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2020年12月12日 (土)

奈良観光Ⅱ

コロナ禍の真っ最中、11月13,14日の二日間、政府の口車に乗せられて、、、?
”Go To Travel” を利用して夫婦で奈良観光へ、、、 
過去、京都は二度ほど行った事があったが奈良は夫婦とも今回が生まれて初めて!

今日11月14日(土) はその二日目。
Nara-mapこの日のスケジュールは、観光バスを利用して、、、
JR奈良駅法隆寺→(昼食)→慈光院薬師寺唐招提寺
そして最後はバスの窓から 平城京跡・朱雀門 を遠望して
丸一日の日程を終わる。その後、、、
近鉄奈良駅⇒(近鉄特急)⇒京都⇒(新幹線)⇒名古屋へ帰着。
←観光先それぞれの位置関係を調べてみた。参考までに!

Dsc_045014日(土)午前10時前、滞在ホテル直ぐ傍のJR奈良駅、、、
←その右側にある旧奈良駅舎らしい。そのまま保存中とか!
この左側のターミナルから観光バスで上記のスケジュールを、
ほぼ一日掛かりで周遊する、いわゆる斑鳩の里 巡りだ!
以下、コメントはバスガイド嬢の説明の受け売りと、一部ネット資料をパクった、、!^_^)

Dsc_0452この日、観光バスに乗り合わせた乗客は老若男女約20名ほど。
午前10時丁度、バスはJR奈良駅前を出発~観光ガイド嬢の
案内でバスは街中を通り抜け~凡そ50分間ほども走って11時前
着いた所は、この日のメイン・イベント ”法隆寺”だった。
上記の地図で見ると判るとおり、奈良市の中心部から南西方向。

しかし、バスで50分も掛かるとは思わなかった、、、!汗)
以前、友達に聞いてた「奈良は各々の名所が離れていて遠いから
大変、と!然り、、、中学生の頃、学校で習った日本史、その中の
7世紀頃の話、いわゆる飛鳥時代聖徳太子大化の改新
律令制度化 されていく時代。中学校で習っていも実際にその現場
に来たのは爺になってからだ~!汗)

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←以下、この法隆寺境内図を参考に、各場所の位置関係を
ご覧あれ!


Img_0098_20201129102501法隆寺
は世界最古の木造建築群といわれており、推古天皇と
聖徳太子によって推古15年(607年)に建立されたと云われている。
1993年12月に日本初の世界文化遺産に登録されている。
約18万7千㎡もの広大な境内には、飛鳥時代に建てられ五重塔を
はじめ、門やお堂などが点在建物内部には数多くの仏像類が安置
されていまて国宝・重要文化財に指定の建物や宝物類は、

Dsc_0453 合計約190件。その数2300点を超えるとか! 真に日本の宝だ!
一口に”法隆寺”と云っても、その敷地は膨大な広さ!
とても一日で見て廻れる範囲ではない。
南大門法隆寺の玄関にあたる総門、我々はここから境内へ!

Img_0103
中門西院伽藍の本来の入口となる。法隆寺の境内は大きく
分けて世界最古の木造建築群として知られる現在の西院伽藍



Img_0109_20201128175501日本国中いたる所に五重塔らしき? まがい物は有るが、、、?
←これぞ正真正銘、本物の”法隆寺五重塔”、日本人なら必ず
何処かでこの写真を見たはずだ! 日本最古の塔である
五重塔は五重目の軸部が初層の半分の大きさになっており、
これに深い軒の出が相まって安定感を与えている。
その軒を雲肘木が優しく支えて見る人を飽かせない、、、とか
心柱の下にある心礎には仏舎利が納められているらしいが!?
高さ約31.5m(基壇上より)、、、とか。
この五重塔こそ飛鳥時代に造られた日本最古の五重塔だ!
 

Dsc_0468
←五重塔の横にある金堂、これまた飛鳥時代に建立されたと
される金堂には内部には数多くの仏像が安置されている、とか。

いずれも写真撮影は不可!

Img_0116西院回廊から見た大講堂。 
金堂五重塔の建物の間を北へ進むと、そこにあるのが僧侶達の
研鑽の場である大講堂。数ある法隆寺の建物の中でも最も大きく、
現在の建物は正暦元年(990年)に新築された建物とか、、?


Dsc_0475
←この辺り、西院伽藍の大講堂周辺を散策しながら、、、  



Dsc_0477
←今度は入ってきた方角の反対側から見た、逆光の五重塔と
金堂もまた美しい!


