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2019年8月 5日 (月)

恵那峡~岩村城址の旅

先7月30日~31日、岐阜県の『恵那峡~岩村城址の旅』へ単身で
出かけた。考えてみたら7月末以降日本列島は猛暑に見舞われる中、
その中でも特に岐阜県の多治見市などは全国一の暑さで日中の気温が
38度近くまで上昇!

旅行先の恵那峡岩村城址は、名古屋からJR中央線でその日本一暑い
多治見市の先に位置し、中津川の手前に有る地域。何を好き好んで
この猛暑の中、わざわざそんな日本一暑い所まで行かなくても良さそう
なのに?と!  しかし、いろいろ心に思う事があって、、、!^_^)

実は30日(火)朝までは具体的に行き先を決めてなくて、その二、三日前に
テレビで見た馬籠~妻籠 間の中山道を歩いて見ようかな~? と漠然と
考えていた。以前 馬籠妻籠は知人の車で行った事が有ったが、
中山道の歩きそのものは経験してなかったし、、、?
とにかく、何処か静かな所を独りで歩いて見たかった、、、!

それで同日午前中、名古屋 金山駅からJR中央線に乗った訳だったが、、、
約1時間20分後に中津川で下車、そこからバスで馬籠まで行くべく駅の
近くの観光案内所でバスの時間など調べたら待ち時間が1時間ほども
有っので、案内所で暇そうなお姉さんと雑談しながら思い付いたのが? 

そうだッ! 馬籠妻籠は一度行ってるし、それより未だ知らない恵那峡
でも行こうか? そしてかって聞き知っていた岩村城址は? これで決まり!
、となった訳。以上、前置きが長くなったけど、、、

↓これが今回の旅行行き先概略図。詳細な拡大地図は⇒こちら 
Map-1  


恵那峡岩村城址に行くには中津川からではなく、手前の恵那駅から
行くのが便利と聞いて、早速先ほど着いたばかりの中津川駅から二駅
手前の恵那駅まで戻ったのは、、、既に午後1時過ぎ頃だった。

今度は恵那駅横の観光案内所で恵那峡近くの全国ホテルチェーンに電話
予約を入れてみたら幸い部屋が取れた。送迎の車が来るまでちょっと間が
有ったので駅前のレストランで軽い昼食、その後、送迎車でホテルまで。

ホテルの3階の部屋から正面下に広がる湖がまさに恵那峡の観光遊覧船
の船乗り場だった。湖の左手先方には大井ダムもちょっと微かに見える!
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部屋で小休止の後、午後3時過ぎに先ずは目指す恵那峡へ行こう! と、
ホテルカウンターで遊覧船を予約、ホテル正面玄関前に有ったこの周辺の
案内図を見ながら坂道をチョット下ったら直ぐに桟橋へ。

20~30人乗り程の小型ボートだったが自分が乗った船はオバサン二人と
私で計3名のみ! 船長さんの号令で『いざ30分間のクルージング出発!』
その後は自動音声の女性ガイドの案内で窓から見える景観の諸々説明が
続く。桟橋を出て右側へ迂回し、最初の赤い橋、恵那峡大橋の下を潜る。
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この橋は湖面から50m以上の高さ ?対岸の恵那峡ワンダーランドへ!
このボートは水しぶきを避けるためか? 客室全面を透明アクリル板で
覆っているので、写真が日光の反射で影が映ってしまうな~、残念!
湖の両岸に立ち並ぶ異様な大きな奇岩の数々、、、!
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音声ガイドが、獅子岩(上右3番目)とか屏風岩(下1番目)とか、
各々の大岩の尤もらしい名称やその由来などの丁寧な説明をする。
桟橋を出て20分程経過した頃、湖の先が細くなった辺りから船はUターン
(下右3番目)の岩は「品の字岩」漢字の"品"に似ているから?
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(上右4番目)の赤い恵那峡大橋を潜ったら、、、?

↓その先に見えた大井ダムをアップして見た。そして元の桟橋に到着。
この桟橋のほぼ真上が宿泊しているホテルだった。最初に案内のあった、
出発から到着までちょうど30分間、料金約¥1300/大人也、高い?安い?
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↓遊覧ボートを下船した後、周囲を散策、、、近くの小高い丘の上へ、、、
電力王「福澤桃介」?と知らない人、その隣には聞いた事が有るたしか
昔の女優 川上貞奴、二人はどんな関係? この丘から真正面に見えた
先ほどのワンダーランドと、後ろの山は紅岩と呼ばれる巨大な花崗岩! 
(右端4番目)は翌31日朝にホテル窓から見た大井ダムと後ろは笠置山。  
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恵那峡見物を終えて、、、結果的にここは秋の紅葉の季節が良さそう!


◎ここから岩村城址の話、、、
恵那峡のホテルに一泊後の翌31日(水)朝、ホテルの送迎車でJR恵那駅
まで送ってもらう。そして同駅と隣接する「明知鉄道」に乗って、
今回の二番目の目的地である岩村城址へ、、、!

JR恵那駅に隣接する明知鉄道、小さな駅舎内に”明智光秀生誕の地”
幟が立っていた? そう、現在の”明知”は美濃源氏土岐氏支流である
明智氏の出身地だった!
明知鉄道は恵那駅から出て終点の明知駅までわずか25Kmのローカル
鉄道路線。

たまたま夏休み中の課外授業か?小学生達数十人と鉢合わせ、、、!
それまでは待合室に観光客らしいオバサン達だけ数人しか居なかったが、
思いがけず多数のチビック達の出現で、狭い駅舎内は一挙に騒々しく
なった。ウルサ~イ!汗)  午前10時過ぎ、二両編成の電車は出発。
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周囲に広がる田園風景、それは良いけど、? 私は先に席に座っていたが
チビッコが私の両側に座り、目の前には座れなかった子供が立っている。
とにかく ウルサ~イ!汗) 、私は席を立って車両最後部で立つことに、、!
同じくそれまで近くに座っていた若い青年1人も立っていた。
聞くと高二の地元青年だった。彼と明智光秀のことなど諸々歴史雑談!

