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2018年10月19日 (金)

長崎くんち/懐かしの故里巡り

早いものでもう10月も半ば過ぎ、、、
最近はブログを書く事も何だか億劫になっている、、これでは“いかん!”
と、思いつつも何か個人的なイベントが無い限り書く気にならない!

そこで、、、久しぶりのブログ更新は?
去る10月6日~13日の一週間、昨年の2月以来ぶりに故里長崎へ、!
昨年は法事だったが、自分の耳の調子が最悪の頃だったので法事が
済み次第、トンボ返りして故里では何も楽しめなかった。

そこで今回は毎年恒例の“長崎くんち”祭りの真っ最中を狙って、!^_^)
“くんち”を生で観るのは?、たしか50年振りぐらい? 只々感激、感涙!

“長崎くんち”は毎年10月7、8、9日の三日間と決まっている。
今年は8日(月)の祭日を挟んで日月火、、折しもちょうど台風25号が6日に
長崎に接近、しかし同日夜には日本海へ抜けて、、、
出発前にどうなることやら心配ではあったが、幸い“くんち”の三日間は
晴れて良いお天気だったので良かった。
何より長崎の“くんち”祭り主催者側が安堵した事だろう。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

◎以下、一週間を時系列で書いてみると、、、
こちら名古屋を出発した10月6日(土)朝、新幹線は九州小倉駅までは
順調で予定ダイヤどうりの運行だったが、小倉駅で強風の為15分ほども
停車! その後、徐行しながら、、、やがて直方付近でも今度は田んぼ
のド真ん中で再び『強風のため一時停車』、の社内アナウンス! 

新幹線は強風に弱い! とは常々聞いてはいたが自分が体験したのは
初めてだった。後日調べて見たら風速25m/s以上で速度制限するらしい?
この日は正にそんな強風だったのだろう! 車内に居ると分からないが、?
車窓から見る付近の山林が大きく揺れていたのはたしか、、、!
しかし雨は殆ど降ってなかった、、、?

やっとこさ博多駅に着いたのは予定より1時間以上の遅れ、さらに博多駅で
特急かもめに乗り遅れの為の切符の切り替え、そして長崎に着いたのは
結局、当初の予定より2時間ほども遅れてしまった。これも初体験だった!

この6日は、長崎市内の妹夫妻宅に泊まり、、、(いつもそうだけど!^_^)
翌7日(日)の“長崎くんち”初日、、、この日はくんち見物は止めて、仕事が
休日だった弟が、我々兄妹弟が生まれ育った懐かしい場所へ案内して
くれた。

先ずは?、、、“鍋冠山”(なべかんむりやま)、と云う 標高169mの小山。
今ではあの有名なグラバー邸(最近は“グラバー園”と云うらしい?)
から徒歩で約10分。私の子供時代、実家から遊ぶ範囲内の距離だった。
展望台からは長崎港を一望することが出来て、現在では長崎で1、2を
競う絶好の場所とか!

展望台は平成28年4月にリニューアルしたとか? 私はもちろん今回が
初めて! ただ自分としてはその今評判の展望よりも、子供の頃に家の
裏山から歩いてここ“鍋冠山”まで行ってた場所に、今こうして車で行く
事自体が驚きと感無量、、、! そして大変懐かしい場所だった。
Img_0001sp_2Photo_5
私が小学生の頃、東琴平町の自宅
の裏に有る金毘羅神社の境内裏
付近から小道を登って行って、、、
やっとここ頂上に着いた記憶が微かにある。


あの頃? そう、昭和53、54年頃の鍋冠山の頂上は戦時中の高射砲の
崩れた砲台とその壁には迷彩塗装の剥げ落ちた跡がまだまだ残っていた。
まだそんな時代だったのだ! あぁ~思い出すだけでも、、、感無量!

その展望台からの眺めは、、、! 真下に広がる長崎港、、、!
Img_0003_4  Img_0004_3  Img_0008_3  Img_0006_3
写真左から対岸と繋がる「女神大橋」、次に右手へ順に、、、
「三菱重工長崎造船所」、その赤い巨大ドックの真正面から海を隔てて、
3枚目の写真、手前の森の中の小さな鳥居が前記実家近くの金毘羅神社
そして、最後右端が三菱のドックで進水した船の艤装工場群 となる。
つまり対岸はオール三菱なのだッ!^_^) 
、、、後ろのアンテナが建つ山は稲佐山、その右手遥か遠くに岩屋山

Img_0007_2さらにその先、左の写真が長崎港の一番奥の部分となる。 
その先に小さく見える赤い橋は浦上川、手前の芝生の
広場は「長崎水辺の森公園」とやら? この公園も
先の「女神大橋」も、昔私が35歳頃までの長崎には
なかった。そして写真の手前の森の真ん中辺りに小さく
見える屋根が“グラバー園”となる。つまりここ鍋冠山の直ぐ下になる!

Img_0014_2方や、今度は後ろ向きになって展望台から長崎港とは
反対側、南東の方角に目を移すと? 右側の高いアンテナ
が立つ星取山、その左手遠くが唐八景(とうはっけい)、
後刻、ここに行く事になる。

Img_0016_3そして南側の遠く野茂半島(長崎半島)の先に目をやると?
山並の右手端っこに昔よく登った八朗岳 も遠望できた。
只々懐かしい、の一言、、、!


車はそこから何処をどう行ったのか? 昔の道とは違う? 今では便利な
近道が出来たのか? ワカラン!
とにかく着いた所は戸町の水源地(小ヶ倉水源地)近くだった!

Img_0022車の窓越し、金網の遠くにボヤけて見えた水源地のダム、
お~ッ! あまりの懐かしさだったが、周囲は完全な
住宅地で驚いた! 昔は何もない広っぱだったのに、、!


Img_0023上戸町~新戸町、と密集した住宅街を下って行き、、、
降りた所は国分町との交差点付近、いわゆる
戸町のトンネルの近くだった。
そこから車はトンネルの左側、国分町へ周る、、、

Img_0025ほぼ一周近く周ったら、やがてトンネルの小菅町側へ
出るが、そのちょっと手前、子供の頃に呼んでいた
たんせんこうば”(単船工場?)、又は“そろばんドック”
正式には小菅修船場跡 、今では国指定史跡、と
なっている。

Img_0027その左手、緑の安全マークが有る工場の上側、、、
崖の上の白い平屋家、あの場所に私が生まれ育った
家があった。だから小学校に入る前、ガキの頃に、
この“たんせんこうば”に下る細い坂道で遊んだ事を
微かに憶えている。たしか5、6歳頃だったと思うが?

Img_0030車は直ぐにトンネルの小菅町側へ出て、、、、、
小菅町、古河町、浪の平町から今度は南山手町に
向かう、、、この間、車窓から懐かしい街並みを眺めて
いたが、感傷に浸る間もなくアッ! と云う間に南山手町
に有った杠葉(ゆずりは)病院 跡を経由して我が母校へ!
Img_0031
母校、浪の平小学校 跡、ここも御多分にもれず少子化の
が押し寄せて数年前に廃校、そして解体された後の
運動場だけが残っていた。

Img_0034ただ唯一、残っていた当時の二宮金次郎 の銅像!
これは当時は上図の運動場跡の右手に建っていたが、
校舎解体の時に運動場の左手隅に移されたらしい?

