヘンドリックス(Vo)など当時の
共演者たちの証言の他、マイルス、コルトレーンなど超一流ジャズメン達の
当時の様子や、彼らの実際の演奏の一部を聴きながら物語は進む、、、

他にもインタビューで登場するジム・ホール(g)、ポール・モチアン(dms)、
ボブ・ブルックマイヤー(tb)、ビリー・テイラー(pf)などなど、、
この映画の公開前に既に亡くなった有名プレーヤーも数々だった。

20190509-1

また、従来のピアノ・トリオの概念を超えた史上最高のインター・プレイと
云われたスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(dms)との組み合わせ。
そのスコット・ラファロの突然の死に直面し、以降トリオのメンバー編成が
二転三転と変化し、その演奏内容も微妙に変わっていく様子などなど、、、

生前のビル・エヴァンスに関係したミュージシャン以外でも、、、
最初と二番目の妻や他の女性達、兄弟、特に最愛の兄を亡くした
ショック等、いろんな音楽以外のエピソードも盛りだくさん!
それは必然的に彼の音楽内容にも微妙に影響していく、、、

そして ビル・エヴァンス の薬物乱用の苦しみが一生続く、、、
などなど、彼の生活すべてが 約1時間半の上映時間いっぱいに
凝縮され満載されていた。
ドキュメンタリー映画によくありがちな、ストーリーの繋がりがなく
断片的なイメージ感は有るが、全体として良くまとまっていた、と思う。



◎ここから話は変わるけど、、、?
私はピアノ・トリオは昔から好きだったが、最初若かった20歳台頃は、
オスカー・ピータソン、トミ-・フラナガン、レッド・ガ-ランド、
ウイントン・ケリ-、白人ではアンド・プレウ"ィン等を主に聴いていた。

正直、ビル・エヴァンス は比較的遅い時期、、? 確か35歳過ぎた頃に
初めて聴いた"Waltz For Debby" が最初だった様な記憶がある。

 

しかし、今改めて調べてみたら? あのマイルスの傑作 "Kind Of Blue"
(1959年) の中でウィントン・ケリーは一曲のみ、他の全曲は唯一の白人、
ビル・エヴァンスだった事を思い出した。
 

今、改めて聴くと明らかにウィントン・ケリーとは何かが違う、音とリズムの
ノリ方、タイム感の違いを感じる。それで思い出したのは、、、?

天才マイルスがどこかで話したらしいが、、、?
『俺が一緒にプレーしたいと思う奴は、その性格とか思想とか?黒人か?
 白人か? そんな事は一切関係なし! 俺がただ一緒にプレーしたい、と
 思うか? 思わないか? ただ、それだけだッ!」、、、と。
それほどマイルスに見込まれたビル・エヴァンス 、、、さもあらん!
まさに「天才は天才を呼ぶ!」とは、、、この事か!?

彼、ビル・エヴァンス のピアノの印象は、本人の肖像写真にもある様な
知的なインテリで、どこか冷たい様な? その奏でるピアノも私が過去
好きで聴いていたバップの黒人的なノリでなく、まさに白人のそれも
知的な演奏だった。

同じ白人ピアニストでも、派手でノリノリのアンドレ・プレウ"ィンや、
デイウ"・ブル-ベック、エディ・コスタ、ドン・フリードマン等とも異なり、
私はビル・エヴァンス を何回も聴く内に徐々にその良さが解ってきたような
気がする。今思えばだけど、、、!

さらに私は ビル・エヴァンス はBGMとして聴かない方が良いみたい?
確かにそんな聴き方もあるが、やはりスピーカーの前でちゃんと聴いてこそ
その良さが解る様な、稀有なピアニストと思うけど、、、?

いわゆるリバーサイド四部作と呼ばれる作品の中で私は三部作まで持って
いる。今、これら手持ちのビル・エヴァンス の全てのディスクを改めて
聴いている、、、!

