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“趣味の音楽関連”

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最近の病院は?

ここのところ良い天気が続いている、、、、、!
                近所に広がる広大な畑を散策、、、、、!
『天高く~、馬肥ゆる、秋~!』、とは、こんな季節の事なんだろう!

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ところで、、、
先日、年に一度の胃カメラ検査と、その数日後に大腸検査を受診した。
その結果、胃の方は異常なし! 大腸は内視鏡で小さなポリーブが一つ
見つかったので切除! その為に一泊入院、、、!
そう云えば、大腸ポリーブ切除は一昨年も同様の結果だったな~!

私は胃、大腸どちらの検査も静脈麻酔で一時的に眠らせて貰っている。
でないと検査中のあの苦しさ、痛さがとても我慢できないからだ!
この静脈麻酔の点滴ってホント楽だ。アッ、と云う間に意識が無くなる。
そのまま永久に眠ってしまっても文句なし、ホント!^_^)

12年前に海外から帰国して以来、夫婦とも歳が歳なので毎月定期検診を
受けて病気の予防に! と夫婦で近所の総合病院へ通うようになった。
20191004
この間、私が 思いもよらなかった
大病
を、そしてその後連れ合いも、
腰痛で手術を受けるなど、いよいよ
夫婦揃って病院が欠かせない存在
になっている。
やはり病気は定期健診など予防の
重要性を年々実感中!そこで今日は以前のブログのリメイク版だが近年の病院で感じたこと三題。

(1)病院独特のあの臭いは、、、?
最初12年前から感じていた、昔から病院独特の クレゾール の刺激臭!
昔はどこの病院でも嗅げたあの臭いが、何故病院から消えたのだろう?
Photo
ヒマにかまけて調べてみたら、、、
あの臭い、通称クレゾールは、メチルフェノール で、
消毒殺菌薬として用いられていた。ただクレゾールは
水溶性が低いため石鹸液に溶かし、クレゾール石鹸水
として用いられ、日用品としても広く使われていた。
しかし、誤って飲んだり皮膚にかけてしまった場合、
中毒の原因になり場合によっては重症化するらしい?

てな訳で病院では私が知らないかなり以前から使われなくなった
らしい!

“臭かったけど何だか懐かしい” 病院らしいあの臭い!

それがしない最近の病院は、だから院内感染など発生するようになった
のでは?、、、、と素人考えもしていたが?^_^)
ただ、クレゾールと云えども新型インフルエンザやノロウィルス等には
効かないらしい?

また、昔から動物病院ではクレゾールは使っていないらしい?
特にネコがクレゾールに敏感とか? もしネコの皮膚に付着すると、
皮膚から吸収されて中毒を起こすとか? だったら犬はどうなんだろう?
ペットを飼ってないので、、、どうでも良い話けど、、、!

(余談だけど、、PC“におい”と打った場合、漢字変換で“臭い”と出れば
嫌なにおい。“匂い”と出たら良い“におい”、香り、、、となる!^_^)
お次はクレゾールの事よりも、もっと大切な話で、、、


(2)医者はいつから患者を触診しなくなったのか?
これも、12年前に海外から帰国して初めて気が付いた事だけど、、、
最近の医者は、昔の様に聴診器も使わず、患者の身体を触ろうともせず、
ただ、コンピュータのデータばかり見て、患者の顔を見ようともしない!

この件も、その理由をいろいろ調べてみたら、、、?
今の病院や医者は 医術、って云うよりも、検査データと診断基準だけで
判断し、肝心な患者を正面から見よう(診よう)としない? 

45020130911153009196536それに比べて昔の医者は『ハイッ、ベロを出して!』
、と自分の頭に付けた反射鏡で患者の口の中を
照らしながら、そして次に『ハイッ、胸を出して、
次は背中を見せて!』と患者の裸の胸と背中に
聴診器を当てて耳を澄ます!

 そして、ベッドに仰向けに寝せて、胃や腹を手で押しながら患者の反応を
見たり、場合によっては熱を測り血圧を測る。
これが、医者が患者を診る時の定番のスタイル だったのに!