浪の平小学校卒業が昭和30年(1955年)だったから、
二宮金次郎 さんとも実に63年振りの再会だった!
あまりの大昔だったため、涙も出ない苦笑い顔?!^_^)

Img_0036ここ運動場から、昔は長崎港を挟んで対岸の三菱造船所
などが綺麗に見えてたが、、、?
今回は多くの住宅が建って、、、あまり見えなかった!
それでも懐かしいここの場所だった。

Img_0041次に立ち寄ったのは、、、?
小学校から直ぐ傍の東琴平町1丁目。実は前記の小菅町
から、確か小学校に入る頃はここに引っ越して来ていた。
この町内掲示板の上が我家だった! 7年前に一度来た。

Img_0044
この付近からも毎日見ていた正面の長崎港と、その対岸
三菱造船所の後ろ、テレビ塔が建っている稲佐山、、、


Img_0046ここで思いがけず、今なおここに住んでいた小学校の
同級生と再会!  一瞬、誰か思い出せなかったが、、?
あぁ~、いろんな事が思い出されて、、、涙、涙、また涙!


Img_0048以後、車は浪の平町のバス道路に戻って、松ヶ枝町、
大浦方面を経由、、、昔懐かしい道を通過しながら、、、
先ほど鍋冠山から見えた唐八景へと向かう。



Img_0050ここが唐八景(とうはっけい)、車まで来ればアッ! と
云う間だけど、、、小学生の頃は遠足で来たり、また毎年
4月頃になれば、ここで行なわれるハタ揚げ 大会を見に
よく登って来たものだった。

Img_0051ここから遠く東の方角に目を移せば、、、
橘湾の向こうに島原半島、そして雲仙岳を望む
ことが出来た。
“唐”中国の八景?が見えた? ウソだろう!^_^)

この後、夕方には妹弟たちと別れ、今度は単独行動、、、
30歳頃に付き合っていた長崎の音楽仲間、ミュージシャン達に会うためだ。
長崎市の中心街、流行歌でも唄われたあの思案橋 界隈だ~ッ、、、!
Img_0057Img_0059Img_0058
思案橋は今ではその欄干
だけが残っている。



Img_0064
Img_0062_2これまた懐かしや、、、
長崎、ネオンまたたく夜の歓楽街!





Img_0066
Img_0068そして、旧友のピアニストが経営する
ピアノ・ラウンジへ、、、!
ここで他の旧友ミュージシャンとも
再会できて嬉しかったな~!





以上で懐かしく、また楽しかったくんち初日7日(日)は無事終了!

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

そして日付は変わって翌8日(月)、は くんち中日(なかび)、と変わる。
そもそも、長崎くんち三ヶ日間は、たくさんの祭りの出し物が市内の要所、
要所を練り歩く。従ってこれを見物する観衆は予め、、、
いつ、何処で、何が観れるか、を知っておく必要がある。市の広報や祭り
主催者側の情報は祭りが行なわれる数ヶ月前から報じられるので、
祭り好きの人達はこれを必ずチェックしている。

他県からの観光客や老人など、祭りを追っかけるのが大変な人達の為に、
市内の要所の仮設会場で、一括まとめて全ての出し物が観れる場所
設けられていて、妹たちが予めそんな仮設の場所の入場券を手に入れて
くれてたので私はそこに早朝から行って全ての祭りを見物する事が
出来た。

市中心部、浜の町の一角に設けられた仮設会場。開場は午前8時なのに、
早朝7時に行った時は既に大勢の入場待ちの人達の長い列が並んでいた。その数、凡そ2000人以上?

Img_0072鉄パイプで組んだ仮の座席、本来は天井に日除け
雨除けのテントを張る予定だったが前々日の台風25号
の強風でテントが張れなかった!、とは主催者側の
お詫びの言葉。

Img_0073何とか後段上の方に座席を確保出来たが、周囲は
鉄パイプの柱だらけ! ちょうど8時開演、初めに各出し物
にアンコール・リクエストする場合の掛け声 、、、
『もってこ~い!』、を会場全員で声を揃えるための
リハーサル等々、用意周到、、、!^_^)

午前8時丁度開演~正午までの4時間、今年の祭りの出し物を受け持つ
7ヶ町のそれぞれの趣向を凝らした出し物を充分堪能できた。
Img_0074Img_0075Img_0081Img_0087

Img_0096Img_0077 Img_0089 Img_0093

◎7ヶ町各出し物の詳細説明
A_5   B_3   C_3


7ヶ町それぞれの出し物の中から七年に一度の代表的大出し物!
前回2011年の『コッコデショ(太鼓山)』 の迫力ある動画をご覧下さい。
 

因みに、各種出し物の内、蛇踊り、コッコデショ、鯨の潮吹き、の三っは
七年に一度しか出演しない大物出し物だ。今年はその中のコッコデショが
七年ぶりの出演となった。話を戻して、、、

4時間もの長時間座りっぱなしだったが、幸い雨も降らず、逆に時折
日が射して暑かったほど、、、しかし前記した様に街中を練り歩く
祭りの出し物を追っかけて廻るより、余程楽勝だった。
よくよく考えてみたら、、、?
目の前で出し物をゆっくり見物できたのは生れて始めてだったかも?

Img_0100
祭りを充分堪能した後の午後、今度は妹たちと一緒に
これまた有名な 眼鏡橋 へ、、、! 


Img_0101
その後、浜の町を散策途中、偶然出会った出し物も!



Img_0105Img_0106
アーケード街も久しぶり!
このデパートも古い、懐かしい、の一言!




Img_0108そして我々は、これまた有名な出島 へ、、、!
出島は江戸幕府の鎖国時代、交易目的で来日した
外人達の長崎市内への流入を防止する政策の
一環として築造された扇形で約1.5ヘクタールの人工島。
つまり外人達が居留できる場所が唯一この出島だった!

Img_0114Img_0115Img_0116Img_0130





Img_0138出島はもちろん昔見学した事も有ったが、近年リフォーム
されてから見るのは今回が初めてだった。観光客、
特に中国人が多いのにはウ~ン! 
昔、長崎に渡った自分達の祖先に会うためかな~?

まぁ~長崎とは、、、?
前記のくんち祭りでも分かるが、和洋折衷イヤ和洋中折衷、つまり日本と
オランダ、ポルトガルなど西洋、そして中国の文化が古くから伝わって
混じり合い、異国情緒が豊かな全国でもユニークな町だけど、、、
また、ある意味 訳けの分からない独特の文化が栄えた町とも云える!^_^)

Img_0143出島の外、すぐ傍をこれまた名物のチンチン電車が
走っている。因みに料金は距離、行先に関係なく、、
一律¥120円也!




Img_0145この近くで、またもやくんちの出し物と出会った。
それも今年最も人気のある出し物 『コッコデショ(太鼓山)』
この電車通りも大勢の観光客と人混みでごった返していた。

Img_0148その後、大波止付近に有る御旅所(おたびしょ)へ!
昨7日のくんち初日、一年間諏訪神社に奉納されていた
くんちの神輿が、お下りと云われて、、、


Img_0150神様はこの場所で休憩?、そこで一般市民がお参り
できる。そして最後9日にはお上り と云われて、
神様は再び諏訪神社にお戻りになる。
これと並行して毎年交互に踊り町が、それぞれ趣向の
出し物を競い合う、、長崎くんちは毎年これの繰り返しのお祭りなのだ。

Img_0151同じこの場所の岸壁には、今話題の軍艦島(端島)に
渡るフェリー乗り場も有る。
ただ最近の連続した台風襲来でしばらくは運行中止中とか?
昔はこの付近から渡し船で対岸の勤務先へ出勤していた。

以上、このくんち中日8日 で私の懐かしき くんち見物は終わったが、、、
市内では翌9日のお上り が終わって初めて今年の長崎くんちの終了と
なる。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

Img_01739日、10日、11日の三ヶ日間はモロモロ私用を済ませ、
12日は墓参り、、、
そして午後には昔勤務していた会社で親しかった
友人二人と数年ぶりに再会! 彼ら二人とは昼食を
挟みながら4時間以上も昔話に花が咲いた。ただ、、、
主な話題は互いの年齢、そして互いの病気の話ばかり、、、!^_^)
だが、やっぱり旧友は良いものだ! と改めて実感!

