あの終戦から68年
連日の猛暑極暑! そして今日のお盆と云えば思い出すのが、、、
長崎の精霊流し! 昨年の記事だけどご覧あれ!
今は亡くなられた方に祈りを捧げ、その冥福を祈る“鎮魂の夏”、
「長崎 原爆投下から68年」、「日航123便墜落から28年」、に次いで、、
その第三弾は、『あの終戦から68年』
しかし、テレビは相変わらず朝からバカ番組! いくらノーテンキ日本人でも年に一回、テレビ局も今日ぐらいは終戦の意味を考える番組を考えたら?
改めて第二次世界大戦で亡くなられた日本人の事を調べてみたら、、、
将兵約220~230万人(朝鮮人、台湾人で日本兵としての犠牲者、 約5万人を含む。)、そして民間人約80万人、計約300~310万人。
その中の民間人犠牲者の主な内訳では、、、、、
東京への無差別爆撃、いわゆる 東京大空襲 では一夜で約10万人が
犠牲、また 原爆犠牲者 は広島で14万人、 長崎で7万人(但し、数ヶ月の内に15万人が死亡)。
また国内で唯一 地上戦となった沖縄でも、軍人を含み住民約10万人ほどが犠牲となっている。
その他、約60万人もの日本兵(人)が捕虜として シベリアに長期間抑留
され、 強制労働によって、その一割 6万人以上の犠牲者を出している。
以上、各死亡者数は諸説が有り、必ずしも正確な数字ではない。
22年前に85歳で亡くなった私の父は満州からの引揚兵だった。
幸いソ連の捕虜にはならず、シベリア抑留はなかったが!、、、
父の生前にもっと詳しくその辺りの話を聞いておけば良かった、残念! と今頃になって後悔している。
ただ私がまだ子供だった頃、父が満州とか中国の事を時々話していたのを思い出す。そのせいか? 私は大人になってから改めて満州国とか、シベリア抑留の話に関心を抱いた。そして、これほど理不尽な話はない!
と今でも当時のソ連の怖さを感じている。だからこれに関する経験者の手記や小説を含むドキュメンタリーもたくさん読み漁ったものだ。
昭和20年8月15日、 天皇による例の 『堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す、、、』 と終戦の詔勅が放送され、
16日夜半には関東軍総司令官は、中国満州朝鮮半島などの全軍に停戦命令を発した。
にも拘らず、当時のスターリン政権下のソ連は、関東軍の将兵に限らず、 北緯38度以北の朝鮮にあった日本軍将兵だけでなく、 満州の民間人男子、 樺太・千島の将兵・民間人男子を含めてその数約 60万人を列車で続々とソ連領内に送り込んだのだ。
彼らはシベリアを中心に、 何年にもわたって鉄道や道路建設、 森林伐採、 鉱山労働などに強制従事されられた。
何のことはない! スラブの白ブタ、露助ども はテメェー達のやるべきシベリア開発を、違法と知りつつ日本人捕虜にやらせたのである。
さらに露助どもは、単に日本人を長期間の極寒の地での強制労働に従事させただけでなく、赤化、つまり共産党員にしたり、共産主義を賛美する洗脳教育を積極的に実施。この過程で当然日本人同士のいがみ合いも起こるなど、、、そんな環境下で起こった日本人同士のリンチ事件 『暁に祈る』 を知った時は大いなるショックを受けた。
また、27万名ともいわれる満州開拓団は、 終戦後10万名が逃避行の途中で犠牲となった。 国策に従って中国東北部に入植した開拓団だったが、
敗戦によるその末路は悲惨だった。ソ連兵による略奪強姦、そして中国人からの報復をモロに受ける羽目になったのだ。
時々NHKテレビでも放映されている北朝鮮への日本人墓参や、中国残留孤児の話は、 その逃避行の中で中国人に預けられたり拾われたり、 あるいは買われたりした日本人の子供達の事である。真に悲惨!
