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2011年12月16日 (金)

懐かしの映画 (14) 『戦艦ポチョムキン』

先日来、司馬遼太郎の歴史小説 『坂の上の雲』 のテレビドラマを見ていて、日露戦争最大のヤマ場となった例の“203高地”の攻略シーンが出てきた。そこで思い出したのがロシア革命、そしてロシア革命と云えば私が印象に残っている映画は 『ドクトル・ジバコ』『戦艦ポチョムキン』

51coeppl5nl_sl500_aa300_1_2映画としては 『ドクトル・ジバコ』 に大感動し、あのテーマ音楽♪ララのテーマ♪に聞き惚れたが、今日はサイレント映画としてあまりにも有名な 『戦艦ポチョムキン』 の紹介とその時代背景、そしてロシア革命の話などを織り交ぜながら、、、。

この映画は監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン(1925年/ソ連映画)。私がたしか23歳ごろに観た映画だから制作されてから40年以上経ってた事になる。当時は単純にソ連共産党のプロパガンダ映画としてしか感じなかった。さらにサイレント映画なので、音声セリフもなく画面の中で登場人物がしゃべっているが観る者には何も聞こえずただ字幕を読むだけ、、、そんなこんなで面白いとも思わず、あまり印象には残ってなかったが、今回改めてDVDで観たら、、、その良さが分かったような!?

先ずは時代背景、、、資料によるとロシア革命の発端は1905年に当時の首都サンクトペテルブルク(現在のレニングラード)で起こった労働者のデモに対する帝政側軍隊による発砲事件 「血の日曜日事件」 が主な切っ掛けになったらしいが1905年と云えば明治38年、ロシアは日本との間で冒頭書いた日露戦争の真っ最中だった。

帝政ロシアはそれ以前1880年頃から民衆の間で封建的な社会体制に対する不満が鬱積していて、また産業革命により工業労働者が増加し、社会主義的思想勢力も増えつつあった時期らしい。この 「血の日曜日事件」 を切っ掛けに労働者や、政府に反発する兵士の間で革命運動が活発化し、それがソヴィエト(労兵協議会)と云う形でロシア中に広がっていったとか。“ソヴィエト”とはそんな意味だったのか! 

そしてちょうどその頃、帝政ロシアが誇る無敵艦隊、先の『坂の上の雲』 でも紹介される日本海軍が恐れた黒海艦隊、つまりバルチック艦隊で、先の「血の日曜日事件」の影響を受けた戦艦ポチョムキン号内での、水兵らが起こした反乱の実話?を映画にしたものだった。

映画では、、、停泊地のオデッサ(現在のウクライナ南部、黒海に面した港湾都市)の港に近い海域にいたポチョムキン号、その艦の水兵達が艦内での食事用の肉が、腐って蛆虫がわいているのに抗議し、これに対する上官の圧力にたまりかねて遂に艦内で暴動を起こしてしまう! この時数人の犠牲者も出てしまう。

この暴動のニュースはすぐオデッサの町中にも広がり、多くの大衆の支持を得る。しかし間もなくポチョムキン号には他の黒海艦隊が鎮圧に来るという情報が入り、降伏するか抗戦か、をめぐって激しい討論の末ポチョムキン号は抗戦する事を選ぶ。

夜になり、鎮圧に来た艦隊が姿を現した。そして「われらに合流せよ」 の信号旗! つまり降伏せよ?か?、、、間もなく艦隊は射程距離内に入った。遂に戦いか死か、緊張した一瞬! そして次の瞬間、ポチョムキン号の水兵たちが聞いたのは、津波のように押しよせてくる「同志!」という叫び声だった。

映画の専門家に云わせると、、、サイレント映画として最大の傑作! と云われる所以として、今ではごく当たり前のように使われる“モンタージュ”(つまり各シーンを切り貼りして、あたかも連続したシーンの様に見せる映像処理)という手法が、この映画で初めてその概念を確立したとか?