そして、この日の夕食は妹や弟たち家族全員で私の長崎最後の晩餐会!
と云えば大げさ!、、早い話が大衆食堂で魚料理中心の晩メシ会!^_^)

Img_0201翌13日(土)、昼近く妹夫婦に見送られてJR長崎駅から
帰路についた。
その途中の車窓から見えた有明海、その向こうには
島原半島、その一番高い山が雲仙普賢岳
さらば我がふるさと長崎! また来る日まで、もしそれまで生きてたら!^_^)

◎【追】詳しい写真集を近日中にアップ予定!




◎関連資料
長崎市地図 (google map)
鍋冠山公園
小菅修船場跡 (Wikipedia)
眼鏡橋 (Wikipedia)
出島 (Wikipedia)
軍艦島(端島)(Wikipedia)
雲仙普賢岳 (Wikipedia)

長崎くんち公式サイト
長崎くんち (Wikipedia)
長崎くんちナビ2018
長崎くんちの歴史など(7年毎の三大出し物動画付き)
長崎くんちコッコデショ


◎過去の関連ブログ
長崎おくんち (正調長崎弁バージョン)
長崎くんち
“おくんち”
ふるさとを想う!
長崎 「ハタ揚げ」の話
写真集≪♪“ふるさと”は雨だった♪2015.2.21~28≫
写真集≪♪長崎は今日は暖かかった♪,2013.2.23~27≫
写真集≪♪長崎は今日も暑かった♪,2011.7.18~22≫
軍艦島、そして父の思い出
♪長崎は今日は暖かかった♪

◎コメントは こちら から、、、!

2018年9月24日 (月)

わが青春時代のポップス!

ちょっと涼しくなった、と思ったらまたもや猛暑のぶり返し、歳のせいか?
最近は暑さがこたえる、、、!汗) 

そんな暑い毎日、クーラーが効いてる部屋でジャズばかり聴いてたら、、、
偶然見つけた昔のポップスのYoutube画像! 
そこで、これまた歳のせいか? 昔 自分が聴いていたポップスが無性に
懐かしくなって、、、?

そんなこんなで、、、今日のブログは、時代的におおよそ古いものから、
過去自分が聴いていたポップスのYoutube をネットから集めてみた。
便利な世の中になって、今やかなり古い画像も音源もネットで得られる
から有りがたい!  ただ私が好きだった曲のホンノ、ホンノ一部だけど! 
、、、題して わが青春時代のポップス!




◎先ず最初は、、、

今、思い出すのは、、、たしか1957、8年、私が15~16歳、あの頃ラジオで
初めて聴いたラテン音楽!
それはキューバのマンボの王様“ペレス・プラード”のリズムだった。
あの強烈なパーカッション、煌めくブラス・セクションに心底痺れてしまった。

「マンボNO.5」は1950年代の作品、他に「エルマンボ」、「マンボNO.8」、
「闘牛士のマンボ」、「ある恋の物語」、etc、etc、etc、など多数。Photo_5

同じくラテンの代表的バンド、ルンバ王様、“ザビア・クガート楽団”!
その代表作「マイアミ・ビーチ・ルンバ」、先のペレス・プラードより少し
古くて1940年代の作品。私が18、19歳頃はダンス・ホールにもよく通って、
マンボやルンバを踊ったものだ!、不良学生だった?^_^) Photo_21

また同じ頃、同じラテン曲でもメキシコの “トリオ・ロス・パンチョス”、と
云うグループの曲とコーラスにも痺れていた。
哀愁漂うギター演奏と、パーカッションのリズムに聴き惚れていたな~!
これまた数あるヒット曲の中からお馴染み「ベサメ・ムーチョ」Photo_20

同じラテン、と云っても南米大陸のペルー、アンデスのフォルクローレの
代表曲「コンドルは飛んでいく」。そのメロディに強い哀感を感じた。
この頃、どうやら自分は中南米が好きだ! と意識した様な、、、?^_^)Photo_8
以上の様に私が中学生頃から成人するまでの年頃(1955~62年)に
かけては、ラテン、カントリ-&ウェスタン、タンゴ(アルゼンチンと
コンチネンタル)、映画音楽、etc、etc、一般ポピュラ-音楽なら何でも
好きで、聞き漁っていたけど、その中でもラテンは特に大好きだった。



◎また、この頃並行して聴いていたポップスの中で、そのダントツは?
やはり“エルビス・プレスリー”!
 その主なヒット曲だけでも、、、

「Love Me Tender」、「Can't Help Falling In Love」、「Heartbreak Hotel」、
「Don't Be Cruel」、「Blue Hawaii」、「Burning Love」、「Blue Suede Shoes」、
、、、と数え上げればキリが無い。
その中で「Love me Tender」でプレスリーの甘い声をお聴きあれ!Photo_9

そのプレスリー以外でも、当時 流行っていたポップスは数多くあるが、、、
中でも私が好きだったのは、、、圧巻の黒人コーラス・グループ!
「オンリー・ユー」 (プラターズ)Photo_10

プレスリーや、ここでは取り上げなかったビング・クロスビーに負けず劣らず
甘い美声が魅力だった、。、
「砂に書いたラブレター」 (パット・ブーン) Photo_11

そして、この人こそアメリカン・ポップスの代表格だろう。真に“アメリカ”
そのもの! 数え切れないほどのヒット曲の中ならムリに選び出したのが?
「夜のストレンジャー」(フランク・シナトラ)、いかにも都会的でお洒落な曲。 Photo_12


この曲は日本でも大ヒット、ポップス界のみならずジャズ界でも取り上げ
られる名曲かも?、、、これはフォーク・ロックのはしりとなった、、、?
「The House of the Rising Sun」 (朝日のあたる家)、(The Animals)Photo_13
こうして見てくると、バラード系が好きだったな~!
もともとインストゥルメントが好きで、唄物はあまり好きではないけど、
やっぱり“良いものは良い”、、、!^_^)   

 

 

 

そして私が20歳になる前、当時のポップスと同時に好きだったのが?
それはハリウッド映画! その中の 「ベニー・グッドマン物語」、の中から、Photo_14
 
同じく「グレン・ミラー物語」、の中から、、、 Photo_22
後年、気が付いたがこの20歳頃から、それまでのポップスからジャズの
魅力にハマるようになった。その切っ掛けは上記のベニー・グッドマンと
グレン・ミラーの映画を観た事だったのは間違いない。
つまり、スゥイング・ジャズ を初めて知った時だった!