Computeroperationdoctor それが今じゃ~、どうかすると診察の初めから最後まで
コンピューター画面から目を離さず、患者を見る(診る)
気などないし、ましてや患者を触る気は最初から
サラサラなし、って感じなのだ! 


ただ、病院 (医師) 側の言い分を調べてみたら、、、?

特に経験が浅い医師は、下手に患者に触ってみたり、聴診器の音だけで
生半可な判断をするよりも、血液検査などのデーターの方が正しいので、
そのデーター解析能力を身につけた方が、より正しく患者の病状を把握
できる、となるらしい。

それと近年の患者の中には、身体を触られるのを極端に嫌う患者も多い
とか? その場合、昔と違って医者が強制的に患者を触る事が出来ない
世の中になっている、とか? ったく変な世の中! 患者側もくだらない
我がまま人間が多いんだな~!?

さらに、、、
大病院、個人開業医の区別なく 悪い言い方をすれば、、、
経営を成り立たせるために(儲かるために)、患者にいろんな病名を無理
矢理つけて不要と思われる検査や、不必要な薬剤を処方したり、、、?
診療報酬点数、俗に云う “医療点数” を稼ぐ! 結果的に少子高齢化と
相まって国民の医療費が年々高騰しているのは云わば当然。

現状、日本の医療システムがこの様になってるので、、、
必然的に病院は一人の患者に掛ける時間を少なくし、出来るだけ多くの
患者の医療点数を上げる事になるのは本当にやむを得ないのか??
患者に寄り添った、患者のための診察をしている様には感じられない。

つまり、TVドラマの話ではないが、“医は仁術なり”、と考える医師は、
もはや存在せず“医は算術なり”、と割り切った医師ばかりか?、!^_^)
ここで思い出したのは、、、?
その様な日本の医学界、病院の内情をドラマ化したもので、、、
古くは山崎豊子の有名な小説 「白い巨塔」 を映画化したものとか、、、
最近では 「Doctor X」 の方が現実に近いのでは?
要するに、病院や医者は“医術師”ではなく、“算術師” と成り下がって
いるのが現状かも!?
日本国中の全ての病院、全ての医者がそうだ、とは思いたくないが!?

 

(3)そしてもう一つ、、、
これも毎月の定期検診や年に一度の胃カメラ検査、大腸内視鏡検査などで
入院する度に気付く事だけど、やたら
「免責同意書」 および 「確認事項」
が多い! つまり病院や医者が患者に書かせたいのは、検査や手術の
危険リスクを 『了解しました。もし失敗しても私は文句を言いません!』
と云う免責文章。

専門的にはインフォームド・コンセント(英: informed consent)、
「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念とか!?
これらは何も手術前だけとは限らず、例えばCTやMRI 画像診断などで、
患者の身体に何らかの負担が掛かる検査前にも、同じような書類への
署名を要求される。

つまり患者に何かあった時、裁判等で病院側が損害賠償をしなくて
済むように署名させている訳なのだ。
要は、病院側や医師たちの 自己防衛の為の免責事項 なのだ!

患者が既婚者の場合、その片方の相手など直近の身内、親類など、
また未成年者の場合は親の署名が求められる。
医者も人の子、失敗してしまった時のことを考えると、彼らもこういう
対策を執っておきたいのだろう! つまり、、、
上記ドラマの世界の様な出来事が現実にも起こってるからだろうな~!

 

◎最後に経験者として、、、
“病気になった患者の立場は弱い!”
そんな患者としては、いろいろ問題が有っても、結局は病院と医者に
自分の命を託して、彼らに頼るしか他に道はない。

ある病院(医師)で、どうしても納得できる治療を受けられなかった! と、
自身が感じた時、世間ではセカンド・オピニオンを求めるのは患者の権利、
だから、それまでの医師や病院側に対して他医院への紹介状等の作成
依頼をするのに何も遠慮や躊躇する必要なし、、、!

