映画監督 若松孝二
今朝のネット新聞によると映画監督の若松孝二さん(76) が昨17日、都内で交通事故で亡くなったとか!
若松孝二監督と云えば 常々“創作の原点は怒り” と語り、古くは連合赤軍を追ったドキュメンタリー「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」 (71年)。
この動画のラスト10分に 重信房子 のインタビュー映像が出て来るが、この女があの頃世間を騒がせ“魔女”と呼ばれた、連合赤軍の重信房子の当時の顔だったのか! と初めてその顔を見た。彼女はたしか2000年頃大阪で逮捕された時の写真では、メガネをかけた貧相で年老いた婆さんの様で、この動画の顔と比べると時の流れを改めて感じる!
また、若松監督は 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(08年)など、反体制的な社会批判をこめた作品を多く手掛けてきた。70年代は当時の学生運動の盛り上がりとあいまって、若者の支持を得た奇才。
私自身は 学生運動には無縁で、逆に批判的 だったが、上記二本の映画を観た時、監督の凄まじいばかりのリアリティーの世界に理屈抜きで引き込まれた事を憶えている。
最近では「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(12年)で、久しぶりに同監督の映画を観て興奮したものだ! そしてその 感想をこのブログ でも書いた。
この映画を観た名古屋の映画館 は、若松孝二監督がオーナーと聞いている。これからどうなるんだろうか?
また若松監督は70年代末、大島渚監督の「愛のコリーダ」 の製作代表を務めたりしたが、当時日本ではこの映画は映倫に引っかかって上映されなかった。しかし私はこの昭和史に残る “阿部 定事件” を題材に、男女の愛欲の極限を描いたタブーとも云える映画を、80年代中頃当時住んでいたブラジル・サンパウロで観る機会を得て、その時大きなショックを受けた事を今でもハッキリ憶えている。
私は昔の古~い洋画 しか好きではないし、最近ではそんな 古い洋画をDVDで観たり している中、それでも数少ない好きな日本映画の監督の一人が若松孝二監督だった。
改めて、若松孝二監督のご冥福をお祈り致します!
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