そして、ある日この曲に巡り合った! 私にとって運命の一曲!?
それは私が初めて買った LPで、サッチモ(ルイ・アームストロング)の、
「セントルイス・ブルース」 Photo_16 


◎その後、、、

ODJB (オリジナル・ディキシーランド・ジャズ) や、ニューオリンズ・ジャズの
代表的なレコードの数々を聴いてみた。例えば、、、
Top_7a_2 Top_1a Top_4a Top_5a その他。


そして、その頃より以降、私はそれまでのポップスよりジャズ、それも、、
その殆どは、いわゆるモダン・ジャズ と呼ばれるジャンルを中心に
聴きあさって、、、それが今現在まで続いている。



ただ、既に自分の青春時代は終わって1970年代、私は28歳程になって
いた。その頃、時々巷に流れるポップスにも当然気が入って、、、
例えば、もともと好きだったラテン系でその頃よく聴いていた、、、
ラテン・ロックの、、、Black Magic Woman 、(Santana)Photo_17

さらにラテン系ではないが、同じく70年代にヒットした哀愁漂うこの曲、、?
歌詞の和訳文を読んで見ると、♪Welcome to the Hotel California…♪、と
何とも意味深な歌詞だった、Hotel California 、(Eagles) Photo_18

 

一方、前記のプレスリーの全盛期が過ぎ、1966年のビートルズ来日を
機に、日本のポップス界ではビートルズ一色になっていき、、、
また、これに伴ってGS (グループ・サウンド) も大流行していく。

しかし、私はもともとビートルズやGS的なロック・グループはあまり好き
にはなれず、、、だからそんな折、Led Zeppelin の事も知らずに、、、? 
ただ何となく好きで良く聴いていたこの曲が、後年 彼らのヒット曲だった
事を知った、、、!^_^)
Stairway to Heaven (天国への階段)、Led ZeppelinPhoto_19
以上、私の青春時代、若かりし頃に好きだったポップスのほんの一部を
紹介しました。

 

◎最後に、、、
私が20歳過ぎ頃から大好きになったジャズの変遷を歴史的に見ると、
いわゆる俗に云うところの、、、
デキシー、スゥイング、モダン、と大きく三つの流れに分けられるが、、、
私の場合は、その好きになった順番が上記の様に先ずスゥイング、
それからデキシー、そしてその後でモダンジャズ、と変わった。

ただ、ジャズの本来の姿は下記にある様な、ニュー・オリンズのいわゆる
ストリート・ミュージシャンからスタートしたであろう?
そして、長い年月を経て現在の様なモダンで多様なスタイルのジャズに
変化した事を今あらためて感じている。  Street_musisyn 

 

「ポップスとジャズ」、、、それは巷の流行歌であるポップスに飽き足らない
ミュージシャン達や、或いはニュー・オリンズの主に黒人達のストリート・
ミュージシャン、或いは彼らの教会音楽などを発展させて、それらに即興的
なアレンジを加えて演奏するように進化していったのが、、、
現在のジャズとなった、と云われている。

 

 

◎関連拙HPとブログ。
本文記事左側INDEX欄の※“還暦/古希のHome Page”から、、、
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2)と、ブログの中の
※“趣味の音楽関連”から“音を楽しむ徒然語り” その1~7(最終回)と、
“映画とジャズの話”シリーズ、Ⅰ~Ⅴも併せご覧下さい。

また同じく本文記事左側INDEX欄の※“懐かしの映画”シリーズ、 も
併せご覧下さい

 

◎コメントは こちら から、、、!

2018年9月18日 (火)

わざわざ「敬老の日」?

もう10年以上、“毎日が日曜日”が続いているせいか? 昨9月17日(月)が
何の祭日だったのか? 忘れていたら、、、
朝、いつものとおりネット新聞を読んで昨日は、今2018年の「敬老の日」
だった事を思い出した。

そこで改めて新聞を読むと、、、
総務省の最新のデータ によると、日本の65歳以上(高齢者)の人口は、
2018年9月15日時点で3,557万人となり、総人口比は28.1%となるらしい。
そして、総人口に占める割合が1/4を超えたのは2013年から継続して
6年連続となり、前年からさらに人口・割合ともに数字を上乗せし、
過去最高となった、、、とあった。
、、、悪いけど自分もその中の一人なのだッ!^_^)

◎以下、過去の拙ブログからのコピー&リメイク版だけど、、、

そもそも「敬老の日」とは? 昭和23年に出来た法律で「多年にわたり
社会につくしてきた“老人”を敬愛し、長寿を祝うことを趣旨としている」、と
輸入ものの「母の日」などと違って、わざわざ創った日本独自の祝日

私は人様から特に敬愛されるほど立派な生き方をしてきた訳でもない。
M_jryusenlしかし例えば、自分が経験した複数の外国と
比べて日本では電車やバスで、わざわざ 設け
られている優先席で実際にお年寄りに席を譲る
シーンを見かけた事は一度もない。
先に座った者勝ちの正に“優先座席”なのだッ!


Imgp1752_2
また、お年寄りを大切に、親切に、と云う割には
駅や空港、街中など人が集まる場所でのバリア・
フリーも日本は外国より確実に後れている。

だから「敬老の日」と云っても、しょせん形式的な
ものに過ぎない。



そもそも“老人”とは何歳から云うのか? これまた改めて調べてみたら、
人口動態調査上の統計数字では、(1)15歳未満が幼年人口、
(2)15~64歳が生産年齢人口、(3)65歳以上が老年人口と、、、
分類されているので、「老人」とは65歳以上の人を言うとか。

つまり65歳以上を老人、いわゆる“高齢者”と定義付けられて65~74歳は
「前期高齢者」、75歳以上は「後期高齢者」と呼ばれる。つまり、、、
65歳以上から嫌でも爺ィー、婆ァーと「公」に呼ばれる、ってこと、、、
私ャ~既に76歳を過ぎてるので「末期高齢者」とでも呼ばれるかもね?^_^)


今現在、50~60歳未満の人は「老人」とは? 他人事ぐらいにしか考えて
いないだろう。私自身もそうだったッ! 
しかしアッと云う間に65歳、つまり「老人」になるよ!^_^)
ブルースでも聴きながら考えて!



◎過去の関連ブログ記事

「オイ、いつまで生きてるつもりだよ!」
わざわざの“敬老の日” 
長生きは幸せ?
車内での携帯電話
年寄りの車運転
老人とは? 

◎コメントは こちら から、、、!

2018年9月 9日 (日)

『Randy Brecker & Akio Sasajima Quartet』

先日9月7日(金)、久しぶりに名古屋のライブ・ハウス“Mr.Kenny's” へ、、、

この日の出し物はこれまた久しぶりの有名外タレで、、、
題して、『Randy Brecker & Akio Sasajima Quartet』、、、

Randy_brecker
御大 Randy Brecker(tp)の他に、この日のパーソネルは、、、
笹島明夫(guitar)、Mark Walker (dms)、日景 修(bass) と云う日米合同の
Quartet
だった。

Image北海道出身で、現在は米国と札幌とを行き来
しながら活動しているレジェンド・ギタリスト
笹島明夫が世界的トランペット奏者、ランディ・
ブレッカーと組んだ新譜 「Aranjuez Suite」
(アランフェス組曲)」を今9月1日にリリース。
その発売記念ツアーで国内4ヶ所を回る一環
だった。

ギターの笹島さんのライブは既に何回か聴いてるが、このトランペッターRandy Brecker を聴くのは初めて!
正直、これまでディスクでもネット等でも聴いた事がなかった。

もっとも、この人に限らず今現在活躍しているジャズ・ミュージシャンの
演奏は殆ど知らない。
普段は昔のジャズばかり聴いてるし、そのプレーヤーも殆どが既に
故人が多い、、、!悲)

この夜の“Mr.Kenny's” は有名な外タレの出演とあって超満員、開演直後
から店内はもの凄く盛り上がって熱気ムンムンだった。
その1st.Stageの一曲目からランディのラッパが爆発! その迫力に観客
一同は圧倒されっぱなし♪ 

20180907_n_2(ネット上、人様のFacebookより無断借用、無断加工使用、スミマセン!^_^)

主な演目は上記の新譜 「Aranjuez Suite」のアルバム収録曲から数曲、
それに加えてコールポーターの曲などスタンダード曲、笹島さんの北海道を
題材にしたオリジナル曲やボサノバ系など織り交ぜながら、、、

ランディは時にミュートを付けたり、フリューゲルホルンに持ち替えて、
その柔らかいトーンでバラードを聴かせたり、、、♪
終始ランディの素晴らしいトランペット演奏に聴き入ってたら、途中でふと
昔 何処かで聴いた様な? そんなフレーズの感じを抱いたが、それは、、?

