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2012年8月22日 (水)

因果応報,Ⅱ

原爆をテニアン島まで運んだ米海軍の 重巡洋艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) の当時の艦長 チャールズ・B・マクベイ3世 は艦が沈没した後も生き残った。

320名ほどの生存者の中の一人だったのだ。しかし彼は1945年11月、軍法会議にかけられ回避ジグザグ運動を怠って艦を危険に晒し、その結果日本の潜水艦により撃沈され多数の死傷者を出した、と云う罪だった。そして結果は有罪とされた!

ただ、戦時中の交戦結果でこんな軍法会議を開くこと自体が当時のアメリカでは稀なことだった。(当時の帝国陸軍だったら、何故おめおめ生き残ったのか?、と有りそうな話だけど!^_^)

つまりこの裁判は普通の戦死以外の、救助が遅れた為の海上での衰弱死、溺死、さらにサメの餌食などで悲惨な最後を遂げた多数の 乗組員たちの遺族が軍に圧力をかけたらしい!?

ただ、有罪判決までには紆余曲折が有ったようで、因果応報,Ⅰで書いたようにアメリカ海軍自体がこのインディアナポリス号 を情報封鎖 していた結果、艦を危険な状態に置いたという確かな証拠や、またこの裁判の為に終戦後これまた幸い生き残っていた日本潜水艦伊58艦長 橋本以行 元少佐をわざわざアメリカに証人として呼んで証言台に立たせている。

そして 橋本以行 は当時自分の潜水艦と、インディアナポリス号 との距離、位置関係だったら例え回避行動のジグザグ運動をしていても撃沈できただろう! と証言している。まるで戦争映画の様な話だ!58_4

有罪になったことで マクベイ元艦長 の海軍での経歴は終わった。しかし、その後も死んだ 乗組員の遺族に責め立てられ、戦後23年も経った 1968年にピストル自殺 してしまった。何とも痛ましい、敵ながらお気の毒な話!


しかし、2000年になってマクベイ元艦長は、「彼はインディアナポリスの損失に対し無罪である」 、との議会決議と ビル・クリントン元大統領によって名誉回復している。彼の遺族はどんな思いだったろう?

一方、我が 橋本以行 元少佐は京都出身の海軍軍人で、戦後は神職の資格を取って 京都の梅宮大社の神職 となったらしい。彼はかの悪名高き人間魚雷“回天”の特攻隊員を搬送する任を負っていたため、回天搭乗員を出撃させ戦死させた事や、イ ンディアナポリス号 が、テニアン島入港前にもっと早く哨戒勤務についてたら撃沈できたのではないか? 結果日本への原爆投下はなかったのでは? との自責の念から神職になって太平洋戦争で亡くなった全ての御霊の鎮魂を祈る日々を送ったと云われている。

因みに イ ンディアナポリス号 を撃沈した時は“回天”による特攻ではなく、通常魚雷攻撃での見事な撃沈だったらしい。つまり 魚雷攻撃が出来る時はむやみに特攻はさせなかった、って事が重要。

また橋本以行 は前記マクベイ艦長の 名誉回復に最も熱心だった とも言われている。これぞまさしく 武士道精神! 何かと批判が多い日本の職業軍人の中にもこんなに素晴らしい人物がいた事に救われる!

まっこと因果応報は繰り返される!

以上、大半はWikipedia がネタ元でした。

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。