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2017年11月23日 (木)

桶狭間はこっちだぎゃぁ!

先週、急に寒くなってきた。外は寒いが天気は良いし何処となくアテもなく
散歩しながら、ふと思いついたのが「そうだ、桶狭間へ行ってみよう!」 と!

「桶狭間」、と云えば直ぐに思い出すのは、、、?
織田信長が今川義元を打ち破った所! たしか1500年代中期、群雄割拠
時代の真っ只中、尾張の若き信長がその少数兵力で、大兵力を誇る駿河
の大名 今川義元に対して桶狭間で戦を仕掛け、これに見事勝利!

この戦で信長は、戦国時代の天下にその名を轟かせ、一躍スターダムに
のし上がった、、、そして天下統一に向けて日本史が大きく動いた歴史上
有名な戦いだった、、、と、そのぐらいは知っていた!^_^)




◎これより以下の記事本文と、写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫
   を併せてご覧ください。

桶狭間、実はその合戦場だった場所は私が住む安城市からほど近い!
いつも利用する名鉄名古屋本線、新安城から名古屋方面へ向かうと、
途中、“中京競馬場前”って駅が有り、その近くに桶狭間が有ることは、
以前から知っていたし、いつだったか?車でその合戦場の近くを素通り
した事もあったが、今回改めてゆっくり見学しよう、と思い付いたわけ。

■≪先ずは前編から、、、!≫
“中京競馬場前駅”は急行電車は止まらないので各駅停車の普通電車で
新安城駅から約20分、、、
【Img_0002】
Img_0002駅の改札を出てから南側出口に行くと、、、
こんな案内板が有った。

(以降、画面上に【Img_XXXX】が有る写真をクリック
すると、その記述内容を読むために大画面の写真
に変わります。)

Img_0003_3
そこから通りを右手に行くと、、、
直ぐに信号の傍に大きな案内板が出ているので
指示どおりそこを左折、なだらかな上り道を直進。



Img_0005_2すると直ぐに見つかった「史跡桶狭間古戦場」
の石碑。中に入って先ずは一とおりぐるっと周って
みたら? エッ!たったこれだけ? と想像したより
小さな公園だった! いろんな石碑や墓石など、
それぞれ標識、説明書きと共に建ってたが、、、
とにかく狭い。

Img_0011_2Img_0010_2
そして、この小さい公園の一角に
この戦の敗戦の将、今川義元の
墓石
があった!
合掌、“南無阿弥陀仏”




【Img_0008】
Img_0008_6また標識の一つに「桶狭間七石表」と有ったが?
戦で敗れた今川義元の家臣七名が祀られているらしい。
江戸時代に出来た、と云われている。

しかし下部の説明を読むと、、、
後編に出てくる別の場所(田楽狭間)「七ッ塚」とは、
どんな関係なのか??

【Img_0013】
Img_0013_3
桶狭間の戦いの全体、織田と今川両軍の進軍
ルートや、この小さな公園周辺にある石碑類の
説明書き。
上記、家臣七名の石碑は画面右側に!


何れにしてもここ「史跡桶狭間古戦場」、と標識されたこの公園は小さい!
思ったよりも断然狭くて、小さくて、、、全く期待外れだった。



◎ここでフト考えた、、、!?
以前何処かで見た信長と義元の銅像 が有るはずだけど何故ないの?
何処に有るのか? 
そんな事を考えながら、、、この小公園脇の坂道の対面を見たら、、、

Img_0018Img_0019竹林の中の小さなお地蔵
さんとその左手に高徳院
と云う大きなお寺が、、、!
よし、中へ入って見よう、、
、、、と。


Img_0021すると、正面の本殿と「今川義元公本陣跡」なる
石票が立っていた。これって本当?
この寺と義元は関係あるの? この寺は明治時代
に出来たらしいが、義元公本陣跡な~んて?
後で取って付けた様な?^_^)