ギターの笹島さんのMCで、ランディが最も影響を受けたトランペッターが
クリフォード・ブラウン だった、と云うから如何にも、さもあらん! と納得。

中でも圧巻は2.stage目の最後に演奏した“Aranjuez Suite”(アランフェス
組曲)は私が大好きな曲で、その熱演に思わず感激した!
あの美しくも哀愁に満ちたイントロ部分、笹島さんの美しいギターとランディ
のミュート・トランペットのアンサンブル的な演奏に続いて、アドリブに入ると
その中盤、ドラムのMark Walker のソロに唖然!

一般的にドラムソロは、ややもすると そのドラマーの凄いテクニックとか
迫力、ボリュームなど、そのパフォーマンスだけに気を取られがちになる
けど、このMark Walker のドラミングは “アランフェス組曲”に限らず、
他の曲でもまったく派手なパフォーマンスではなく、、、
しかし非常に緻密で計算されつくした様な正確無比なリズム感覚と、
それでいてグルーブ感溢れる独特で音楽的なドラミングに心底 感嘆した。

それでこの哀感を込めたスパニッシュ・ギターの名曲を、如何にもスパニッ
シュ的な独特なリムショット・プレイで聴かせてくれたMark Walker、、、!
このドラマーはジャズやラテンなど、それ以外でも多様なジャンルで活躍し
グラミー受賞歴もある、と云う凄腕のドラマーと云うからさすが!

Randy Brecker(tp)と云い、Mark Walker (dms) と云い、さすがジャズの
本場アメリカのミュージシャン達には凄い人が居るんだな~と改めて感服。
とにかく、2.Stageライブを久しぶりに感動の連続で満足させてくれた
本当に素晴らしいライブでした!

◎出演メンバーの詳しい紹介は下記!
https://www.mrkennys.com/musicians/randy-brecker/


◎プロモーション用Youtube をご覧あれ!
https://www.facebook.com/sasajima.akio/videos/2166792620266787/

以上。



◎以下、参考までに、、、
『アランフェス協奏曲』 とは?
(Wikipedia)
その原曲、『アランフェス協奏曲』 第二楽章 をクラシックのギターと
フル・オーケストラの演奏でお聴きあれ! 涙が出るよ!^_^)
https://www.youtube.com/watch?v=RxwceLlaODM


◎そしてジャズ界では、、、

Top62マイルスの「Sketches of Spain」なども有名だが、、
JIM HALL CONCIERTO/Concierto de Aranjuez』
  は特に秀作だろう。(私が一番好きッ!^_^)
https://www.youtube.com/watch?v=iD6k2E61ABY

【ジム・ホ-ル(g),ロ-ランド・ハナ(p),ロン・カ-タ-(b),
スティ-ウ”・ガッド(dms),チェット・ベイカ-(tp),ポ-ル・
デスモンド(as),ドン・セベスキ-(編曲)】


◎さらに、もう一つ、、、

関連した曲で特に有名なのはチック・コリアの“Spain”だ~ッ!
https://www.youtube.com/watch?v=IWBkVucVMCY



◎過去の
笹島明夫(gt) ライブ 関連ブログ
『笹島明夫カルテット』
『Fifty Three Strings Japan Tour 2015』


◎関連拙HPとブログ。

本文記事左側INDEX欄の※“還暦/古希のHome Page”から、、

“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2)と、※“趣味の音楽関連”から、、
ブログ“音を楽しむ徒然語り” その1~7(最終回) のシリーズも併せ
ご覧下さい。


◎コメントは こちら から、、、!

2018年9月 1日 (土)

“連れ合い”のシャドー・ボックス

早いもので今年も早9月、ちょっと涼しくなった、と思ったらまたもや
猛暑のぶり返し、、、!汗)
歳のせいか暑さがこたえる! そんな暑い毎日、クーラーが効いてる家の
中でボーッ! としている今日この頃、、、

何もする事はなし、ブログを書くネタもなし、否ネタは有るけど書く気に
ならないだけ、、、そこで思い付いたのが、、、?

10年以上も前だけど、、、香港に住んでいた頃、我が“連れ合い”が、
趣味で創っていた “シャドー・ボックス”、、その額入り写真を載せてみた。
以前、ブログの写真集 の中でも紹介した内容と同じものだけど、、、!^_^)

しかし写真の撮り方を失敗して、ガラスの反射光で良く写ってない!涙)
シャドーの厚み、立体感、を見せるために斜めに撮ったけどな~!

そもそも シャドーボックスとは? 以下、ネットからの抜粋だけど、、、
17世紀のヨーロッパで流行したデコパージュの技法の1つで、その後
アメリカに伝わり、立体的に発展して出来たハンドクラフト(手造り) とか?

デコパージュとはフランス語で、切り抜く、切り裂くなどと言う意味とか?
紙に描かれた模様や絵の切り抜きを貼って物の表面を飾り、
コーティング剤を塗り重ねていく工芸。
17世紀中頃、ヨーロッパで広まり、フランス上流階級の婦人の間で流行
したらしいけど、、うちの “連れ合い”も遂に上流階級の仲間入りか?^_^)

シャドーボックスを作る楽しみは、自分の好みや部屋の雰囲気に合った
プリントやカードの絵柄を選び、元になる同じ絵柄を複数使用し、
各パーツを細密に何層にも切り重ねることによって立体感を持たせ、
豊かな表情と奥行きを演出しオリジナル作品を作り出すホビー、、、とか。
以上、ネットからの受け売りでした。

以下、その“連れ合い”が趣味で創っていた“シャドー・ボックス”の一部。

Top_0

Top_1
Top_2_3
Top_3

Top_4
Top_5

Top_6
まだまだ多数あるけど、今日はこのくらいで、、、The End 。

◎コメントは こちら から、、、!

2018年8月18日 (土)

『黒いオルフェ』、『真夏の夜のジャズ』

毎日続いていた猛暑だったが、昨日の朝は急に涼しくなった、、、!
とは云っても、昼間はやはり例年どおりの暑さに戻った感じかな?
ただ湿気がなかった分、快適だったが天気予報ではそれも二、三日とか?
来週からまた猛暑が続くらしい、、、?汗)

こんな暑い日はジャズを聴くのも疲れてしまう、、、! そこで、、、
“夏に聴くジャズ”とか“真夏の夜”などのキーワードでネットサーフィンして
みたら、、、?

Youtubeで偶然見つけたのが、、、
あれはたしか1962年?、私が20歳頃だったか? そんな大昔、我が故里
長崎駅の隣、そこのビル内に当時あった小さな映画館で上映されていた
二本立ての洋画、それは  『黒いオルフェ』  『真夏の夜のジャズ』だった。
(自分の思い違いでなければ? たしかこの二本立て映画だった!?)

便利な世の中になったもので、最近はどんなに古い映画などもYoutubeで
見れるから凄いッ!

この二本の映画の内容は殆ど憶えてなかったので、拙ブログの中の
※“懐かしの映画”シリーズ”、でもこれまで書かなかったが、、、?
今回、改めてこの二本のYoutube を観ていたら部分的なシーンが微かに
思い出されて大変懐かしくなってしまった。先ずは、、、?