とも云われているが、現実的には非常に難しいのが実情と感じている。 
ましては医師の方から『他院を当たって見て!』とは滅多に言い出しては
くれない。結局、患者としては無断で転院する事も有りうるだろう!?
闘病記≪耳づまりが治らない?≫

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2019年9月22日 (日)

ヴァイオリン・ジャズ って?

ここのところ朝夕がちょっと涼しくなってきた。
そりゃ~そうだろう、もう秋だからね~! 先日までのあの暑さが異常
だったってこと。

先20日(金)夜、またライブを聴きに 「Mr.Kenny's」  へ 、、、!
先夜のライブは初めて聴いたグループで、言うなれば 弦楽三重奏、、?
つまりバイオリン、ギター、ベース、と珍しい”弦”だけのトリオだった。
題して、《ミチ・フジ トリオ feat.エド・チェリー》 From NY

20190920livejpg

出演パーソネルは、、、
ミチ・フジ (vln)、from NY エド・チェリー(g)、from NY パット・グリン(b)
三人とも今回初めて聴くプレイヤーだった。

以下、ネットの関連サイトからの引用だけど、、、
通常はNYで活動しているミチ・フジさんは、ここ愛知県豊田市の出身とか?
で、今回は一年ぶりに里帰りのツアーライブとか。
どうりで? 先夜のライブには地元名古屋の女性のお客さんが多かった。

彼女はピアノのジュニア・マンスに見出されて、彼のバンドメンバーとしても
活躍したジャズ・ヴァイオリニストらしい。
今回は D・ガレスピー・バンドのメンバーとしても活躍したギタリスト の
エド・チェリーを伴って、パット・グリン(b) と共に「弦トリオ」を組んで
日本ツアーの一環として国内各地を廻っている。

Dsc_0022


◎そして、2ステージ聴いた感想は、、、?
一口で云ってしまうと、「バイオリン・ジャズは面白くない!」 の一言。
もちろん世界にはバイオリン・ジャズとして有名なプレイヤーも多いし、
ヒットした彼らの演奏も有ることは知っているが、私は好きになれない!
国内での有名どころでは寺井尚子あたりかな?

バイオリンのあの独特で神経質な高音の粘りっ気のある音色、あれは
私の音感ではどうしてもジャズの命であるスゥイング感を感じられない!
例え一流のプレイヤーの演奏を聴いてもだ! バイオリンはやはり
クラシック向きの楽器だろう。
これは 私の独断と偏見のバイオリン・ジャズ考 なので悪しからず!

もちろん、今回初めて聴いたミチ・フジさんのバイオリンは、その経歴
からも伺えるように、クラシックの基礎に支えられた素晴らしいテクの
持ち主であることは容易に想像できた。しかし、、、?

今回の演目は一部を除いて殆どがジャズのスタンダード曲だったので、
自分の耳感性ではエド・チェリーのギターと、パット・グリンのデュオ
でのソウルフルな楽しい演奏を聞いてるような感覚だった。
それはマイク・ミキシングのせいか? 自分のポンコツ耳 のせいか?
全曲を通してバイオリンがギターとベースの音量に負けていたからだ!
これは私にとって幸だったのか?はたまた不幸だったのか?
今回のリーダーのミチ・フジさんには大変悪いけど、、、!

アコギのテクが素晴らしかったエド・チェリーは、さすがD・ガレスビー・
バンドに居ただけの本物の正統派黒人ジャズ・ギタリスト だった。
できたらドラムを入れたギタートリオでブルースを聴きたかったな~!^_^)
ベーシストのパット・グリン、これまた良く謳いボリューム感満杯、
尚且つ最高のテクを見せて、聴かせてくれた。
ギターとのユニゾンではその早打ちピチカート奏法って云うのか?

