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2015年3月14日 (土)

旅籠 “大橋屋” 閉店

昨3月13日、ローカルのテレビニュースで知ったが、江戸時代から続いて
いた旅館 「大橋屋」 がついに閉店するらしい。

この“大橋屋”と云う旅館、イヤ旅籠(はたご)と云った方が良いだろう!
それは、我が家から比較的近い豊川市で、以前ハイキングした「宮路山」
から下山した時に、初めて通った旧東海道の“赤坂宿”と呼ばれる場所で
偶然見つけた。
Ohashiya1
以前書いたブログ記事と重複するが、、、

Img_0066Img_0067この“赤坂宿”は、現在の名鉄名古屋本線
の名電赤坂駅の近くで、その昔、江戸幕府
が決めた東海道五十三次の中で、
江戸日本橋から35番目の宿場町。

ネットによれば宿場町としては大きかったようで、大名行列の本陣が4つ、
旅篭が83も有ったらしい。

Img_0072_2その旅籠の中でも有名な「大橋屋」は1716年頃建てられた
江戸時代を残す代表的な有形文化財。



Img_0075 ←あの宮路山からの帰路、「大橋屋」を覗き見してた
  何処かのオバサン?^_^)

 

Img_0078_2また交差点右角には民芸品を売る 「尾崎屋」 も有って
軒行灯が街道の面影を残していた。
近年この赤坂宿を訪れる人も少ないのか?
何となくうら寂しい感じだったな~!


新聞記事によると、冒頭書いたように、、、
旧東海道の宿場町、赤坂宿(愛知県豊川市赤坂町)で、
360年以上の歴史を持つ旅館「大橋屋」がついに明3月15日閉館!

江戸時代から綿々と旅人をもてなし続け、松尾芭蕉や歌川(安藤)広重も
泊まったとされる旅籠(はたご)。
伝統の建物は市へ寄贈され、来年以降、一般公開される予定。

「大橋屋」は江戸時代初期、1649年の創業。
元の屋号は「伊右エ門鯉(こい)屋」。現在の建物は1715年に
建てられた。2階へは吹き抜けの部屋から黒光りの階段を上る。
独特の造りをした窓の格子やひさしが2階にある。

大橋屋は、広重の「東海道五十三次 赤坂旅舎招婦図」で描かれたほか、
宿泊した芭蕉が句を詠んだと伝わっている。
1977(昭和52)年には旧音羽町(現・豊川市)の文化財に指定された。

明治時代には繁忙期、27部屋で1日100人ほどが宿泊したこともあった
という。21(大正10)年、隣家で発生した火災が延焼し、建物の3分の1
ほどが焼失したが、旅館として営業を続けた。

いまは19代目になる青木一洋さん(75)が妻の法子さん(69)と2人で
切り盛りしている。「旧東海道の宿場町で『旅籠』として続けているのは
ここだけ。江戸情緒を感じてもらえれば」と1日3組まで宿泊を受け付けて
いた。しかし近年の宿泊客の減少や体力の限界などを理由に旅館を畳む
決断をした!
、、、以上。

こんな事なら、一度は三度笠スタイルで泊まってみればよかったな~!^_^)
いずれにしても、こんな貴重な宿が無くなることは残念至極!



以下、余談だけど、、、
この近辺は 『御油や赤坂吉田がなくば、なんのよしみで江戸通い』、とか
『御油や赤坂吉田がなけりゃ、親に勘当うけやせぬ』、と謡われたほど
遊女が多い歓楽街として栄えた宿場だったらしいが、 赤坂宿で遊んだ
旅人、特に助平な旅人の次のお楽しみは?って事で、、、
四十次「鳴海宿」(現在の名古屋市緑区)か、その次、四十一次「宮の宿」
(現在の名古屋市熱田区)に着くまでは、下半身を押さえながら我慢して
歩いたんだろうな~? ってな事を考えたり、、、!^_^)

新聞記事内 写真集
公式ホームページ 「大橋屋」
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  近所の東海道散策

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