Potemkinstill31Potemkinstill61Potemkinstill21それは劇中、コサック兵による銃弾の嵐の中、乳母車が「オデッサの階段」から転がり落ちるシーンで、映画史上最も有名な6分間と呼ばれているらしい。サイレント映画らしいギクシャクした映像ながら、ここのシーンは確かに迫力があった。

そして、革命映画でもあるため様々な物議をかもした作品でもあるとか。革命的叛乱を、全てロケによる記録映画的手法と独創的なモンタージュ技法で再現。その斬新な映画表現は後世の映画人に多くの影響を与えた、とか? そう云われてみると確かに各シーンのカットが独特で、この様な映像処理手法が観るこちら側としてはごく当たり前の様に思ってたが、実はこの 『戦艦ポチョムキン』 が最初に取り入れた手法らしい。

D1127237361そんな映画の技術的な話はともかく、私の思い入れとしては、、、上記したロシア近代史の流れで、日露戦争の時に起きた第一次ロシア革命、第一次世界大戦の時に起きた第二次革命。そして共産主義者同士の内部権力抗争、内戦を経てやっと1917年、レーニンに始まる社会主義、共産主義国ソ連邦は、スターリンによる独裁、反政府者への粛清、第二次大戦などを経て、1991年ゴルバチョフの時に遂にその74年間の歴史を閉じる。‘91年のソ連邦崩壊はまだ記憶に新しい。

また、別にロシアやスラブ民族に特別な関心はないし、逆に今次大戦後に於けるソ連の日本に対して行ったシベリア抑留や、北方領土占拠など、ロシアには悪い印象しか持ってないが、ロシア革命以前のロシアの歴史を知ると何となくロマンを感じる話も多い。

例えば革命でのニコライ2世一家の悲劇、アナスターシアの物語、白系ロシア人の日本などへの亡命、、、等々を思い起こすと、あのロシア革命も結局74年で壊滅! なんともはや 諸行無常って云うか、虚しいって云うか、人の運命全てが時の流れに押し流されて侘しいような、何とも云えない気持ち。前記した映画 『ドクトル・ジバコ』 は、そんなロシア革命のさ中、悲しくて淡い、歴史に翻弄された純粋な男女の愛を描いた傑作だった。

また時代は1700年代の江戸時代にさかのぼるが、あの井上 靖の小説 『おろしや国酔夢譚』 では大黒屋光太夫をはじめとする、漂流乗組員17人の運命と、当時の帝政ロシアで女帝エカテリーナ2世に謁見するまでの苦労話など、、、ロマン溢れる話も思い出す。

ガラッ! と変わって私の香港時代、出張で中国大連へ行った事があった。大連と云えば遼東半島、例の旅順港と“203高地”も有るので是非見学したかったが、残念ながらその時間が無かった。ただ冬だったのでやたら寒かった事だけが大連の印象! ネットで“203高地”を検索すると、何と今では綺麗な公園、しかも記念碑も立ってたりして、、、? 日本と当時のロシアとの戦場、それも中国シナ領土で! さらに日本の日露戦争勝利後の租借地になってた中国シナ領土なのに! それなのに何故現中国政府は公園整備を??

思えば、、、日清戦争では清が腐敗して国力が落ちていた時、そして日露戦争ではロシアも長年の帝政が衰退して同じく国力が落ちていた頃、いずれも日本が勝利し、その結果その後の日本が軍国主義へと進んだ切っ掛けになった戦争だったのだろう!?

◎YouTubeで観れるかも?⇒http://www.youtube.com/watch?v=NIKYGwQz--I

◎もう一つ「オデッサの階段」シーンhttp://www.youtube.com/watch?v=OtywkcrjWyk

◎過去の“懐かしの映画”シリーズ

(13)『黄金の腕』
(12)『片目のジャック』
(11)『白鯨-Moby Dick』
(10)『真昼の決闘』
(9)『黄昏』
(8)『死刑台のエレベーター』
(7)『渚にて(On the Beach)』
(6)『禁じられた遊び』
(5)『捜索者』
(4)『カサブランカ』
(3)『シェーン』
(2)『自転車泥棒』
(1)『駅馬車』

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