『黒いオルフェ』

Orfeu_negro_1959_2映画「黒いオルフェ(カーニバルの朝)」
(1959年)仏・伊・ブラジル合作映画。
監督:マルセル・カミュ

ギリシャ神話「オルフェ」の物語をオール
黒人キャストで再現。ブラジル、リオの
カーニバルと共に死神が現れ、恋人が
連れ去られる、、、?
そんなファンタジックな映画だった。

リオの風景とルイス・ボンファの
「カーニバルの朝」、アントニオ・カルロス・
ジョビンの「フェリシダージ」、など、、
ボサノヴァ・ブームの先駆けとなった映画。

下記Youtubeでは、映画の概要と喧騒のサンバ・カーニバルの様子、
風光明媚な Rio de Janeiro、その中の特にこの映画の舞台になっている
Pão de Açúcar(ポン・デ・アスーカ/砂糖パン)の丘の風景などが描かれ
ている、、、

その映画の中で哀愁あふれる彼のボサノバの名曲、、、
Manhã de Carnaval♪(カーニバルの朝)のオリジナル曲を聴きながら
お楽しみあれ!
https://www.youtube.com/watch?v=nVkDfnGobmI

下記は映画シーンのカット!
https://www.youtube.com/watch?v=ezYmujl9Q4Q



◎以下、余談だけどここで思い出したのが、、、?

上記、Pão de Açúcar の丘がある、Botafogo (ボタフォゴ)の海岸風景、、

Brazil_3
その遥か後方が、彼の有名なコルコバードの丘の上に立つキリスト像!
Christcorcovadomountain
あぁ~懐かしや! リオに最後に行ったのは もう35年ほども前 か?」
サンパウロには度々行ってて、直近では1年半前にも行ったけど、、、
残念ながらリオまでは足を延ばさなかった、、、次回こそは、、、?!^_^)

上記、Botafogo の海岸から Pão de Açúcar の写真右手に周ると、、、
これまた有名な
コパカバーナ、イパネマ、レブロン と美しい海岸線が続く。
そのイパネマは ボサノバの名曲 ♪“イパネマの娘”♪で有名なビーチだ!

そして、二本立てのもう一つの映画は、、、?
『真夏の夜のジャズ』
51qmhq715zl映画「真夏の夜のジャズ」は、1958年に開催
された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティ
バルを記録したアメリカのドキュメンタリー
映画で、1960年に公開された。
監督: バート・スターン

ジャズ・ドキュメンタリー映画として貴重!
その映像とサウンドトラックが素晴らしい。
1958年の米ニューポート・ジャズ祭を収録。

DVDを買えば、ルイ・アームストロング、
セロニアス・モンク、エリック・ドルフィー、
ジェリー・マリガン等々、当時の有名な
ジャズメンオールスターの名演が聴ける。

中でもアニタ・オデイの巧みな名唱、これだけは今でも記憶に残っていた。

ただ、この映画は全てのジャズ・プレーヤーが出演した様子を正確に記録
している訳ではない。そんな映画ではなくて調べて見たら、、、?
100名以上の出演者に対して映画に登場するのはわずか40名ほど!^_^)
それも、ジャズ・プレーヤーを特に前面に出している訳でもない。

その所為か? マイルスやエリントンも、そしてS・ロリンズなど、有名な
プレーヤーも何故か?カットされている、、、
監督B・スターンの気の向くままか? このフェスティバルを気楽に楽しんで
リラックスしている人々の様子を細かく捉えているのが面白い!

日本のジャズ・フェスの様に、「さあ、ジャズを聴こう!」、と改まって、、
構えて、、聴くような、そんな聴き方でがなく、ごく自然に広っぱに流れて
いるジャズを気楽に聴いて楽しんでいる、如何にもアメリカ人のバカンス
風景の様な、古き良き時代のアメリカのジャズ・フェスティバル。

下記Youtubeでアニタ・オデイのスキャットと観客の様子をお楽しみ下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=13qEVKujGDw



◎関連サイト
*
リオ・デ・ジャネイロ (Wikipedia)
*ポン・デ・アスーカ   (Wikipedia)
*カーニバルの朝 [Manhã de Carnaval] (Wikipedia)

◎関連拙ブログ、本文記事左側INDEX欄の※“ブラジル関連”シリーズ
そして、※“趣味の音楽関連”から、、、
(1)ブログ“音を楽しむ徒然語り” その1~7(最終回) のシリーズと、
(2)HP
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2) も併せ覧下さい。

◎コメントは こちら から、、、!

2018年8月15日 (水)

今年もまた終戦記念日

今年もまた終戦記念日、今の平和は誰のお蔭か? 考えよう!
そして「平和,平和と云ってるだけで平和は得られない」事を知るべし。
以下、過去のブログですが、、、!
http://yoside.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-b108.html
「新高山に登ったけど?」
Mount_yu_shanniitakayama_taiwan_3



◎過去の関連記事。
 
「“ニイタカヤマノボレ”、の送信元は?」
 この文中でも紹介している写真集≪依佐美送信所記念館≫ も含めて
 貴重な資料と思います 、、、自画自賛!^_^)

 “三ヶ根山” もっと世に知らしめたい!
 ♪海ゆかば♪ ガンバレ,ニッポン!
 戦後70年と天皇の言葉 
 建国記念の日
 お盆、あれから69年!
 “三ヶ根山”-その鎮魂の山登り-
 誰が 『永遠の0』 を問題にしているのか?
 日本人よ、誇りを持とう!
 昔の日本人は?(最終回)
 ♪海ゆかば♪
 新高山に登ったけど、、、 (続) (続々)


◎コメントは こちら から、、、!

2018年8月 9日 (木)

長崎は73回目の原爆の日だけど!

3日前の8月6日午前8時15分、広島「73回原爆の日」式典の模様を実況
放送していたテレビの前で例年どおり黙祷!
この日、広島ではNHKの実況は08:15の黙祷から始まって、広島市長式辞、
子供代表の平和への誓いの言葉、そして内閣総理大臣の式辞など、、、
それ以下は省略されて放送は一切なし、この間わずか30分ほどだった!

そして今日8月9日は我が故里、長崎の「73回原爆の日」だけど、、、
先の広島の時と同じく、式典の模様を実況中継するのはNHKだけだろう?
それも短く! そして全民放も例年と同じく実況放送は一切しないだろう!

だから今、間もなく始まる長崎での式典も、同じように文字どおり形式的な、
放送で終わるのだろう!、、、それでも遠くここ愛知県安城市から、、、
テレビの前で例年どおり、午前11時2分、黙祷!
Peace_statue_of_nagasaki_20150926
長崎のグランドゼロ、松山町の平和公園の中に建つ平和記念像では、、、
本像台座後部に刻まれている作者、北村西望の言葉で、、、
「顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に仏、
時に神」
との一節があり、顔貌は特定の人種の特徴を表さないように
したとされている。

また神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の
静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の
冥福を祈っている、、、と解説されている。

しかし、最初にこの像を見た時に感じたのは、やたら筋肉隆々の大男で
チョット違和感を感じたけど?^_^)、、今思えば素晴らしい戦後復興を成し
遂げた長崎市民の逞しさ、或いは力強く復興する事を示唆しているの
かもしれない?、と!


◎以下もまた、以前書いたブログのリメイク版だけど、、、!^_^)
太平洋戦争末期、米軍による日本への原爆投下について、、、
3年前の被爆70年に合わせて NHKが行った世論調査で、広島と長崎に
原爆が投下された日付について聞いたところ、正しく答えられなかった人
が、それぞれ全国で7割程度もいた。さらに驚くべきことは、、、
広島県や長崎県でも原爆投下の事実を知らない人がいた!、との報道。

そう云えば私が中学生の頃だったか?長崎への原爆投下を知らなかった
同じ九州 宮崎県の親類が居たことを知った時は、ただただ驚いた!
その人は子供ではなく、もう立派な大人だったのに!