Img_0122_20201129155401←今度は周囲を取り巻く西院伽藍を囲む回廊も見どころの
一つ。単廊式で中門から奥の大講堂へと繋がっている。
ガイド嬢の説明によると、注目すべきは円柱。よく見ると、
柱の中央が膨らんでいる。この工法そのものは古代ギリシャ
に端を発するものらしい?  大昔ギリシャと関係が??

Dsc_0481←これまたガイド嬢説明によると、飛鳥時代の窓の格子は
連子窓(れんしまど)と云って角材はノコで切るのではなく、
割って作っているとか、、、?
だから太さは均一ではなかった、、、とか?

Img_0126 Img_0128
回廊を出て中門の外に出る。西院架藍の
東隣に在る国宝の”聖霊院”の前に法隆寺
”鏡池”が在る、、、


Img_0127
←その傍に彼の有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑。
これこそ正岡子規が明治28年にここを訪れた時に詠った俳、
刻字があまり明瞭ではないけど、、、?

中学生の頃から法隆寺と云えば、この柿くへば、、、
いつも思い出されていたな~!
懐かしい~、やっと会えた、って感じだ!^_^)


Img_0130
←ここで一旦、西院伽藍を出て 聖霊院へと向かう。 




Dsc_0486←これが聖霊院。ここは聖徳太子45歳の像を祀る仏堂と
して建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋
を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な
建築。
その中まで見学する事が出来なかったのが残念!

Dsc_0491
←次に、大宝蔵院 の脇を通り抜け、、、
ここで東大門を通り抜けて一旦、中通りを経由して、、、
東院伽藍 の方へ向かう、、、

Dsc_0496←そして着いた所は聖徳太子信仰の聖地である夢殿 だった。
ここは聖徳太子斑鳩の宮の跡で、朝廷の信任厚かった
高僧行信(ぎょうしん)が宮跡の荒廃ぶりを嘆いて太子供養の
伽藍の建立を発願して天平11年(739年)頃、宮跡に建立したとか?

Img_0139ここで余談、、、
若かった昔、飛鳥時代の歴史ミステリーが好きで、
太子一族が謎の滅亡
をした物語を読んで蘇我入鹿は悪いヤツ、
と単純に思ったり、しかし後で暗殺されて可哀そうだ、と今度は
単純に同情したり、モロモロ飛鳥時代のロマンに惹かれていた
時期があった。そんな事を今更ながら思い出した、、、!
その太子を祀る夢殿は上記の様に後世に再建されたもの。

聖徳太子は時々その中に籠り、政事や仏教に
思いを巡らせた。
その太子等身と伝えられている救世観音を祀る。
つまり、救世観音は聖徳太子をかたどったそのものと考えられ、明治時代までは
法隆寺の僧侶さえ目にすることが出来なかった秘仏中の秘仏とか! 
厳重な封印を施されて夢殿に安置中。我々もただ救世観音写真を撮るだけが許された。

そもそも、聖徳太子の偉業はその真偽を含めて日本中の誰一人知らない者はいない。
我国の代表的偉人であり日本の文化と平和、国家安泰を象徴する最大の人物で、
日本の超スーパー・スターであることは日本人なら誰も異論はないだろう!
但し、一部の捻くれ者や左派巻き、天皇制反対論者などを除いて、、、!^_^) 
今回、生まれて初めて法隆寺を訪れて、改めて日本史の奥深さとロマンを実感した!
  
法隆寺、は紛れもなく今回の奈良観光のメイン・イベントであった。
この14日(土)、午前11時頃~12時半頃まで僅か1時間半の短時間であったが、、、
法隆寺の西院伽藍の五重塔と金堂や回廊、さらに夢殿を中心とした東院伽藍
関連の見学を終えて大いに感激し、また満足だった。
その後、法隆寺に近い休憩レストランで昼食と、お土産などの買い物の後、、、
再度、観光バスに乗って、、、午後1時半過ぎに着いた所は、、、


Img_0143慈光院 と云うお寺? ここは果たしてどんなお寺かな?   
予め旅行社からのパンフットでは、大和三名庭園の一つとか?
そして、ここではお菓子付きの抹茶が頂けるらしい、、、? 
何でも慈光院は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺
派の寺院とか。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主
片桐石見守貞昌(石州)が創建したとか? ゼンゼン知らなかった! 
Dsc_0505
←門を潜ったら忽然と現れた日本庭園! それほど広くはないが、
確かに綺麗で、如何にも手入れが行き届いてる感じ!
本物の日本庭園を見たのも考えてみたらほぼ初めて!?

