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2012年8月21日 (火)

因果応報,Ⅰ

このブログはいつも思いついた事を書いてるが、それでも毎年8月は出来るだけ今次大戦に関連した事を書きたかったのに、竹島尖閣が騒がしくなって、、、

長崎広島に落とされた原爆はテニアン島から日本までB29で飛来した事は知ってたが、アメリカ本土で人類初の原爆実験が成功した後、これを日本攻撃に使うためにアメリカはテニアン島までどんな方法で運んだのか? 国家最大機密の原子爆弾を航空機で、それとも艦船で? この疑問が前々からあった。そこで関係した本やネットで探っていく内に興味ある出来事を発見! 今まで知らなかった! 迂闊だった!

アメリカ本土からテニアン島まで原爆を運んだのは海軍の 重巡洋艦インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35) だった。Indianapolis

                                        

 

ただこの艦は1945年7月26日にテニアン島へ原爆の部品を運んだ後、皮肉にもそれから4日後の7月30日、フィリピン沖で 日本の潜水艦伊58 (回天特別攻撃隊・多門隊)の雷撃により沈没した。58_3

第二次世界大戦で日本の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇らしい!

さらにアメリカにとってこのインディアナポリス号にはさらなる悲劇が待っていた。日本の潜水艦によって沈められた後、救難信号を発していたにも関わらず、米軍側の救助が間に合わず、乗員1,200名程のうち約300名が最初の攻撃で死亡し、残り約900名はそれから5日間ほども海を漂流していた。

水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらに起因する幻覚症状、体力気力の消耗などで大多数の乗組員が死亡。これに加えて さらに悲惨だったのは約200名? 近くもの乗組員がサメの襲撃で死亡したとか? 飢えと精神錯乱と脱水状態の中で、血に飢えた何百頭ものどう猛なサメが襲ってきたら、、、、、Same

考えただけでも、その身の毛もよだつ様な恐怖は計り知れなかっただろう。救助隊が現場海域で見たものは多数の手、足、胴体、等をサメに喰いちぎられた遺体 がそこらじゅうの海に浮かんでたらしい! 最終的に救助された生存者はわずか320名ほどだったとか!

救助が遅れた原因はさまざまの説が有るようだけど、インディアナポリス号が原爆運搬と云う極秘指令を受けた隠密行動の艦だったので、他の艦とかレイテ島の米海軍基地がその位置を正確に把握してなかった事が最大の理由だったとか?

テニアンで、インディアナポリス号が運んで来た部品を受け取ったアメリカ軍は世界最初になる原子爆弾を組み立てた。そして 「リトルボーイ」 と名づけられたその最初の原爆は、一週間後の8月6日広島に、そして 「ファツトマン」 がその3日後の9日に長崎に投下された。

日本側から云えば、原爆がテニアンに着く前にインディアナポリスが撃沈されていたら、、、と悔しい思い!

広島に投下したB29 「エノラ・ゲイ」 の乗員は、原子爆弾本体に、『インディアナポリスの英霊に捧ぐ』 と云う文字を刻んで出撃したとか、、、そして、その数時間後には人類史上最大の悲劇、一度に十数万の罪なき市民 が一瞬にして犠牲になったのである。まさに因果応報とはこのこと! 

以上、大半はWikipedia がネタ元でした。

◎この話はまだ 「因果応報,Ⅱ」 へと続きます。

◎コメントを見たり、書いたりはこちらからどうぞ!

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。