今回のNHKによる世論調査で、広島や長崎の人でさへ、なかには
原爆の投下自体を良く知らない人間が居た!
、と云う驚愕すべき事実。

広島と長崎への原爆投下自体を知らなかった人の、各県別の比率など、
詳細な内訳は載ってないが、長崎人である私が思うに、、、
原爆投下日付もさる事ながら、投下された広島の事は世界的に知られて
いても、長崎の事はあまり知られていない?
これには昔から長崎人としては歯がゆい、じれったい思いがしていた!

それは、広島と長崎の犠牲者数の違いか? まさかッ?
因みに、原爆投下時の 直接被爆 による死者数について、、、
広島長崎両市の公式見解では広島約14万人、長崎約7万人、となって
いるが、この差は、広島(ウラン型)と、長崎(プルトニウム型) の原爆の
能力、威力の違いではなく、
平野が広がる広島と、山に囲まれた窪地、
盆地の多い長崎の違いで出た差。
原爆の威力自体は、長崎のプルトニウム型の方がむしろ広島のウラン型
より1.5倍も強力、と云われている。

当時の長崎市の人口は約24万人。瞬間的直接被曝死7万人強、、、
時間を経てからの二次被爆死、三次被爆死、その後、長崎市内外と
それ以外の土地から長崎に来た人達などの被爆、全て合わせて
約15万人以上の人々が亡くなっている。建物は市内の約36%が全焼
または全半壊。

爆死とは? 原爆の熱線や爆風で直接的に身体に損傷を受けた者、
 被爆死とは? いわゆる放射能被爆が原因で死亡した者。)

また直接間接被爆以外、例えば母親の胎内での被爆などによる放射能
二次、三次被爆、つまり白血病、癌などでの死者はこの73年間毎年、、、
今なお続いている。これは広島でも同じ事!



◎話を戻して、、、
上記した様に、日本全体でも原爆投下自体を知らない人が居る、って事は
テレビ局が毎年の広島、長崎での平和記念式典の様子をちゃんと
伝えないだけでなく、、、

日頃から原爆の事を報道しないテレビや新聞など全マスゴミの所為だ。
あるいは日狂組による戦後教育の所為で、子供達に原爆投下の事実をちゃんと教えていないからだ! 


また、青少年の原爆に対する指導や教育云々を語るなら、、、
なぜ小中高の修学旅行先に、広島や長崎の原爆資料館見学をさせない?
韓国や中国に修学旅行させる学校側の意図が解らない??

『さぁ~! もう怒りを鎮めて、静かに11時2分を待とう!』


◎関係資料
長崎市への原子爆弾投下 (Wikipedia)
カトリック浦上教会 (Wikipedia)
長崎平和公園 (Wikipedia)
長崎 原爆の画像(閲覧要注意!)

◎過去の関連ブログ
8月9日、11時2分 (2016年8月9日)
オバマ・スピーチを聞いて!(2016年5月29日)
長崎、あの日から70年! (2015年8月9日) 
長崎“原爆の日” (2014年8月9日)
広島“原爆の日” (2014年8月6日)
長崎 原爆投下から68年 (2013年8月9日)
因果応報,Ⅱ (2012年8月22日)
8月9日、午前11時2分 (2012年8月9日)
8月9日、、午前11時2分 (2011年8月8日

◎コメントは こちら から、、、!

2018年8月 3日 (金)

ダニエル坊さんを応援したい!

先日、ネット新聞で見た面白い記事、、、

日本仏教の聖地、和歌山県高野山の宿坊・赤松院、、、
(宿坊とは通常、僧侶や参拝者向けに境内に用意された宿泊施設とか?)

Sanmon_2   

そこに日系米国人の僧侶が居るらしい?その名はダニエル・キムラ僧侶。
Daniel_kimura_3

以下、そのネット記事の全文、、、
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/07/post-10691_1.php

記事によると、赤松院を訪れたある外人観光客がSNSで、、、
「高野山の宿坊は質素すぎ。英語での説明も 無いし!」とツイートした事に
対して『当たり前だ、ここは修行の場だクソ野郎!』と返信したとか!爆笑)

他にも、外国人観光客がホテル予約サイトにネガティブなレビューを投稿。
例えば、、、
「食事は質素なベジタリアン料理」、「建物の歴史や教団についてもう少し
説明が欲しかった」、「スタッフがそっけない」
などのレビューに対して、
ダニエル坊さんは、、、

『ここは修行の場だ。当然食事その他はすべて質素なものになる』、
つまり精進料理、ってことを知らずに来たアホ外人共!

『西洋人だからといって特別扱いはしない』、
そのとおりッ!

『なぜ我々がフレンドリーにしなければいけないのか?君たちはなんの
 ためにここに来ている?宿坊をなんだと思っているんだ?』
、、、!^_^)
つまり予め予習もしなくて普通の観光地のホテルぐらいにしか考えて
なかった?アホ外人共!

ダニエル坊さんは、以上青字の返信をしたらしい、、、

実に愉快な話ではないかッ!大拍手!

ダニエル坊さんは英ガーディアン紙の取材に対し、罵ってしまったことに
ついてはとても後悔しており、今後は表現を抑える、と話している、、とか?
『そんな後悔は不要! 貴方は正論を云っただけ!』 、と応援したい。

私が思うに、多分、、、?
ダニエル坊さんは、ご自身が日本では外国人の立場! そこで過去
日本で体験した外人ならではの感じ方と、自分が現在の僧侶の立場に
なって初めて真に日本と云う国を理解できた! 
、、、そこで上記の様な発言になったのでは?、と推察するが果たして?


◎これに関連して私は過去にも書いた自分の体験談、、、

日本人は外人コンプレックスを無くすべし!
来日外国人に妙にへつらったり理解を示したりする必要はサラサラない!
低次元の国際感覚は捨てて、外国ではどうあれ、日本での悪い事は悪い、
、と教えるべし!
 
日本でのルールをちゃんの守らせるのが当然で、彼等の為でもある。
言葉の問題はあまり気にせず日本語で懸命に説得すれば通じる!

例えば、日本人はウドンをズルズル云わせながら食べるが、
それを外人の前では恥ずかしいからと、無理に音を出さない様に、と
妙に気配りする人、、、これなんかも真の文化を判っていない。

レストランなどで、もし外人がイヤな顔をしたら、、、
日本人は ウドンは大昔からズルズル云わせながら食べていた、と外人に
逆に教えなきゃ~いけない。
洋食のス-プとはその歴史も背景も違うんだから!

同じく外人がにぎり寿司を食べる時に手掴みではなくて箸を使ったり、、、
箸はまぁ良いとしても、中にはフォ-ク使ったりした場合も、ちゃんと正規の
食べ方を教えてやるべき。 外人だから、ではなくて日本食なんだから!


◎以上、結論は、、、
つまり何事も 郷に入らば郷に従え! 、って事になる。
私が在住体験した数ヶ国では、わざわざ“日本人の為に”と、特別な事を
して貰った経験は一切なし! 唯一思い出すのは、、、、
1990年代、上海空港で下手ながら日本語での搭乗案内があった事、
そんな事ぐらいなのだ!