Img_0150_20201128181501 Img_0151我々20名程の観光客が一堂に座れる
畳の間と、庭に突き出た板張りが
なかなか趣が有る! 全員が座った
ところに係りの女性二人がお茶と、
和菓子を夫々の座前に置いていく、、、!
そしてこの寺の和尚さんの説教を有りがたく
拝聴!  正座なんか何十年もした事がなく出来る訳がないが、そこは和尚も心得ていて
『胡坐(あぐら)でも何でも、好きな格好でリラックスして下さい!』の言葉に救われた。
和尚の説教そのものは、、、??
Dsc_0512
←その後、庭園内を散策、、、



この後、午後2時過ぎになって我々一行は次の見学地へ向かう。

Dsc_0519午後3時前、着いた所は薬師寺だった。
薬師寺は前13日に行きそびれた興福寺と並び、法相宗大本山。
創建は680年と云う文字どおり古刹。現在の薬師寺は藤原京
から平城京への遷都に伴い718年に移されたもの、、とか!
中門から入っていくと、、、
Photo_20201201133301Photo_20201201133302西塔(左図)と 東塔(右図)
東塔は730年に建立されたが、西塔の建立は
不明らしい?東塔は幾多の戦禍や火災の後
薬師寺伽藍唯一の創建時の建築物として
今日まで残ったが、西塔は1528年に火災に
より焼失!

以来、薬師寺にのこされた伽藍は東院堂
(鎌倉時代の再建)と東塔だけになったが、
近年、約453年ぶりに薬師寺に東西両塔と
中門、回廊、大講堂も次々と再建された
、、、とか!?
再建された西塔東塔とを注意深く見比べると単なる新旧の色違いの他、屋根の反りの
違いや、連子窓(れんしまど) の有無など幾つかの相違点がある。            

Dsc_0529←こちらは金堂と、先ほど正面から見た西塔の背景を眺めた!
金堂は、1528年に戦火に巻き込まれ焼失。その後豊臣家が再建
する筈が滅亡。その後400年近く仮堂の状態。再建は歴代の
薬師寺住職の悲願だったが1976年4月、遂に白鳳時代様式の
本格的な金堂が復興した、、、とか。実に気の永~い話だ!
Dsc_0532
←薬師寺の大講堂(左)と、僧侶たちの食堂(右)とか?
坊さん達の食堂にしてはえらく立派だな~!


Dsc_0538←いよいよ薬師寺の中でも有名な玄奘三蔵院伽藍へと向かう。
玄奘三蔵 と云えば直ぐに思い出すのは中国の伝奇小説の
『西遊記』に登場する人物「三蔵法師」として特に有名。
昔の映画で美人女優の「夏目雅子」さんが扮していたな~! 

Img_0172←正面がその玄奘三蔵院伽藍。
入口に掲げられている「不東」とは、、、?
玄奘三蔵(602-664)は中国唐代に活躍した実在の僧侶。
彼が経典を求めて、27歳のときインドへ求法の旅に出て
17年に及ぶ旅を終え貴重な仏教経典を多数持ち帰国。
有名な『般若心経』玄奘三蔵の翻訳による。 薬師寺では
Img_0173玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるべく、平成3年(1991)に玄奘
三蔵院伽藍を建立。伽藍中央の玄奘塔には、玄奘三蔵の頭部の
遺骨をお納めてあるとか!?「不東」は、玄奘三蔵の経典を
手に入れるまでは東(中国)へは帰らない! と云う決意を表す
言葉だそうな!?、その中国とインドは今や敵対中!^_^)

Img_0177ここ玄奘三蔵院伽藍の横手に有る『大唐西域壁画殿』
凄かった! 
写真撮影こそ不可だったが、平山郁夫画伯の30年に
及ぶ取材旅行の集大成として、4千枚を超えるスケッチを基に
約20年かけて描かれた”7場面・13壁面”の超大作。圧巻の
シルクロードの世界だった。如何にも玄奘三蔵法師の中国から
インドまでの旅を体感できる感じだった!
以上、ここまでで 薬師寺 の見学が終わった。午後3時40分!

またもや、一行は観光バスに乗って夕方4時頃、着いた所は、これまた有名な
唐招提寺 だった。

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唐招提寺は一度は来てみたかった国宝!
天平時代を現代に伝える金堂、平城宮の朝集殿を賜った講堂
などが主な見どころか?


Img_0181_20201128182501

←奈良時代の8世紀後半に建造された唐招提寺の本堂(金堂)
奈良時代の本格的な金堂建築の現存唯一の例。堂内には
盧舎那仏像、薬師如来立像、千手観音立像等が安置されて
いるらしいが、、、?

Img_0183_20201128182501鼓楼と礼堂
鑑真和上が唐から持ってきた、仏舎利(釈迦の骨)を納めた
ので、舎利殿とも呼ばれている。有名な行事の「うちわまき」
は、この鼓楼で5月19日に行われている、、、とか!?