0011 0051090 1031 1511


◎関係資料
*映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』
*名演小劇場公式サイト
*
名演小劇場 (Wikipedia)

*カインド・オブ・ブルー(Wikipedia)
*ビル・エバンスの名演・名盤を聴こう!
*ビル・エバンスの名盤5選

◎過去の関係ブログ記事
*私が好きなピアノ・トリオ

◎関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。

コメントは こちら から、、、

2019年5月 1日 (水)

“令和”、時は新緑の今日この頃、、、

今日2019年5月1日(水)、新しい年号“令和”がスタートした。
この新元号が発表された去る4月1日、あの日私は所用で外出中、
出先の喫茶店でスマホのネット中継動画をリアルタイムで見ながら
発表を待っていた。

Img_0000


『“令和”(れいわ)』
、 と発表された時、その漢字の”令”を見た一瞬、
真っ先に思い付いたのは、、、?  それは命令の”令”だった。
その瞬間、「ちょっと固いな~?」、次に感じたのは「冷たい”冷”
似ているな~?」、などと頭に浮かび、、、若干違和感を感じたが?

しかし次に頭に浮かんだのは、令嬢の”令”など、相手を尊敬した
言い方や、誉め言葉などでも度々使われる事なども思い出した。
そんな事を考えながら、、、帰宅してテレビ報道で新元号が“令和”
決まった経緯、その意味などなど詳細な説明を聞いてる内に納得!

何と云っても、過去の元号が全て中国の漢書の影響を受けていたものが
歴史上初めて日本の古典(国書 万葉集)の中で使われている言葉から
採用! と聞いて、古典や万葉集は無知だけど大いに納得すると同時に
彼の国嫌い
としても大いに満足!^_^) 

Photo_1

自己流に解読したら、、、?
  『時は新緑の今日5月頃、気持ち良い風も穏やか、、』??

巷では、、、
例によって「安倍さん嫌い」や「何でも反対する左巻きの輩、諸々団体」が、
早速何やかやと滑稽なこじつけでケチを付けているが、そんな事は
一切無視! なぜもっと素直になれないのか? と一人密かに心の中で
そんな連中を軽蔑、、、!

ここで思い出したこと、、、?
近年、個人の権利だけを主張し、その立場に応じた責任を伴わない誤った
民主主義の理解が国民の間に浸透している、と常日頃から感じていたが?
それが事もあろうに、皇族や宮家の中にも似た様な? ご自分の立場が
解っているのかな~? と疑いたくなる様な発言など、問題が少なからず
有りそうな感じを抱いている。これ以上は書かないけど、、、?^_^)

それはともかく、、、
実に202年ぶりの天皇の生前退位に、識者の間でも賛否両論あって、
その理由と説明を聞けば聞くほど、各々何れも正論だ! と思う。
ただ、結果的には今回は一時的とは云え生前退位で良かったと思う。

何故ならば、1989年,昭和64年の昭和から平成への天皇譲位の時、
日本国中は昭和天皇崩御の喪に服した悲しみ一色で、新元号の平成
祝う雰囲気は控えめだった事を思いだす。あの頃、ちょうど私は
ブラジルに住んでいたが、新聞を通じて日本国内の様子を知り得ていた。

その点今回は、現在の誰もが経験した事がない天皇の生前退位の諸々の
宮中儀式をテレビやメディアを通じてリアルタイムで知る事ができた。
昨4月30日、平成最後の日を日本国中が惜しみ、また新しい令和の時代
への明るい将来に期待
している巷の庶民の様子など、メディアが終日、
賑やかに、そして明るく報道していた。

話は変わるが、、、最近、近所の本屋を覗けば、、、?
入り口に平積みされているのは、全て元号に関する書籍類や説明本、
そして万葉集の易しい解説書、また天皇と日本史に関した本ばかり!
これまで万葉集には関心がなかった人、天皇や皇室なんて興味が
無かった人、そんな巷の老若男女が、俄か万葉集ファンや日本史ファン
になったとか? そう云う私もその一人、「天皇の日本史」って本を
買って今読んでいる!^_^)



今日、5月1日は残念ながら日本晴れ、とはいかず、あいにくの雨模様の
曇天だったけど、、、間もなく新天皇即位の式典!
我家も新元号、新天皇即位を祝ってベランダから久しぶりに国旗掲揚!

Img_0007a 

そして、、、”令和”元年初日 に相応しく、、、
我マンション内庭も、清々しい新緑の季節の到来を示していた、、、!

Img_07x_3 Imagec Image Img_02x_2


関連資料
*“令和” (Wikipedia)
*元号一覧 (Wikipedia)

過去の関連ブログ記事
*2月11日は何の日?
*戦後70年と天皇の言葉

コメントは こちら から、、、

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

【注】下段の≪写真集≫は、2019年3月以降、現サーバーの改編により継続不可となりました。