フォト
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

Face Book

何でもあり掲示板です↓

“趣味の音楽関連”

“懐かしの映画”シリーズ

無料ブログはココログ

« 近所の桜 | トップページ | 三代目の利用? »

2012年4月17日 (火)

疑わしきは罰せず?

先ごろ、首都圏で起きた3人の男性の連続不審死事件で、さいたま地裁の裁判員裁判は、殺人などの罪に問われた女性被告に死刑を言い渡した。

この事件は被告の女性が殺人を犯したと云う直接の証拠がなく、全て状況証拠の積み上げだけだったが、結局上記地裁の判決は死刑を求刑した事で、以前起こった和歌山の毒入りカレー事件の女性被告と似たような判決だった。

こんな凶悪事件でも状況証拠だけでの裁判の場合、よく弁護側が主張するのが 「疑わしきは罰せず」 の論理。つまり「疑わしいだけで有罪にすることは許されない」、と、つまり推定無罪の主張をするのに対して、今回の検察側の裁判員達への訴えかけは、非常に的を得た説得力のある訴えだったと思う。

それは、、、「窓の外には夜空が広がっている。夜が明けると、雪化粧になっていた。雪がいつ降ったかを見ていなくても、夜中に降ったと認定できる」、また 「誰かがトラックで雪をばらまいた可能性もあるが、そんなことをする必要はない。健全な社会常識に照らして、合理的かどうかを判断してほしい」、、、と。 そして今回は結果的には健全な社会常識 が死刑を選択したのでは!

私はもちろん専門家でもないし、ただテレビや新聞ニュースを見ただけなので、検察側と弁護側のいずれの主張が正しいか分からないし、従って被告の女性が有罪か無罪かも分からない。しかしいろんな刑事裁判で、たびたび感じる事は弁護側の主張があまりにも現実離れしていたり、こじつけ、屁理屈の様に感じる事がままある。

「疑わしきは罰せず」、と云う崇高な法の精神は理解出来るが、かと云っていろんな刑事裁判での弁護側の 弁護のための弁護 の様な主張には大いに疑問を感じ、辟易する事も多い。ここでいちいち例は挙げないけど、、、。

先日のテレビ番組で、この上記さいたま地裁判決に対して、過去 別の裁判で裁判員に選ばれた男女数人による模擬的な審査のドキュメントが放送されていたが、これを観ていて如何に裁判員達が悩み苦しんでいるか、よく理解できた。それは裁判員全員が「疑わしきは罰せず」 の鉄則に縛られ、「冤罪」の可能性を恐れているからだ。

自分ももし裁判員に選ばれて、今回のように状況証拠だけで判断しなくてはならない場合があったら、多分同じ様に悩むだろう!、、、が、しかし、、、その場合にこそ、自分が持っている社会常識 で結論を出すしかないのでは? と思う。それでこそ素人で各々の価値観が異なる複数の意見を聞く“裁判員裁判”が導入された意義と思うから。現制度の不備な点や問題点があってもだ、、、。

もちろん検察側主張、弁護側主張、さらにはマスコミ報道による危険な先入観も否めないが、被告人の過去から現在までの生活態度や、人格を踏まえて結論を出すしかないのでは? と思う。

、とこういう風に云うと ≫、、、今回の場合、この女性被告は、「愛人契約の男性は私を褒めてくれたけど、他の一般の人はどうかな?」と思って、女としての価値を確かめるため、愛人契約を続けながら他のデートクラブにも登録。そこでも10人ぐらいの男とセックスした、と、、、そこで、弁護人「セックスして褒められましたか?」、被告「はい。具体的には、、、テクニックよりも本来持ている“機能”が高い、と、」、なんと、自ら“名器”であることを裁判で堂々と公言!

また弁護人から「他の男性とセックスして裏切りになるとは?」 と尋ねられると、「私はそういう価値観を持っていません」 と、これまた堂々と自分が“ヤリマン”である事を認めた。

さらに、一回のセックス料で10万円貰っていた、とか殺された被害者の男性達からは結婚の約束をして数百~数千万円の金を援助してもらってた、と云う事実。その他明らかにされている被告女性の非常識な金遣い生活ぶり等もろもろ、、、!

、だから、こんな人格の持ち主だから怪しい?≫、となるが、、、しかし、だからと云って確実な証拠がない状況では殺人の犯人とは決めつけられない! と云う弁護側の主張も分からないではないが、、、ならば今回の事件の場合、実際に挙げられている数々の状況証拠との整合性はどうなるの? と弁護側に問いたい。

現在、「冤罪」の可能性が云われている過去の数件の事案、元を正せば警察の初動捜査の不手際がその主な原因とも云われている。結局、警察、検察のデッチ上げも怖いが、今回の事件の場合、普段の生活ぶりから疑いが掛かるような生活をしてはいけない、と云う警鐘にもなるのでは?

いずれにしても人が人を裁くのは難しい。しかし法治国家の下では誰かが裁かなくてはいけないのも事実! 例え “悪法もまた法” となるという問題点があってもだ!

◎コメントを読んだり、書いたりは こちら からどうぞ!

« 近所の桜 | トップページ | 三代目の利用? »