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2012年11月 1日 (木)

昔の日本人は、、、?(2)

「昔の日本人は、こんなではなかったのでは?(2)」

元来日本人は、こんな筈ではなかったのに? と思って、改めて過去世界の人々が日本人の事をどう見ていたか? と暇にまかせて、昔から日本人の事を好きになったり絶賛していた外国人の事を、手持ちの本やネット上からいろいろ拾い上げてみたら、、、、、

以下、黒字 は参考資料からの引用、青字 は拙コメント。 

1873年(明治6年)来日。バジル・ホール・チェンバレン、イギリス人(言語学者) 後に東京帝国大学の文学部教師を務めた。

彼は日本人のことを、逞しく健康的な国民で、知的にも道徳的にもヨーロッパ人と比較して少しも劣ることなく、これほど技術の習得に優れ、戦争に際しては騎士道的で、人道的な国民は他になく、日本の軍隊は規律正しく優秀で世界最強であると評した。
高い精神性を持つ日本文化を西洋化するのは間違いで、欧米こそ日本に学ぶべきと説いた。

【騎士道的ってのは即ち 武士道! これが旧日本軍の良い面に受け継がれたもの。ただ 騎士道は“個”に対して武士道は“家”、即ち“公” も意味するが、これが現代に於いては武士道の本来の精神からかけ離れて、コンセンサス重視の社会となり、これのマイナス面が時として誰も 責任を取らない事 にもつながっている。】


1877年(明治10年)来日。エドワード・S・モース、アメリカ人(東京帝国大学で生物学を講じた。)
「日本その日その日1」より、、、

外国人は日本に数カ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている 善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っている らしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり、これらは恵まれた階級の人々ばかりでなく、この国では最も貧しい人々も持っている特質である。

【やっぱり日本人のDNAって~のは、単に歴史の積み重ねで出来たものではなく、持って生まれたもの なのだ! ただ最近はその他人への思いやりも薄れてきた な~!】


■1878年(明治11年)来日。アーネスト・F・フェノロサ、アメリカ人(美術研究家。東京大学で政治学や哲学を教えた。)
美術行政にかかわり、東京美術学校創設などにも尽くした。日本文化に傾倒し、日本人よりも日本美術を愛したと評される。

「中国および日本の特徴」より、、、
日本のとるべき最上の道は、日本が東洋的伝統の理念をしっかりと保持して行くこと だと私は信じている。
この道こそ日本が人類に対して果たすべき重大なる任務であり、日本こそこの聖火を守る最後の国である。

【この、シナではなく 日本が東洋的伝統の理念を保持、ってのは最重要! 良くぞ言ってくれました!


■1878年(明治11年)来日。イザベラ・バード、イギリス人(女性旅行家。日本各地を旅した。)
「日本奥地紀行」より、、、

ヨーロッパの多くの国々や我イギリスでも、外国の服装をした女性の一人旅は、無礼や侮辱の仕打ちにあったりお金をゆすりとられることがあるが、ここでは私は一度も失礼な目にあったこともなければ、過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても失礼なことをされることはない。

【この件は、明治時代のみならず平成の世でも同じ。しかし外国は恐い、日本人と分かったら何されるか?】


馬子は 私のことを絶えず気をつかい、荷物は旅の終わりまで無事であるよう細心の注意を払う。
私は日本の子どもたちがとても好きだ。私は今まで赤ん坊の泣くのを聞いたことがなく、子どもがうるさかったり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。

【日本人はかように昔から親切だった、、、それが今では他人への気遣いもなくなったな~!】

日本では 孝行が何よりの美徳で、何も文句を言わずに従うことが何世紀にもわたる習慣となっている。英国の母親たちが子どもを脅したり手練手管を使って騙したりして、いやいやながら服従させるような光景は日本には見られない。

【このイザベラ・バードさんが、今の日本の 満足な子育ても出来ない母親、児童虐待をする親 を見たら何と思うだろう?

