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2012年6月20日 (水)

11・25自決の日

今、公開中の映画 『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 を観て来た。“怒り”の映画監督 「若松孝二」 が名古屋で立ち上げたアングラ的?映画館 、、、以前 ここ の後編でも書いたが、北朝鮮を舞台にして脱北と引き裂かれた家族をテーマにした映画 『クロッシング』 を観て涙したあの映画館だ。

この映画 『11・25自決の日』 とは? 1970年11月25日に起こった あの「盾の会 事件」 を忠実に映画化したもの。当時ノーベル賞候補だった作家文学者の三島由紀夫と右翼系大学生4人が新宿区市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後、三島由紀夫 森田必勝 の二人が割腹自殺をした事件、、、私が28歳の時だった。Ad82f12b_3_2

この事件を知った時、もの凄い衝撃を受けて、『ギョッ! そこまでやるとは?』、『(当時)今の自衛隊が本気で立ち上がると思ったのか?』 などなど独り考えた。そして良く分からなかった!?  しかし、その反面、当時28歳だった私はこの事件を良く分からないながらも、ある種の感銘、感動した面持で受け止めていた事を今でも憶えている。

以前のブログ「(続々) 新高山に登ったけど、、、」 でも書いたが、、、この「盾の会 事件」を知った時、28歳の私は、まだ思想的にそれほど深い信念や思い等はなかった。つまりノンポリだったが、それより以前、私が23歳(1965年)頃から当時の日本がおかしな方向へ向かっているな~? って云うか、何となく左翼的な傾向が強くなっているのを感覚的に感じていた。それは私より5~10歳ほど年下の主に大学生たちによる激しい学生運動。そんな大学生たちに対して、私はある種の違和感、いや不快な思いさえ抱いていた。

それは?、、、実家が貧乏で大学どころか、高校進学もまともに出来なかった私からすれば、親の金で大学に行ってる、行かせて貰ってるクセに、好きなものを呑んだり喰ったり遊んだりしているクセに、頭デッカチになって自分勝手な理想を描き、社会や世の中、時の政府や大企業に不満を抱き、反体制的な言動をとる身勝手な我がまま学生達、、、としか写らなかったからだ。

特に全学連など本来の学業よりも、ベトナム反戦運動や安保反対闘争を繰り返す左翼系学生に対抗して、初めは学園正常化を目指していた民族派、右翼系学生の日学同 などが対抗して流血騒ぎを起こしたり、、、とにかく日本国中の学生達は混乱の極みだった。

60年代半ば以降、盛んになったこのような左翼学生運動は、遂には よど号ハイジャック事件、連合赤軍による浅間山荘事件 などなど、とんでもない事件を数多く引き起こした。そして最後は内ゲバで互いに殺しあって、70年代以降下火になった。つまり日本の高度経済成長と共に消え去ったのだ。内ゲバは後年のオウム麻原の“ポア”と結果的には同じ、つまり邪魔者は消せッ! って考え。

彼らがどんな理屈を付けようが、どんな方便で己の行動を正当化しようが、私から見れば 彼らが言ってる内容、日本を憂う心情には一部共感する点も有ったが、そのやってる行動自体が許せなかったし、私から見ればそれは単に我がまま学生たちによる反社会的行動、いや非人間的行動 としか思えなかった。

そして当時、私はさる大企業に勤めるしがないサラリーマン。しかし学歴がないので現場で働くブルーカラーであったが、その職場でも労働組合運動にやたら熱心な同期生や先輩の人間には、いつも違和感を抱いていた。つまり前記左翼学生達と似たような考えの人間ばかりだったからだ。

やれマルクス・レーニンがどうしたのとか、いっぱしの左翼運動家を気取っていたあの連中。そして当時そんな考えの人間に限って、後では職場の中で他人より早く出世したり、或いは左翼運動が下火になった頃、会社に入社してきて、一流大学卒と云うだけで、すまし顔で入社後間もなく管理職についたりしていた者、、、だから私はそんな彼らが大嫌いだった!

はからずも “一水会” 最高顧問で、この映画 『11・25自決の日』 の企画協力者: 鈴木邦男 は自身のHPで、当時の左翼運動家達が、、、『大学院に行った者、故郷に帰った者、家業を継いだ者、企業に就職した者…と、沢山いた。森田氏を運動に誘った「先輩」たちは皆、運動をやめて、「こちら側」の世界に戻ってきていた。森田氏は、「向こうの世界」に残り、国のために命を賭け、自決した。三島と共に。 三島だけは逃げなかった。体制破壊に命を賭けた。我々からしたら、(我々は逃げたが)、森田氏だけは逃げなかった。体制破壊に命を賭けたのだ。この事実は、重い。限りなく重い。我々は、その事実にショックを受けた。やましさを感じた。』、、、と述べている。

ここで森田氏と云うのは、前記「盾の会」三島由紀夫と共に自決した“森田必勝”の事。

かように当時の私は左翼運動も嫌いだったが、かと言って右翼的な思想も考えも知識も持ち合わせてない、ただの平凡な中庸人間だった。 しかし35歳から30年にも及ぶ海外生活で、日本を外から見たり、考えたりしている内に、本来の日本、日本人の事を深く考える様になって、、、、気が付けば、いつの間にか 中道右派的な人間 になったようだ。

だから前記したように、当時は三島由紀夫の考え方が良く理解できなかったが、今この歳になって、この映画 『11・25自決の日』 を観て、改めて三島の思想が理解できた様な気がする。

今から42年前に45歳で「盾の会 事件」を起こした三島由紀夫が今生きてたら現状日本を見て何と思うだろうか? 、、、結局何も変わっていない日本! イヤそれよりも、もっと堕落してしまった日本!

当時、彼はこう語っている、、、以下ネットより抜粋、、、

Misima_2自衛隊に対して 『君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。』

最後に事件当時、三島由紀夫が書いた「檄文」をネットより抜粋、、、、、

『われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自らの魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を瀆してゆくのを歯噛みをしながら見ていなくてはならなかった。』

『生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。』 

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