、、、 に惚れ惚れしました。!^_^)

◎以下、余談だけど、、、
今回ライブの主人公”ミチ・フジ”さんを見出したジュニア・マンス、
このピアニストは私の好きなピアニストの一人だ。
ブログ:私が好きなピアノ・トリオ

◎関連サイト
*Michi Fuji Jazz Violinist
(公式Webサイト)
*The Michi Fuji Trio featuring Ed Cherry
 ("Kanazawa Jazz Street" )
*Ed Cherry
 (英文Wikipedia)
*Pat Glynn
 (公式Webサイト)

◎関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。 

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2019年9月14日 (土)

「阿寺の七滝」を思い出した!

9月だと云うのに、いつまでこの暑さは続くんだ~!
また暑さがぶり返してきた今日この頃、最近の日本全国の異常な暑さは、
同じく異常なまでの集中豪雨と共に、今回の台風での特に千葉県など
での広範囲な停電被害など、今日本では尋常ではない気候の連続だ~?

そこで今日は少しでも涼を感ずべく、以前行った事があつたこの地方に
ある滝の事を書いてみよう、、、
とは云っても以前のブログのリメイク、つまり焼き直し版だけど、、、!^_^)

住まいが有る愛知県安城市からそれほど遠くない、新城市、、、
そこに「阿寺の七滝」、と云う、なかなか良い場所を知ったのは、、、?
そこは以前、知人から連れて行ってもらった所だった。

なかなかのナイス・スポット、、、!
何でも、ここの滝および周辺は国の名勝および天然記念物に指定されいて
見たところ1本の滝だが、数えてみたら確かに大小七段の段差が有る
なかなか立派な滝だった。
Img_0027_20190912124201Img_0029_20190912124301Img_0030Img_0036_20190912124301
JR飯田線沿い、新城市の三河大野の近くを通る愛知県道442号線を東側
に向かうと、、、やがて「阿寺の七滝」の駐車場に着く、、、
そして案内板を読んでから、道なりに木陰の道を進むと、、、
間もなく目的地の「名勝天然記念物、阿寺の七滝」に到着。

Img_0037_20190912125301Img_0038_20190912125301Img_0040a_20190912125501Img_0041_20190912125501
直ぐに滝の全容が望める。その説明書き、滝の左側の土手の細道を
登って行って、、、上から下の方を見降ろしたら、、、!?

Img_0043_20190912125501Img_0046_20190912125601Img_0047_20190912125601Img_0049
左端の写真は七つの滝の途中の滝つぼ。これは甌穴(おうけつ)と呼ばれる
らしい? 下まで降りてもう一度七滝の全体像を改めて眺めて見た。

この滝および周辺は国の名勝および天然記念物に指定されていて
日本の滝100選の一つとか。
1本の滝だが数えてみたら確かに大小七段の段差が有った、、、
この滝の上から2番目と5番目の滝壺には深さ7メートルにおよぶ
甌穴(おうけつ、かめ穴)は、河底や河岸の岩石面上にできる円形の
自然の穴らしい。


◎参考資料
*近辺の地図
(Google Map)
*甌穴 (Wikipedia)
*日本の滝100選


◎過去の関連ブログ、HPなど。
*阿寺の七滝、他
*同上,写真集≪阿寺の七滝、他≫
*養老の滝 (昔あった居酒屋チェーンの名前の元、なかなか興味深い!)
*懐かしい香港の「梧桐寨群瀑」(Ng Tung Chai Water Fall)
Photo_20190914104801
その詳細はHPの 香港版 “華厳の滝” をお読み
下さい。

私が勝手に「香港版"華厳の滝"」、と名付けましたが、
高さ35m有ります。
因みに日本の本家「華厳の滝」は未だ知りません!^_^)
(昔、日光東照宮までは行ったんだけどな~!?)




 




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2019年9月 2日 (月)

ジャケが良いディスクは中身も良い!