それにしても、チビッコ達を引率していた女の先生曰く、、、
『アラ!子供達に席を譲って頂いてスミマセン!』だ~て!、私は
「子供たちは立ってなさい!」、と指導しないの? と内心思いつつ、
『いいえ、まだ77歳で若いから大丈夫です!笑)』、と余計な皮肉を一発!

車両の前の方には私同様、座らずに立ったままの老人も! そして目の前
には近頃の車内風景では珍しいスマホではなく読書中の女子高生も、、!
何とも のどかなローカル鉄道も10時45分には目的地の岩村駅に到着、。
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岩村駅正面をちょっと右に行き、次に左折した所から古い町並みの、
いわゆる岩村城下町が続く。全長約1.3kmの古い町並みは昔の商家や
旧家、珍しい土壁など佇んでいる。まぁ~同じ岐阜県では高山市の
古い町並みの方が見栄えがした様だけど? 以下その一部の写真を、、!
右端の写真は珍しい昔の消火器収納箱と下田歌子もここの出身だった?
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↓は明治時代の郵便局と郵便ポストをリニューアルした話、、、?
またこの常夜灯の説明書きを読むと、この街並みの歴史の一端が判る、!
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↓この標識から右に登って行くと、立派な櫓と門構え! 写真右端の
”太鼓櫓いわれ”の説明書きで、岩村城の説明がほぼ全て理解できる。
”岩村城”、その知名度は低いし私は全く知らなかった。全国には
この様な無名だけど由緒ある小城や山城がまだまだ有るんだろうな?
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坂道をさらに登って行くと右手の岩村歴史資料館の中には入らなかったが
その門の右手に立つ、江戸時代の美濃国岩村藩出身の著名な儒学者
佐藤一斉 の銅像。、、、そして写真右端は岩村藩校知新館
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↓知新館の説明書きと”太鼓櫓”の全景。また元の坂道に戻って、、、
いよいよ、ここからが岩村城址への登り口、この時 時刻は11時40分
ここから登坂スタート!、、、直ぐに坂道右手の小さな門構えは?
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↓そこは先ほど城下町で見た下田歌子の勉学所だった、、、
この辺りから岩村城本丸まで、各通路の当時の呼称や門の名称などの
説明書き。さらに頂上までの残り距離を表す標示等も親切に、、、!
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登り坂が続く、、!汗)、日頃の運動不足に加えてこの日の猛暑、!汗)
ヒィヒィー、ハァハァー、、!汗)、77と云う歳の所為にはしたくない!
しかし昨夜の恵那峡ホテルで見たテレビニュースでの熱中症は恐ッ!
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水をカブ飲みしながら登坂が続く、! この辺りから石垣が、、!
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この古井戸は、、、?
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↓あと100m、もう少しだ~!ここから左手上の八幡神社は朽ち果てて?
写真右端、菱形の石垣の説明書きはなかなか興味深いものだった。
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↓さぁ~最後の登り階段、ここで何処かの女性に追いついた!
、それにしても、ホント立派な石垣だ~ッ! 昔の人はやっぱり偉い!
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↓そして遂に、標高717mの岩村城本丸跡に到着、、、!
時刻は12時20分、先ほどの登り口からストートしたのが11時40分だった
ので凡そ40分も掛かった事になる。正直きつかった~!汗)
下に見えるは岩村町か? 広っぱの端に建つ岩村城の歴史と歴代慰霊碑。
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↓本丸の説明板。この広っぱの周囲を廻って観た。どうやら西北の方の
あの雲に隠れた高い山は恵那山らしい? ここ頂上で肝心の証拠写真を
撮り忘れたので下り坂の途中で出会った女の子に撮って貰った!

Img_0128_rImg_0126_rImg_0129_rImg_0131_r 

↓そして、城下町の古い町並みを下り、途中の食事処で遅い昼食!
元の岩村駅に帰り着いたのが午後2時頃。駅舎の横に有ったここ岩村の
三人の偉人たち。失礼ながらこんな小さな田舎町でも文化的な素養に
優れた人物を輩出した町なのだ。凄いッ!

恵那駅
までの帰りの電車が2時15分発、と出発前に調べていたので
予定通りの到着時刻だった。この時刻に間に合ってなかったら1時間
以上待たされるところだった! 隣の駅名が”極楽”とは!?
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↓定刻の2時15分、戻りの電車で恵那駅まで、そして午後3時1分、
JR恵那駅から名古屋方面行に乗り換えて帰路に就いた。
昨日、今日ともに猛暑だったな~! フ~ッ!汗)
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◎最後に、、、
以上、このブログ記事は写真が多くて、、、!汗)
ブログ本体画面の最上部右の※でも書いてるが、2019年3月以降、
写真集(アルバム)が作れなくなったので、やむなくブログ本文
記事内に写真を載せてアルバム形式にしています。

◎関連サイト
*恵那峡
(Wikipedia)
*大井ダム (同)
*岩村城 (同)
*明知鉄道 (同)
*明智光秀 (同)
*下田歌子 (同)
*三好 学 (同)

◎過去の関連ブログ
*雪の飛騨高山
*馬籠 妻籠の旅
*春の予感、大正村

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。