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2008年12月26日 (金)

悪人?も地元では人気者だった!

外国、特にキリスト教の国では年末テレビ番組の定番は宗教映画の『ベン・ハー』(2005年12月21日 記) が多かった、と記憶しているが、日本では昔から『忠臣蔵』って相場が決まってるようだ! 毎年毎年よくもまぁ~飽きもせずに忠臣蔵のリメイク版が続々と出てくる。12月14日吉良邸討入りのクライマックスシーンに日本中が沸き立っているのだろうか?

『忠臣蔵』はもともと元禄時代に起こった実際の事件を、後に物語風に作った創作作品だから、日本人が大好きな勧善懲悪を巧みに利用した作品とも言える。一般的には吉良の浅野いじめが事件の遠因、発端とされているが、事の真相はともかく、よくよく考えてみると浅野内匠頭がいくら若かったとは云え、短気を起こしたばかりに結果、お家断絶、何百人もの家中の関係者が一夜にして路頭に迷う事になってしまった。事件直後の江戸幕府の対応のまずさ、などいろいろ説がある、その結果いわゆる後に忠臣と呼ばれる四十七人の者たちが仇討ち事件を起こしてしまう。今で云うならば、さしずめ47人のテロリスト達が法を破ってボスの仇を討ったようなもの。結局テロに変わりない。

忠臣蔵関連の小説もいろいろ読んだけど、殆どが「浅野」善人、「吉良」悪人のパターンに変化はなし。そこで自宅から電車でさほど遠くないその「吉良上野介」縁の土地“吉良吉田”の町へ行ってみることにした。討入り事件は元禄15年、旧暦1702年12月14日だったから、おおよそ306年と一週間遅れの平成20年12月20日(土)、上野介の墓参りだ! 名鉄「吉良吉田」駅で下車して駅員に聞いたら、なんと一つ手前の「上横須賀」駅の方が上野介の墓には近い事が分かった。止む無く途中からタクシーで上野介の墓が有ると云う“華蔵寺”まで行くことに、、、。

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途中タクシー運ちゃんのお喋り、、、上野介は当地では“吉良さん”と親しみを込めた呼ばれ方をしているとか? 特に農業関係者の間では今でも“吉良さん”の事を敬っているとか? 元禄のあの時代、高家としての役職上、江戸詰めが多かったが、故郷に帰ってくると灌漑用水を整備したり、赤馬に乗って地元を巡回するなど庶民には大変人気が有った殿様だったらしい!、、、それがあの元禄事件で非業の死を遂げ、オマケに『忠臣蔵』の流行で悪人にされてしまって地元の人にしてはたまったものではないだろう!、、、てな事を思いながら“華蔵寺”の敷地内、「吉良家累代の墓」に合掌!

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                                           帰路、今度は「上横須賀」駅の近く、“源徳寺”に有るという『吉良の仁吉』の墓所へ。江戸末期のヤクザで有名な次郎長一家に籍をおき、後に自分でも生まれ故郷のここ吉良吉田に一家を構えた人物。“義理と人情”のお手本の様なヤクザ! ヤクザ映画で有名な「荒神山の血闘」で本人は銃撃されて死亡、享年28歳だったとか。
尾崎士郎の小説「人生劇場」でも、また歌謡曲でも有名だ。

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それにしても「吉良上野介」や「吉良の仁吉」など、ここ“吉良吉田”って町は小さな町にしては面白い所だな~!

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。