Dsc_0549講堂。国宝、こちらも奈良時代の8世紀後半に建てられた、
入母屋造,本瓦葺。平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)
を移築・改造したもので開放的な空間となっている。現在の姿は
鎌倉時代の改造による。天平時代,平城宮の面影をとどめる唯一
の建築物としてきわめて貴重な存在。
内部は本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天増長天立像(重文、奈良時代)
の他、多くの仏像が安置されている、?と聞くが実際に見る事は出来なかった!涙)

Img_0188_20201128182601 Img_0189_20201128182701開山御廓という境内の北東の奥まった
静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。
そこの苔が庭一面に広がって池と木々の
コントラストが素晴らしかった。


Dsc_0556いよいよ唐招提寺で最後の見学した所は、、、?
←宝蔵、新田部親王邸に元々あったものを利用したもので、
建築は唐招提寺が建立された天平宝字3年(759年)以前となる。
奈良時代校倉造りの典型的なものとして価値が高く国宝指定。

午後4時半頃唐招提寺の見学を終えた一行は、再び観光バスに乗っていよいよ
今回の旅の最後、平城宮跡と孔雀門へ、、、! ところが、、、?
既に日が沈みかけた夕刻、こんな時刻に広いと思われる平城宮跡に行けるのかな?
見学時間は有るのかな? と危惧していたら、、、?

何の事はない! ただバスから下車せず車窓から遠く平城宮跡を眺め、、、
それにガイド嬢が詳しい説明を付けて、我々はただそれを聴いただけだった!
チョット期待外れ!、騙された? 否、後で帰宅して改めて旅行スケジュールを
読み直したら、最初からその様に書いてあったのだ~!^_^)

平城宮跡/朱雀門   (午後4時50分頃)
車窓から見た、復原された遣唐使船。全長約30m。奈良時代と同様にすべて
木材で作られた立派な船だった。
Img_0191Img_0193_20201128182701←遣唐使とは7~9世紀に、日本から唐へ
派遣した使節。その遣唐使が海を渡る際に
乗った船を遣唐使船と云う。
、そん事は中学校で習ったよね!^_^)
←そして車窓から望遠アップ平城宮朱雀門

ここではバスガイド嬢ではなくて、下記の動画でご覧あれ!

以上、奈良旅行二日目、11月14日の全ての見学スケジュールを終えて、、、
観光バス最後の停車場所である、ちょうど午後5時頃近鉄奈良駅 前で下車。
往路と違って今度は近鉄特急に乗って約30分で京都まで、、、
そして京都から20時13分発の新幹線で名古屋まで、、、安城の自宅に帰宅した
のは凡そ21時過ぎ頃だった。

◎最後に、、、
政府の宣伝に乗せられたGoTo旅行だったが、結果的に初めての奈良訪問は良い
旅行だった。改めて古代から続く日本史のロマンに魅せられた、、、!
 
Go Toトラベルキャンペーンについて今回の我々夫婦二人旅の例で云うと、、、
交通費(新幹線+私鉄の各往復料金)、一泊二日朝食付きのホテル代金、観光バス
代金等の合計から、規定の限度額 (1日当たりの最大給付額¥20,000と旅行代金
総額の1/2) で35%が減額され、加えて¥10,000の地域クーポン券(タクシー代や
お土産代等に利用) が付加されたので、結果的には全個人出費額の凡そ43%程度も
安上がり旅行となった!

、、、となれば、政府の思惑どうり人々の旅行熱は今後も続くだろう! 
我々の今回の旅行後、11月下旬以降から全国的にコロナ感染者が日々急増し、
各地の医療機関が逼迫している現状が連日メディアで流され、主に医療専門家や
医療従事者が政府の対応を批判し始めている、、、。

旅行そのものとコロナ感染は直接的には結び付かないが、人々の”移動による
感染リスク”と、何よりも政府がGo Toキャンペーンを続ける事で生じる人々の
”気の緩み”、更にこれまで長期間の”コロナ慣れ”が相まって、特に最近大都市の
繁華街での人出の増加等々、、、これでは感染者が増えるのは当然だろう! 
今、身をもってそれを感じている。

『相反する”経済とコロナ対策”、一方を立てれば片方が立たず!』
果たして政府の今後の対応や如何に? 下手をすれば悲惨な結果にならないとも??
以上、2020/12/12 記


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奈良観光Ⅰ,Ⅱ 全写真集(Google Album) 【注】Google Account が必要かも?
 奈良観光二日分 全ての大画像写真です。但し解説は一切ナシです。

◎関連資料(Wikipedia)
*法隆寺
*慈光院
*薬師寺
*唐招提寺
*平城京跡
*朱雀門


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