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2012年11月 8日 (木)

昔の日本人は?(最終回)

「昔の日本人は、こんなではなかったのでは? (最終回)」

今とは違って昔の日本人が持ってた良いところ、外国人の目から見た日本人の素晴らしいところ、、、などなど拾い集めた特集の第四弾、これが最終回です!

以下、黒字 は参考資料からの引用、青字 は拙コメント。 

■ラビンドラナート・タゴール、インド人、詩人、1916年(大正5年)来日

日本が日露戦争に勝利した時、ベンガル語で短歌を詠んで日本を称えた。後日来日して、日本文化の精神性の高さ に感動し「日本紀行」を著した。

【日本文化の精神性は昔から伝わる絵画、華道、茶道にも表れている。また宗教観も単に仏教に留まらず、神道に繋がる精神性を持ち合わせている。】

■ポール・リシャール博士、フランス人、法律家。
東洋の精神文化を求めてアジアを目指し、1916年(大正5年)最初数ヶ月の予定で来日したが日本に魅せられ4年間滞在。

分裂し相争う世界を統合する事は日本にしかできないと主張。1919年(大正7年)、パリの講和会議で日本が「人種差別撤廃案」を提出 した際も列国の要人に働きかけ協力をし、結果11対5で圧倒的多数決を得た。

しかし議長のアメリカ大統領ウィルソンが平然と、全員一致ではなかったからと屁理屈をこねて否決を宣言。国際連盟議会のルールであった多数決に従う事を拒否 した。彼は日本人に、植民地政策を転換しない欧米にもう期待する事をやめて、自分たちの力で「アジア連盟」を作る事を進言した。

【結局、西洋人は今現在でも心の底では 日本人などアジア人蔑視 の心情は変わっていない、って事を知るべし!】

■コリン・ロス、ドイツ人、新聞社の海外特派員、1939年(昭和14年)来日。
「日中戦争見聞記、1939年のアジア」より、、、

わたしたちの大型車メルセデスは、日本の狭い道路にとってあまりにも長大で重すぎた。しかし、車が町角の家にぶつかったり、耕作したばかりの畑に深い車輪のあとをつけても、人々は決して立腹した様子は見せなかった。

車が故障で動かなくなったときは、いつもただちにいかにも当然であるかのように、援助の手が差しのべ られた。その際謝礼を出そうとすると、彼らはまるで侮辱されたかのように驚きの表情をあらわにして拒否した。日本人は、全世界でもっとも友好的で上品だ。地球上で日本人に匹敵できるほど、親切で礼儀正しい国民はないであろう。

【この点は基本的には正しい認識だが、最近の日本人は? 特に礼儀に関しては?】

■デール・カーネギー、アメリカ人、実業家、作家。
(鉄鋼王のカーネギーとは無関係)、1953年(昭和28年)来日。

人間関係を良好にする秘訣を説いた「人を動かす」は世界で1500万部以上を売り上げ、聖書に次ぐ世紀のベストセラーとなった。来日して、「日本人は、私が生涯かけて発見した 人間関係の法則を、既に何百年も前から実践していた」と驚嘆した。

■アーノルド・J・トインビー、イギリス人、歴史学者、1929年(昭和4年)来日。
「英紙、オブザーバー」1956年(昭和31年)10月28日より、、、

第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ 戦争によって利益を得た国々の為に偉大なる歴史を残した といわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でない ことを明らかに示した点にある。

【その大東亜共栄圏の内、シナとチョンだけが、それを認めようとはしない!】

■アイヴァン・モリス、イギリス人、翻訳家、日本文学研究者。
(ロンドン大学で「源氏物語」の研究をし称賛、大岡昇平、三島由紀夫などの
翻訳を通し日本文化の紹介に努めた。)

特攻という非合理な攻撃への志願は自発的ではなく脅迫、あるいは洗脳によってなされたに違いないという欧米人の考え方に疑問を持ち、日本人の歴史を丹念にたどり、ひとりひとりの若い特攻隊員にとっては、それが病的な狂信や暗愚とはほど遠い、日本人の 古来からの美意識や気性 にもとづくものであり、ひたむきな誠実さ、高貴なる精神 の発露であったと語っている。

■ベルナール・ミロー、フランス人、ジャーナリスト。
特攻を深く掘り下げて研究をした。「神風(KAMIKAZE)」より、、、

本書の目的は、皮相的な見方から一歩踏みこんで西欧から見た神風に、新たな脚光を浴びせることであった。また著者の意図したところは、この日本の自殺攻撃が 集団的発狂の興奮の結果などでは断じてなく、国家的心理の論理的延長が到達した点であらわれた現象であり、戦局の重圧がそれをもたらしたものであることを明らかにすることにあった。

このことを、我々西欧人は笑ったり、哀れんだりしていいものであろうか。むしろそれは 偉大な純粋性の発露 ではなかろうか。日本国民はそれをあえて実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた。世界で最後の国民となったと著者は考える。

たしかに我々西欧人は、戦術的自殺行動などという観念を容認することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到底できないのである。

■アンドレ・マルロー、フランスの作家、冒険家、政治家。
(第二次世界大戦中はドイツへの抵抗運動に身を投じた。戦後はド・ゴール政権下で情報相や文化相を務めた。)

日本は戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。スターリン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。

日本の特別特攻隊員たちはファナティックだったろうか、断じて違う。彼らには 権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった、祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナティズムとは根本的に異質である。人間はいつでも偉大さへの志向を失ってはならないのだ。

フランス人のなかには、なぜ若い命をと疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつも言ってやる。 「母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見過ごせるものだろうか?」 と。

私は、祖国と家族を想う一念から、恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、潔く敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに、男の崇高な美学 を見るのである。

