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2013年8月12日 (月)

日航123便墜落から28年

亡くなられた方に 祈りを捧げ、その冥福を祈る この季節!

前回の 原爆の話 に続いて今日8月12日は1985年(昭和60)8月12日 午後7時前、日本航空 羽田発大阪行き 123便 ボーイング747 が群馬県「御巣鷹山(おすたかやま)」付近に墜落して28年目となる。

同機はトラブル発生後、30分以上も迷走飛行! この30分間の乗客乗務員の恐怖心は想像するだけでも、、、絶句!
そして最後は群馬県の山中に墜落。搭乗員524名中520名が死亡。 著名な犠牲者としては歌手の坂本九など。
生存者は女性4名のみ。現在に至るまで単独機としては世界航空史上最悪の事故だった。20070602003034

←(当時話題になった写真。生存者の一人、12歳の少女を自衛隊のレスキュー隊員が救出しているシーン)

1985年当時、私はブラジル サンパウロでこの事故を知った。忘れもしない事故から二日後の正午前、ちょうど会社近くのレストランへ昼食に行く途中の車中、現地のラジオ放送で知ったのだった。

公表されている事故原因は、、、
後部圧力隔壁の損壊と、それに続く尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊により操縦機能の喪失をきたしたため。隔壁の損壊は、1978年に行われた隔壁の不適切な修理に起因したもの(航空事故調査委員会による推定原因)、となってるが、、、
実際には異論異説も多く、事故後の捜索、救難活動の遅れ、なども含めて未だに多くの謎に包まれている。

後年2000年頃だったか? 香港在住時代に読んだ長編小説、山崎豊子の 『沈まぬ太陽』。これなんかフィクションとは云え、当時の日航社内の内実、複雑な労使関係などが赤裸々に描かれていて、非常に面白く、またビックリ仰天する日航と云う会社の実態だった。物語の中で当然、前記 123便事故の事も盛り込まれている。
それ以降も日航は時々小さな事故が続いて、当時私は日航“Japan Air Line” の事を“Japan Accident Line”、と皮肉っていた(怒)。

飛行機事故の確率は全ての交通機関の事故の中では一番事故率が低く、車などと比べたら遥かに安全と云われているが、しかし一旦事故になると、先ず間違いなく死ぬ。他の陸上や海上の乗り物では、助かる命も飛行機の場合はそうはいかない、必ず死ぬ!

そして世界の飛行機事故は何故か続く時は連続して起こる? あの日航123便の事故の教訓も活かされず、あの後も何回も事故が起こっている。
あの頃、私は仕事で飛行機は頻繁に利用していたから事故のニュースに接する度に恐い恐い! と思いながら乗っていたけど、、、。
特に離着陸時が一番怖いので、無事に目的地に着陸した時など、コッソリ拍手などしていた!^_^)

つい最近でも韓国アシアナ航空の事故など、、、空の安全はいったいどうなってんだろう? ただ、もう昔と違って今の私は飛行機を利用する事は殆ど無いけど!

ちょうどお盆の季節、28年前の日航123便事故の犠牲者となられた520名の方々の冥福を、改めて心からお祈り致します!

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