平成4年6月、 シベリア強制連行はスターリン首相(当時)の直接指令に基づくものだったという文書が公開された。 翌5年11月、 訪日したエリツィン・ロシア大統領は…日本政府に謝罪し、 61,805名の死亡者名簿記録が引き渡された。 あの時、“何だッ、今頃になって!” と思ったものだ。
以下、戦争を肯定する訳ではないけど、、、
今から72年前、日本は米英仏蘭だけでなく、連合国側100ヶ国以上を相手に戦争をした。その理由とは?、、、
1920~30年代の世界恐慌で資源の無い日本が大陸にその活路を見出そうとした事 (つまり朝鮮や台湾併合、中国東北部への進出と満州国設立など)、これに反発する欧米諸国、その結果最終的に 戦争への道を進まざるを得なかった日本。
一方、当時の白人(アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなど)のアジア諸国への 植民地主義に対し有色人種の日本が挑んだ自立自存自衛の戦争だった。
(悪い言い方をすれば、遅ればせながら日本も植民地が欲しかった!)
その頃、アジアでは日本とタイだけが独立国家で、因みにアフリカはエチオピアだけが独立国家だった。
その他の国は全て白人の植民地 だった時代だ。戦後“日本はアジアを侵略した”、といまだにチャンコロやチョンどもから非難されてるし、日本人の中にも偏向メディアや売国奴連中が同じように自国を卑下非難している。
しかし上記の様に 500年以上も前から白人国家は有色人種を侵略していたのだ。
そして、明治時代の日清、日露戦争の勝利以降、1930、40年代も有色人種国家の中では只一国、日本だけが戦う力を持っていた。
だから、この戦争は白人の植民地主義に対し、有色人種の日本が挑んだ壮絶な戦い、今のテレビ流行り言葉で云えば倍返し!^_^) だったのだ!
しかし、結果は悲しいかな日本の敗戦! その後日本はアメリカが主導する 東京裁判 で断罪され、当時の政府要人、軍人が平和に対する罪? とやらで各々A級、B、C級と格付けされて有罪。
そしてアメリカによる占領。その後1951年(昭和26年)の サンフランシスコ講和条約 で日本はやっと独立を果たした。
しかし、この講和条約締結まで戦後日本を統治したマッカーサーでさえ、後年東京裁判の事を 『間違いだった!』 と語っている。また、のちに東京裁判のキーナン主席検察官も同じく 『日本を断罪したのは間違いだった!』 と語っている。
また、東京裁判では唯一インドのパール判事が 『日本は自衛のため戦った、日本の侵略戦争は歴史の偽造』、と断言している。
←靖国神社内にあるパール判事の石碑。左側には、、、
『時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう』、刻まれていた。
さらに、タイの ククリット・プラモード元首相は、「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。
それは 『身を殺して仁をなした』 日本というお母さんがあった為である。12月8日(昭和16年の開戦)は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日(昭和20年の敗戦日)は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を忘れてはならない。」、、、と語っている。
昭和28(1953年)、日本は上記戦争犯罪に問われた人たちの名誉を回復するため全会一致の国会決議をおこなった。
だから 靖国神社には戦争犯罪人はもういないのだ。
しかし、相変わらず中韓に気を遣って天皇を初め政府要人は今年も靖国参拝をせず、わずか3名の閣僚だけが本日参拝! あぁ~嘆かわしや!(涙)
以上、ネット情報をつまみ食い、我流アレンジして書きました。
今日8月15日、長崎の両親が眠る墓参りに行けないけど心の中で祈る! そして、、、、、
正午、300万人の英霊にも黙祷!
◎上記のリンチ事件とは関係ないけど、今は亡き父が酒を飲んだら必ず
唄っていた♪暁に祈る♪
http://www.youtube.com/watch?v=7WOVJbs4pOM
◎そして♪異国の丘♪も!
この二曲を聴くと亡き父を思い出して涙が止まらない!
http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM
以下、過去の関連記事。
◎“三ヶ根山”-その鎮魂の山登り-
◎新高山に登ったけど、、、 (続) (続々)
◎香港返還15年
◎♪海ゆかば♪
◎昔の日本人は?(最終回)
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