庶民の振舞いに私は目を見張った。美しかった、とても 育ちがよく親切 だった。英国と何という違いだろう。老人と目の見えぬ者への いたわり は、旅の間とてもはっきりと目についた。われわれの一番上品な振舞いだって、優雅さと親切 という点では彼らにはかなわない。

【ここまで褒められたら、こっ恥ずかしい!(汗)】

■1881年(明治14年)来日。アリス・ベーコン、アメリカ人(女性教育者、華族女学校(後の学習院女学校)の英語教師として活躍した。
「明治日本の女たち」より、、、

日本が芸術や造形、色彩を愛する国として欧米で知られているのは職人の功績である。職人は忍耐強く、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。

【これは今でも受け継がれてるでしょう! しかしその 職人自体が減り 後継者がいなくて困っている。】

買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で 納得できないものを作ることは決してない。日本人は貧しい人が使う 安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。

【こりゃ~今でも云える事。100円ショップでも時々良い物が手に入るからな~!^_^) しかし同じ100円ショップ品でも Made in China はダメ!】

一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。 もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある安い日用品であった。
貴族から人夫にいたるまで誰もが自然の中にも日用品の中にも、美を見い出し大切にしている。

【同上、日本ではあらゆる 生活用品の質が外国製とは比べものにならない。さらに、その品質もさることながら、種類が圧倒的に多い! 多すぎて迷うぐらい!】

■エライザ・R・シッドモア、アメリカ人、紀行作家。
世界各地を回って日本に魅せられ、1884年(明治17年)以降6度も来日した。

ポトマック河畔の桜並木 は、シッドモア女史からタフト大統領のヘレン夫人への提案で実現したもの。
【へ~? あの桜はそうだったのか! そこまでは知りませんでした!】

また、彼女は日露戦争時の日本の ロシア人捕虜に対する人道的な扱い を題材とした小説 「ヘーグ条約(ハーグ陸戦条約)の命ずるままに」 を著し、アメリカでの対日理解に貢献した。
ハーグ条約の事は知ってたけど、、、そうだったんだ~! 偉い人だったんだな~!】

しかし、1924年(大正13年)アメリカ議会が通過した「排日移民制限法」に憤って母国を捨てスイスに移住 した。
1928年死亡、日本政府の計らいで遺骨は横浜の山手外人墓地に眠る。
【こういう人こそ単なる日本びいきではなく、日本を本質的な事まで理解 してた人!】

■エドウィン・アーノルド、イギリス人、詩人、インドのデカン大学学長。
1889年(明治22年)来日、帰英後はデーリーテレグラフ紙の編集者。
「ヤポニカ(Japonica)」より、、、

この国以外世界のどこに、、、人生のつらいことも受け入れやすく、品のよいものたらしめようとする広汎な合意、洗練された振舞い を万人に定着させ受け入れさせるみごとな訓令、言葉と行いの 粗野な衝動の普遍的な抑制、毎日の生活の絵のような美しさ、生活を飾るものとしての 自然への愛、美しい工芸品への心からの喜び、楽しいことを楽しむ上での率直さ、子どもへのやさしさ、両親と老人に対する尊重、洗練された趣味と習慣の普及、異邦人に対する丁寧な態度、自分も楽しみ、他人も楽しませようとする上での熱心、この国以外のどこに、このようなものが存在するというのか。

【ここまで連続的に褒め言葉が連なっていたら、いささか面映ゆい!
この中で、現代では既に見られなくなった、日本人の特質が語られているな~!】


◎以上、このシリーズはまだ続きます!

◎参考資料:
*「国民の歴史」(西尾幹二 著)
*「戦後歴史の真実」(前野 徹 著)
*「決断できない日本」(ケビン・メア 著)
*その他の手持ちの本など。
*「勝者の書いた歴史は真実か?」
*「ぼやきくっくり」

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