【特攻精神とか武士道精神が本当に解る外人は、そう滅多にいないだろう!】

このシリーズ最後に私が尊敬するインドのパール判事について。

Img_0084_2_2ラダビノード・パール(1886~1967年)。インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、ベンガル人。

(左の写真は2009年12月27日、私が初めて靖国神社を参拝した時に撮影したもの。)

戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)が1946~1948年の間開かれたが、この裁判で 『日本は満州事変(1931年)から盧溝橋事件(1937年)を経て日中戦争に突入し、日米開戦(1941年)、そして終戦に到るまでのプロセスを「侵略戦争」と断定。 この「侵略戦争」を計画し、準備し、開始し、遂行したことは、「平和に対する罪」に当たると』として、俗に云われているA級裁判、B、C級裁判が行われ、その被告は“戦犯”とされた。

この時、インドのパール判事は、被告人全員の無罪を主張 をした唯一の判事だった。( 「意見書」、通称“パール判決書”) 、、、東京裁判以降は、国際連合国際法委員長や仲裁裁判所裁判官を歴任して国際法に関与した。

東京裁判では、一応形式的には弁護団も構成されたが、その殆どが米英豪など戦勝国、連合国側の弁護士で構成されていた。そんな中、連合国側でありながらインドのパール判事だけは、この裁判が戦勝国が敗戦国を裁く矛盾点と“法の真理”を説き、 “戦犯”とされた被告人全員の無罪を主張したのだ!

東京裁判は明らかに 戦勝国による日本への報復裁判 だった。後に彼のGHQ総司令官マッカーサーもそれを認め、「東京裁判は間違いだった!」 と語っている。 東京裁判に先だって開かれたナチス・ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判も同じように勝者による報復裁判だった。 この時、それまでの国際法には無かった戦争犯罪の適用範囲に “人道に対する罪”、“平和に対する罪”、などを急きょ導入し、これをナチスと日本に無理やりにこじ付け当てはめたものだった事は今や明白。 (ナチスはともかく、日本には当てはまらない!)

しかし、その裁判の最終結果は?、、、A級戦犯は全部で約200名 が、巣鴨拘置所に逮捕監禁されたのと同時にB、C級戦犯約5,600人 が各地で逮捕投獄された。横浜、上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス島等々南方各地の50数カ所の牢獄に抑留され、約1,000名が軍事裁判の結果、死刑に処された。
(A級戦犯として7人の絞首刑が遂行され、その内訳は下段に詳細。)

かたや戦争末期、米国による日本への無差別空爆、特に長崎、広島への原爆投下は“人道に対する罪”に当てはまらないのか?

○ 田中正明著 『パール博士の日本無罪論』 によれば、、、
判事はその後、、、日本の教科書が東京裁判史観に立って 「日本は侵略の暴挙を犯した」、「日本は国際的な犯罪を犯した」、などと教えていることを大変に憂えて 『日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのを私は平然と見過ごすわけにはいかない。』、とまで語っている。

日本人が敗戦後、そのアイデンティティーを失って茫然自失していた時に、パール判事の言葉でどれだけ救われたことか! 我々は決してこの恩義を忘れてはならない!

また戦後のいわゆる 自虐史観 は博士が心配したとおり、日本人が自らの手で歴史を歪め、辱めた 日教組による最悪の洗脳教育 だった!

日本政府は、『東京裁判については、連合国に代わって刑を執行する責任を負っただけで、特に1951年(昭和26年)の サンフランシスコ講和条約 締結後は、東京裁判の判決理由に拘束される必要はない。』、つまり 日本には既に“戦犯” は存在しないのだ!Img_0078_2

だから天皇はもちろん、歴代総理大臣他、時の政府首脳は シナやチョンが何と云おうと無視して、正々堂々と靖国参拝をすべき なのだッ!

○ 上記、A級戦犯として絞首刑にされた7名の方々は“殉国七士の墓”として、愛知県 幡豆郡 幡豆町の“三ヶ根山”山頂に祀られている。

この事を知らずに、ある日ハイキングした時に初めて知る!
その時のブログが「“三ヶ根山”-その鎮魂の山登り-」 


これも参照⇒[2008年1月19日(土)] 三ヶ根山(さんがねやま)

以下、7人の“殉国七士”名と、各々東京裁判で下された理不尽な罪状!


*東條英機- 軍人
 第40代内閣総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害。)
*板垣征四郎 - 軍人
 陸相(第1次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)
*木村兵太郎 - 軍人
 ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)
*土肥原賢二 - 軍人
 奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
*武藤章 - 軍人
 第14方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)
*松井石根 - 軍人
 中支那方面軍司令官(南京攻略時)(捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)
*広田弘毅 - 文民
 第32代内閣総理大臣(近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任)

○ここに改めて 『謹んでご冥福をお祈り申し上げます!』

今の“平和ボケ日本人”は、日本の平和が過去の戦争で尊い命を落とし、犠牲者となられた多くの方々の御霊の上に成り立っている事を肝に銘じるべし!



以上でこのシリーズは終わります。これを書きながら改めて日本人の
素晴らしい特質を考え直す、良い切っ掛けとなりました。
今後も時々標題に関連した記事を書いてるので、本文記事欄左側の
“昔の日本人は、、?”シリーズ をご覧下さい!


◎参考資料:

*「国民の歴史」(西尾幹二 著)
*「戦後歴史の真実」(前野 徹 著)
*「決断できない日本」(ケビン・メア 著)
*「いわゆるA級戦犯」(小林よしのり 著)
*その他の手持ちの本など。
*Wikipedia「A級戦犯」、「BC級戦犯」 などネット情報等々。
*「勝者の書いた歴史は真実か?」
*「ぼやきくっくり」

◎コメントを見たり、書いたりは こちら からどうぞ!

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