Img_0025
その正面の本殿と、、、
その右側上の方には大きな赤い塔が?
あれは何処かで見たような? そうだ、思い出したッ!
名古屋へ向かう電車の車窓からよく見ていた塔だ。
よしッ! あそこへ行ってみよう、、、と。


そしたら、、、そこは高徳院の永代供養納骨堂だった。桶狭間の戦いとも
今川義元とも無関係の施設だった。何だ、こりゃ! 紛らわしい!
こんな事を書いたら叱られそうだけど、、、
何だか前記 「史跡桶狭間古戦場」公園の近くにこの寺を建てたので、
義元公にあやかって利用したような?? スミマセン!^_^)

その他、詳しい内容は 写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫ を、
ご覧ください。

元に戻って高徳院正面門を出て、先ほどの竹林土手の小さなお地蔵さん
の場所を再度歩いてみる。すると、、、?

【Img_0037】
Img_0037こんな義元公の仏式の墓標 とか?
それでは上記小さな公園内の墓石は何だろうか?
これまた、よくワカラン?
こちらも下部の説明を読むと、、、
後編に出てくる別の場所(田楽狭間)と関係ありそうな?





≪これより後編です、、、!≫

◎まぁ~そんなこんなで、、、
信長と義元の銅像を見つける事が出来ないのが腹立たしい、、!?
たしかに何処かに有るはずだッ! 
今度は坂道をもう少し上まで歩いてみよう、、、途中タクシー会社が有って
運ちゃんらしいオッサンが洗車してたので、「カクカクしかじか」、と尋ねて
みたらば?、、、何とッ!

「桶狭間古戦場て~のは、もう一ヶ所 他の場所も有るだでッ!」
、、、
、と、のたもうたッ! ギクッ! そんなバカな?、、と思いつつ、しかし、、、
教えられたとうり坂道をさらに上って行く、、、今度は自転車に乗った
オバサンが来たので尋ねたらば?、、、
「あそこを右に曲がって、左に下って、、、なんたらかんたら?」、と、、、
説明が難しそう?

ポカ~ンとしていた私を見たオバサンが「なら一緒に行くだで~」と!^_^)
私の事を「何処かのボケ爺ィ~だろう?」、と思ったのか、、、?
自分の自転車には乗らず、わざわざ押しながら親切に同行してくれた、、、
結局、最初の小さな公園を出てから20分程も歩いたかな~?

歩きながら親切なオバサンが、名古屋市と豊明市が何たらかんたら、、?
良く解らない事を喋っている。そして間もなく、、、ジャジャーン!
有ったッ! ついに見つけた! 
以前ネットか何かで見ていた信長と義元の銅像、この公園だったのか!

Img_0042 Img_0052Img_0049_2

Img_0054ここは先に行った公園より少し広い、、、
そして信長、義元の銅像の他にも、合戦の
様子を当時の地形や両軍の配置など実体的に
ジオラマで表現して理解を深める様な工夫も
されている。
歴史愛好家には喜ばれるだろう!

下剋上の戦国時代、西暦1560年に起こったこの桶狭間の戦い、、、
全国的にはまだ無名だった織田信長はこの戦に勝利して以降、、、
一気にその名を全国に轟かせた。
以後、300年強、日本は信長、秀吉、家康の三傑に統治される事となる。
上図、信長、義元の銅像に挟まれた石標、まさに「近世の曙」だろう!

ここの現在の場所は桶狭間北三丁目、、、
昔は“田楽坪”、“田楽狭間”、、、と呼ばれていたとか?
以下の写真【Img_0043】をご覧ください。

その他、この公園内の重要な標示板は下記のとおり(各クリツクで拡大)
【Img_0043】、  【Img_0045】 【 Img_0051】、  【Img_0056】
Img_0043 Img_0045 Img_0051 Img_0056

【Img_0063】
Img_0063 

その他、こちらの公園の詳細も写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫ を、
ご覧ください。

◎そして、、、
件のオバサンが喋っていた事は、後日ネットを調べてやっと理解できた。
つまり、、、
Photo_2
左図のとおり、、、
私が最初に行った名鉄中京競馬場駅近くの
公園「史跡桶狭間古戦場」は豊明市に有る
「桶狭間古戦場伝説地」、と呼ぶのが
正しい様で、、?

