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2012年7月 5日 (木)

香港返還15年

先日、7月1日は香港の中国返還15年目だった。

私としては今さらどうでも良い事だけど、ちょうど返還の年、1997年4月初めから2007年3月末まで10年間過ごした香港なので、久しぶりに香港の話をちょっと、、、。

拙HPの 「光頭老の手紙 From:Hong Kong」 でも詳しく書いてるが、もともと香港は、1840年当時の中国“清”とイギリスの間で起こったアヘン戦争以後、1997年6月30日までの約150余年間、英国女王を元首とする英国王領植民地 として続き、 その時々にイギリスから派遣された総督の下、香港政庁として植民地行政が布かれてきた。

【ほぼ同じ位置から見た香港島、中環(Central)の昼と夜、右側後ろの山が
観光スポットとして有名な“Victoria Peak”
800pxhong_kong_island_skyline_200_2

Victoriaharbour

しかし今から28年前の1984年、鄧小平とサッチャーの間で結ばれた中英協定により、1997年7月1日から中国に返還され、向う 50年間は中国の特別行政区として一国二制度 としてスタート。以降、香港の正式呼称は 「中華人民共和国 香港特別行政区」 となっている。つまり、今7月1日でちょうど返還15年目になったので、あと残り35年間、2047年までは中国の特別行政区 として続く訳だ。

日本人でこの事を良くご存じない人が居て、1997年7月1日に香港は中国に返還されたので、すでに中国の一部と理解している人が多いが、上記したようにそうではない! 今現在でも中国と香港の間には国境イミグレが存在し、中国人も香港人も各々パスポートとビザがなければ相互の往来は出来ない。つまり、まだ 互いに外国 の関係なのだ。

(もっとも中国人に云わせると、香港はもちろん、台湾も中国の一部だ、って云うけど!)

従って、まだ香港は返還前と基本的には同じ行政が布かれているので、一般香港人、それに香港在住の外国人の市民生活などは返還前と基本的にはなんら変化はない。日本人の場合、香港だけの観光目的ならば 3ヶ月に限りビザ無しで入国可能な点など、入出国手続も以前と同等。しかし香港から中国に行く場合は当然中国のビザが必要となる。(最近は15日間まではビザなしでもOKらしいが?)

私は1997年4月から香港に住み始め、その3か月後の7月にちょうどこの返還日を経験した。忘れもしないあの7月1日、その日の香港の天候はドシャブリ雷雨荒天! 当時“イギリスの涙雨”か、と密かに噂されたものだった。
それから毎年7月1日の天気を気にしていたら概ね雨の日が多かったのも事実!

また、当時良く耳にしたのは多くの香港人が、中国返還を危惧してカナダなど海外に逃げ出した、或いは逃げ出そうとしている、、、などなど噂話を耳にした。しかし数年後には逃げ出した香港人でまた香港に戻って来た人もいたとか? そんな話も良く聞いた。

多分、返還前は香港が返還と同時に共産中国化する? と考えて逃げ出したのだろうが、実際には当分は返還前と同じ状況、と云うのを後で確認できたので戻って来た、、、ってそんな香港人も多かったと聞く!

拙HPのここでも書いてるが、“香港人”は自分たちが“中国人”とは考えなくて、あくまでも“香港人”と考えている。我々日本人から見たら同じ中華民族じゃないか! アヘン戦争以前の香港は中国広東省の一部だったので文句なしに中国人だろう、、、と云いたいところだけど! 彼らはそれは認めたくないのだ。

香港の歴史を知ると、、、もともとこの地方に大昔から住んでいた広東人以外に、毛沢東の共産中国を嫌い、逃れて中国各地から香港に移り住んだ人々やその子孫も居て、それらが一緒になった人口構成となっている。上記イギリスの植民地となって150余年間、香港人は自分たちのアイデンティティーを求めて、ある意味国籍不明人的な人種でもある。だから「自分は香港人で中国人ではない!」 な~んて云い方になるのだろう!

去る1日は香港に胡錦涛が来て盛大に返還15周年を祝ったようだが、香港民主化団体のデモ騒ぎもあった模様。これは毎度のことだけど、、、。面白いと思うのは民主化団体の中には共産中国は嫌いだが、イギリス植民地時代は良かった、と考える人たちが居る事。これって“何をか云わんや”!?

また、私の香港10年間は ハイキング三昧 だったが、その時に香港中の僻地や離島も含めて歩き廻った経験で良く目にしたのは、戦時中1941年末頃から終戦までの3年8ヶ月間ほどの、、、
日本軍による香港一時占領時代の遺物。

2930←例えばラマ島の索罟湾にある 神風洞
(ふざけた名前を付けたもんだッ!)
日本が香港占領中、ラマ島も軍事基地となり数千人の部隊が駐屯。
魚雷艇をこの洞窟に隠し、敵艦に特攻をかける計画だったが実行されることなく、終戦をむかえた。洞窟内は立ち入り禁止!

その他にも戦後、香港が建てた抗日戦勝記念の碑や慰霊塔の類Dscn2444

こんなのを目にするのは日本人として本当に嫌だったが、それらは戦後香港人が自ら建てたのか? 否パトロンであるイギリスが香港人に建てさせたのだろう? なんせ当時戦時中、香港のイギリス軍は日本軍から追い出されたのだから!

また毎年8月15日の終戦日には中国はもちろん、香港でも対日戦勝記念祝日として現地マスコミは騒ぐ。、、、中国本土人はともかく、何故香港人が通常は出さない反日感情を、その日はモロに出すのか? また終戦日に限らず、香港人は何か事があれば 反英よりも反日の意識が強い。やっぱり中国の影響だろうな~?

だから 、『オメェーらを搾取したのは3年8ヶ月間の日本より、150年間も奴隷扱いしたイギリスだろうがッ!』、と今でも大声で言ってやりたい。

以下ついでに香港からフェリーで一時間のマカオ の事も参考までに、、、!Ruinas_de_sao_paulo

香港の返還から遅れる事2年5か月後の1999年12月20日、マカオの行政管理権はポルトガルから中華人民共和国へ返還され、マカオ特別行政区 となった。返還後のマカオの行政長官は中国が牛耳ってるが、香港と同じく返還後50年間は現状の保全がポルトガルとの間で取り決められている。

マカオの事も前出しの 「光頭老の手紙 From:Hong Kong」 で書いてるが、ブラジルの田舎町の風情があって、私が昔13年間住んだブラジルを思い出させてくれた街。また大昔、キリスト教宣教師達が日本など東洋進出の足掛かりとした地なので歴史的にも大いに興味が沸くところ。

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。