感動の映画(1) 『杉原千畝 (SUGIHARA CHIUNE)』
久しぶりに映画館に行って邦画を観た。それも、、、
『杉原千畝 (SUGIHARA CHIUNE)』 、『海難1890』 の二本をまとめて!
先ずは 『杉原千畝 (SUGIHARA CHIUNE)』 からその概要とオレ流感想を!
◎最初に、、、
杉原なにがし? と云う外交官が、今次大戦中のヨーロッパで多数の
ユダヤ人にビザを発給して国外に出国させた話は以前から凡そ聞き
知ってはいたが、、、
しかしその詳細は知らず、また当人の名前“千畝”を“チウネ”って呼ぶ事も
この映画を観るまでは知らなかった!^_^)『杉原千畝 (SUGIHARA CHIUNE)』
製作:2015年、日本
配給:東宝
上映時間:139分
監督:チェリン・グラック(日系アメリカ人)
主な出演者:唐沢寿明、小雪、他、日本人俳優。
ボリス・シッツ、アグニエシュカ・グロホウスカ、
ミハウ・ジュラフスキ、ツェザリ・ウカシェヴィチ、など
ポーランド人俳優。
この映画は第ニ次世界大戦時、日本のリトアニア領事として赴任していた
杉原千畝 が、政府の方針に反して 6,000人ものユダヤ難民にビザを発給
して、その命を救った、と云うヒューマン・ドキュメンタリー!
映画の最後のナレーターでは、現在彼らの子孫が世界中で4万人以上も
実在しているらしい!?
映画は後に“日本のオスカー・シンドラー”と呼ばれる事になる
杉原千畝 が単なる外交官である以上に、インテリジェンス・オフィサー
(諜報外交官、早い話がスパイ!) としての知られざる一面にも迫った
歴史ドラマでもあった。
◎ストーリーの概略は、、、
時は1934年、外交官・杉原千畝が満州で
ソ連北満州鉄道譲渡の交渉を成立させる所から
始まる。
その後、杉原が希望していたモスクワ大使館への
赴任がかなわず、リトアニア・カウナスにある日本
領事館での勤務を命じられる。
1939年風雲急を告げる当時のヨーロッパ!
歴史的な流れで云うと、独ソ不可侵条約が1939年8月に締結され、
同年9月にドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が開戦する。
リトアニアなど バルト三国 は、先ず39年からソ連に、そして41年からは
ナチス・ドイツに占領される。
杉原はリトアニアで諜報活動を開始、冷静に激動の
ヨーロッパ情勢を分析、日本に発信していくが、?
間もなく、上記した様にナチス・ドイツがポーランドに
侵攻して第二次世界大戦が勃発したこの頃から、
ポーランドの隣国に位置するリトアニアにも
ナチスの迫害から逃れようと通過ビザを求める
ユダヤ難民が杉原の日本領事館へ大挙して
押しかけて来る。
そこで杉原は当然本国政府の指示を待つが、、、
日本政府の了承を得られないまま杉原は自らの
危険や家族への危険を顧みず、独断で難民たちに
日本通過ビザを発給することを決意する。
この辺りが、この映画のクライマックス・シーン!
◎また映画では、杉原が自分の諜報活動に裏付けされた確かな情報を
上司に対して熱く語り、説得するシーンがある、、、
ナチス・ドイツを信奉する純粋なまでに軍国主義の上司と違って、杉原は
ナチスの強引な対ヨーロッパ侵略政策を批判し、 独ソ不可侵条約の危うさ
も見抜いていた。つまりドイツはいずれソ連に侵攻するかも?、と予想。
従って日独伊三国同盟を画策する日本政府は、今の内に政策変更の
必要性がある、、、と。
しかし、上司はこの杉原の進言を一笑に付し、逆に杉原を罵倒する。
やがて事態は杉原の進言したとうりとなり、そこまでは良かったが、
その後の状況に対する杉原の予想で 私が気になったシーンは、、、?
『日独伊三国同盟を結んだ結果、日本は最終的には米国との戦争になり、
日本は負けるだろう。資源のない国が無謀な拡張政策を取ると悲惨な
結果を招くだろう!』、、、と熱弁をふるう!
この辺り、映画の中での杉原の発言は実際にはあり得ない? と思うし、
これは戦後の結果を、杉原役の唐沢寿明に語らせた余分な事、、、!
せっかく ヒューマン・ドラマとして素直に感動しながら観ていたのに、
見え透いた今次大戦の事後批判発言には違和感を感じてしまった!
◎話を戻して、いよいよ映画のエピローグ、、、
杉原は日本に帰国後、この件で外務省から退職させられる?
昭和43年ソ連との貿易の仕事の間に一時日本に帰国していた杉原は、
彼がビザ発給したユダヤ人代表と28年ぶりに再会!
彼らは戦後ずっと恩人である杉原の行方を捜していた。
それは「チウネ・スギハラ」でなく「センポ・スギハラ」で探していたから?
チウネはユダヤ人には発音しにくいのでセンポと呼ばせていたから、とか?
◎最後に、、、
歴史スペクタクル的なスケールの大きい映画だったが、それを2時間半弱に
良くまとめた内容だった。それと、、、
日系アメリカ人監督だった為なのか? 邦画っぽくない雰囲気が良かった。
それは主にワルシャワほかポーランド各地での撮影が多かった事で、
各カット・シーンがヨーロッパの雰囲気を醸し出していたからだろう!
主役の杉原千畝を演じた唐沢寿明の流暢な英語セリフも印象に残った。
他にも私が印象に残った脇役ではいずれもポーランド人俳優だ。
皆なかなか味のある演技をした俳優さん達だった。
また、この映画の中でユダヤ人達が難民となって着の身着のまま、
幼い子供の手を引きながら逃げて行くシーンは、まるで現在のシリア難民
の姿とダブってしまった!、、、歴史は繰り返される、、、嗚呼!涙)
◎映画にはない話など、、、
昭和44年に杉原はイスラエルに招待され、彼がカウナスでビザ発給
の交渉をした当時のユダヤ人代表のバルハフティック、現宗教大臣とも
再会。この時、バルハフティックは初めて杉原のビザの発給が、
日本政府の許可なく、杉原個人の独断だったことを知る。
そしてそれが原因で杉原が外務省を退職せざるを得なかったこと等も!
バルハフティックはイスラエルでの「自らの犠牲を顧みずにユダヤ人を
助けてくれた異邦人に贈る」という「ヤド・バシェム賞」の受賞選考で杉原を
推薦し、杉原は1985年(昭和60年)にイスラエルから「ヤド・バシェム賞」を
贈られた。
杉原千畝 は1986年(昭和61年)7月31日、86歳でその生涯を閉じた。
一方、日本国政府による公式の名誉回復が行われたのは、
21世紀も間近の2000年10月10日になってのことだった。
この時、杉原は既に亡くなって14年目! これって 何をか云いわんや!
また、リトアニアでは杉原の事が教科書に載るほどで、殆どの国民が
杉原のことを知ってるらしい。それに比べて日本での認知度は低い。
これまた 何をか云いわんや!
◎関連資料
映画『杉原千畝 スギハラチウネ』公式サイト
杉原千畝(すぎはら ちうね)
バルト諸国占領
他、ネットでは多数の歴史関連資料が有ります。
« 胃ガンと虫歯の関係? | トップページ | 感動の映画(2)『海難1890』 »
コメント