そこから私が住宅街を20分程も歩いて着いたここ信長と義元の銅像が
有るこの公園は名古屋市緑区 有松に有る「桶狭間古戦場公園」、が
正確な呼称らしい。ややこしいのはちょうど豊明市と名古屋市緑区の
境界付近に位置する事だ。

これも後日、ネットで調べて解った事だけど、、、
この二ヶ所の距離は2kmほどだが、電車で行く場合は最初に行った
古戦場伝説地 の方が便利で、後の古戦場公園 は有松駅から徒歩では
ちょっと遠い。

いずれにせよ、豊明市の古戦場伝説地 の周辺地図に名古屋市緑区の
古戦場公園の記載や紹介が一切ないのは何故か?
逆にここ古戦場公園にも、豊明市の古戦場伝説地 の記載紹介がない。

豊明市は今川方、名古屋市緑区は織田方で互いに張り合っているのか?
両市は犬猿の仲なのか? こんな話は各地で似た様なのが良くあるけど、
「桶狭間はこっちだぎゃぁ!」、とまるで子供のケンカみたゃ~だ!^_^)

そう云えば件のオバサンも笑いながら話してたな~、、、!
地元では観光PR目的で、毎年桶狭間合戦に因むお祭りをとり行うが、
名古屋市と豊明市の両市はそれぞれ別々に行うらしい?
まったく、どっちもどっちで大人げない対応には呆れてしまう!^_^)

地元の人達はそんな事も慣れっこだろうが、今回の私の様なよそ者、
部外者は、なぜ桶狭間が二ヶ所も有るのか? 戸惑うだろうがッ!怒)
 
結局、今川義元が討死した場所は私が先に行った「桶狭間古戦場伝説地」
なのか? それとも後に行った、ここ「桶狭間古戦場公園」なのか?
主戦場跡はどっちだったの?  そもそも450年ほども昔の話なので、
ピンポイントでその場所を特定できる筈もなし! 
  、、、だから分からなければ“この辺り一帯”、とすれば良いものを!

その“この辺り一帯”、って話も、、、
そもそも桶狭間 とはどんな所か? と考えたら、先ず「狭間」か「谷」を
思うので山地を想像するだろう。 しかし実際には現在の名古屋市の
東南部に位置し、平地とゆるやかな丘陵地で形成される土地なのだ。

案内板などに載っている地図には昔の呼び名で○○山などと記述され
ているが、実際には標高100メートル以下の単なる丘、否それより低い
数十メートルの起伏の丘陵地帯だった。

桶狭間の戦いは両軍合わせて2~3万の軍勢が激突した大規模な戦い
だった、と云われている。従って戦いの場はかなり広かったのでは?
もちろん現在の桶狭間一帯は宅地化が進んで当時の面影はまるでなし。

◎そして最後は、、、!
銅像が建ってた「桶狭間古戦場公園」からの帰路は、名鉄の有松駅まで
歩いて帰った、、、有松絞り で有名な古い街並みをブラブラと、、、!
Img_0078Img_0080







◎上記ニヶ所の公園の詳しい写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫、を
  ぜひ併せご覧ください。

◎参考資料

歴史年表【天下統一までの足跡】
桶狭間古戦場(Google Map)
桶狭間 (Wikipedia)
桶狭間の戦い (Wikipedia)
桶狭間の戦いの場所の真実! 
名古屋市緑区vs.豊明市 
豊明市「古戦場伝説地」と名古屋市「古戦場公園」
豊明と緑区の桶狭間古戦場を一緒に観光開発できるの? 
有松・鳴海絞り(Wikipedia)

◎コメントは こちら から、、、!

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。