それに比べて現在の日本国内の各地で見かける“外国人の為に”、、、
例えば各種標識では英文のみならず、中韓各国語などでの表記や案内、
中にはアラビア語での表記なども見かけた事がある、、、。
また私が行きつけの病院では、これまた英文のみならず、ポルトガル語
等での表記に加えて、その通訳人まで雇っている。

ここまで外国人に対して超親切な国は私が知ってる限り日本だけだ!
にも拘らず、アホな外人共は何かと日本に対してクレームしたり不満を
口にする。今回の高野山の宿坊の例の様に! 
なら日本へ来るな~ッ!、、、と私は云いたい。


◎最後に、、、

これからオリンピックを控えていたり、また政府が外人労働者の受け入れ
政策を転換して、観光客だけでなく、ますます来日外人達が増えるだろう。
そんな折から、日本人は外人に妙にへつらう事と、彼らに親切にしたり、
友好関係を築いたりする事とを混同、誤解してはいけない! 
って
私は自分の体験上、これまた声を大にして云いたい!


◎関連記事。
*
赤松院の公式サイト
*近所に外人が.増えた!
*郷に入らば郷に従え!


◎コメントは こちら から、、、!

2018年8月 1日 (水)

火星が近づいた!

“火星はやっぱり赤かった”
昨7月31日夜は15年ぶりに火星が地球へ大接近したとか、、、!
ニュース解説によれば、「南東の空の低い位置から深夜にかけて上昇し、
南へ移動する。最も離れて見える時期に比べて約80倍も明るい。観測条件
がよければ小さな望遠鏡でも表面の模様を見ることができる」、、、と。
http://www.sankei.com/life/news/180722/lif1807220035-n1.html

Photo_2
前にこのニュースを見ていたので、昨31日夜の9時頃自宅ベランダだから
南南東の夜空を眺めて見たら、、、? 確かに、、、! 
そこで高級カメラは持ってないしコンデジでは無理だろう? と思いながらも
その安物コンデジで構えてみたら、、、オッ~何とか撮れたぞ~!^_^)
予想よりもハッキリしてたし、、、まぁ~天気も良かったしね~!

Img_0384_2 Img_0388 Img_0391
(左)ビルの上にポツン、(中)火星だけアップ、(右)ズームMAX、“火星は
やっぱり赤かった”
(ガガーリンの“地球は青かった”をモジって!古ッ!)




子供の頃から特に天体少年ではなかったが何となく宇宙が好きで、、、
夜の空は比較的良く眺めていた。
当時のアメリカNASAやJAXAの宇宙関係、人工衛星などそんなニュースは
昔から爺ィ~になった今でも好きだ。

昨夜の火星接近の話で、15年前の月と火星の大接近 を思い出した。
あれは香港在住時の2003年9月、香港の自宅から中秋の名月を眺めて
いた時だった、、、?

あの時も今回と同じく、自宅近所から安物カメラで撮った写真が下図、、、
この時は左側の大きい星が月で、右下方に火星を撮る事ができた!
写真に吹き出しを入れてるけど決して模造写真じゃ~ないよ!^_^)
(この写真は後年になってブログでも紹介した事がある。) 

347_b307978db1_jpg_2
あの香港時代には月と火星の大接近をHP (ホームページ)の中の、、、
「今日の独り言」で紹介していた。
http://www.nurs.or.jp/~yide/diary/diary3.html (2003年9月10日記参照)


その内容は、、、
"MARS"つまり火星の話! 昨9日は月と火星が大接近した。
先週も書いたとおり我が家の近くから肉眼でもハッキリ見えた火星と、
昨日は満月2日前13日目の月が大接近する、と聞いて夜10時半頃早速
眺めに出かけた。先ずは⇒この写真(上図)を見てチョ-ダイ!

まさかデジカメで撮れるとは思わなかったが見事に撮影成功!
得意の合成写真じゃないよッ! 信じる者は救われる! ただモニタ-
画面のゴミと間違わないように吹き出しコメントは入れたがね! 
方角や視角度は先週と同じくほぼ南東の空高く、月のすぐ右下に火星が
寄り添うように輝いていた。

双方の距離は月の見かけの直径の約4倍、火星の明るさ等級とか、
専門的な事は解らないが、肉眼ではこの写真よりももっとハッキリ橙色に
見える。この「大接近」は北に行くほど間隔が狭くなるそうだから、
東京から見れば月と火星がもっと近づいて見えたのだろう! 

浮世の煩わしさを忘れ、かぐや姫とタコ足火星人のランデブ-を想像して
空を見上げていたら、またまた首が痛くなってきたッ!
深センにマッサ-ジに行かなきゃ-!
(2003年9月10日 記)

その一週間前に書いた記事、、、
先日、ついに火星を見たぞッ!自宅近くから肉眼でもはっきり見えた。
方角はほぼ南東の空高く、角度は? 目線を水平位置から真上が90度
だから約60度ほど見上げた位置だった。時刻は23時ごろ、晴天だったが
他の星は見えるか見えない程度ながら"アレ"だけはひときわ"赤く"
ハッキリ見えた。多分"アレ"が火星だったのだろう。

満月のほぼ70分の1程度の明るさ、って聞いてたから間違いないだろう。
わざわざ望遠鏡を買うまでもない。老眼ながら近眼ではないので遠くを
見るのに問題は無い。
しかし見えた火星が5500万㎞も離れているなんて、そして次にこれほど
接近するのは284年後とか。先日生まれた二人目の孫、その又曾孫より
以降の代にならないと見れないのかッ! アホみたいにそんな事考え
ながら火星見上げていたら溜息が出て、、、首が痛くなった!
(2003年9月3日 記)

その他、こんな記事も、、、
すいきんちかもくどてんかいめい、、、そう!この丸暗記!
水、金、地、火、木、土、天、海、冥、、、これって何の事かわかる?
太陽から順に外側の軌道上の惑星の名前の頭文字。中学生の時に習った
事が今でも忘れていなかった。

星や天体が特に好き、と云う訳でもなかったが、宇宙SF読み物は好き
だった。今日から10月頃まで約57,000年ぶりに火星が地球に大接近状態に
なるそうな!人類が生まれてたしか約60,000年と言われているから、
全人類にとっても初体験。

しかし近づくと云っても地球から約5500万キロ。次にこれほど近づくのは
西暦2287年とか? 宇宙の話は何にしてもスケ-ルが大きすぎてピンと
こない。何でもブ-ムになる日本では例によってしばらく火星ブ-ムが
続きそう。

しかし嫌な事件や暗いニュ-スばかりの昨今だから、こんなブ-ムだったら
ロマンが有って楽しいね。蛸足火星人のSFマンガを思い出しながら
今夜は夜空を見上げてみるかッ!
(2003年8月27日)

しかし、この話は後になって下記の様な話になって!
3年前のSARS騒ぎが有った同じ年のMARSの話題以来、先週は惑星の
話題でもちきり! あの時はMARS(火星)の57,000年ぶりの地球大接近が
きっかけで惑星が話題になり、この独り言でも2003年8月27日~9月10日に
かけて中学時代の丸暗記『すいきんちかもくどてんかいめい』を今でも
憶えてるよ、等と自慢気に書いたが、、、

今回の話題はその九つの惑星の内、一番最後の“めい”即ち冥王星が
惑星から降格との話! 天文学が進歩して冥王星周辺に類似の星が
数個見つかって、惑星の定義を見直さなければならなくなり、結果的に
冥王星が外された、って事らしい。聞けば70年ほど前に発見されて、
それ以来教科書では惑星は九つ、と確定していたのが今回の決定で
八つの惑星になってしまった。

しかし“すい~めい”と読むリズム、語感に慣れてたのに“すい~かい”って
読むのは入れ歯が外れたような、ゴロが合わないような? 何となくしっくり
来ないな~!しかしこんな事を憶えててもクソの役にも立たないけど!(^_^)


そう云えばあの時に肉眼で見た地球に一番近い惑星⇒火星大接近の
写真をまだサ-バ-に残していた。
(2006年8月30日 記)

以上。


 
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