私の HP(ホームページ) のトップ表紙ページ内、真ん中の枠内にある
「MENU」の右側にある画像は 私の気分 で時々変えている。
また、そ画像からもブログに飛べるようにリンクを張っている。

それは、、、元々ブログ記事の内容に関係ある画像なり写真を載せていた
為に、その様にしたけど、記事内容によっては写真などない場合も有って、
その場合は、記事内容には全然関係ない画像を載せる時もある。

この画像(写真)は当初は“Java Script” を使った8枚のスライド・ショー
にしていたが、近年の新しい端末やブラウザによってはスライドしない
場合も有ったので、同じ“Java Script”でも、そのHTMLコードをより容易に
記述できるように設計された Google/ Jquery リファレンスを使う事に
変更した経緯がある。

これで表紙ページの画像は、IE以外のブラウザやタブレット端末、さらに
スマホでもスライド・ショーが見れるようになった。そこで、これまで8月の
花火の画像を今日9月2日からは新しい画像に変更!
それは、古いジャズ・レコードのジャケット写真で、特に私が大好きな
MJQ(Modern Jazz Quartet)、その他の古いアルバムを中心に載せてみた。

Top_0

←MJQ (Modern Jazz Quartet)の“フォンテッサ”は
1956年にそれまで所属した"Prestige"から
"ATLANTIC"レコードへの移籍1弾目のアル
バム。表題の"Fontessa"は現在も各地で上演
されている16世紀イタリア・ルネッサンスの
仮面舞踏会?の即興演劇。John Lewis が
小組曲として作曲した大作。そして、リーダー
John Lewis(pf) とMJQによるジャズ室内楽の
代表作品。
Youtube でお聴きあれ!⇒"Fontessa"


Top_0←おなじくMJQのアルバムだが、それほど有名
ではないみたい?、しかし、私は大好きなアル
バムの1枚。
それは全曲に渡って飽かさない選曲とアレンジ
だからかも? 
中でも Milt Jacksonのソウフフルな
Vibraphoneには下半身がムズムズ!?^_^)

Youtube でお聴きあれ!⇒"Pyramid"


Top_0←これまた初期のMJQアルバム。50年代初め
頃のJohn Lewis はサードストリーム・
ジャズ(第三の流れのジャズ)の創始者とも
云われていた。現在はフュージョン・ジャズ
が当然の様な流れ だが、当時は知的な彼の
ジャズがとても新鮮だった。
このアルバムはフランス映画(邦題”大運河”)
の音楽としてJohn Lewis が作曲したもの。
また、このレコードは、ジャケットの美しさ
でも有名で、この絵の作者は英国の画家ターナーが描いたベニスの
風景画らしい。
Youtube でお聴きあれ!⇒"The Golden Striker"(大運河より)
 
Top_0

←このアルバムはドラム(ds)がコニー・ケイ
に代わる前のMJQの初代ドラマー、ケニー・
クラークが参加した初期のMJQの名盤中の名盤。
ベルギーのジプシー出身のギタリスト、
ジャンゴ・ラインハルト(g)に捧げた表題曲
「Django」があまりにも有名。

Youtube でお聴きあれ!⇒”Django”


以上でMJQは終わり、、、

Top_0←こちらはマイルス・デウ"ィス(tp) の名盤中の
名盤! 有名な1954年12月24日のクリスマス・
セッションで1954年6月録音。
ミルト・ジャクソン、ソニー・ロリンズ、
ガーシュインのナンバーが演奏される。
面白いのは裏面のメンバー・クレジットには
セロニアス・モンクの名前が無いのにも関わらず、
表のジャケットには堂々と名前が?

Youtube でお聴きあれ!⇒"Bags Groove"

Top_0←これは数あるビル・エバンスのアルバム中で
最も良いアルバムかも?
(b) ベースのスコット・ラファロという天才が
入ってるせいか? 通常のピアノ・トリオとは
かなり異なる。マイルスのモード手法と似て
いるのかな? シンプルトーンのエバンスの
アドリブは洗練されていて、中でも“枯葉”は
クールで鋭いピアノのタッチ、ベースの躍動的
リズム、そしてドラムのセンシティブなリズムには
圧倒されてしまう。ビル・エバンスのスタンダード・アルバムだろう。
Youtube でお聴きあれ!⇒"Portrait in Jazz"

Top_0←このアルバムは、"Quiet Kenny"
「静かなるケニー」と云うタイトルどおり地味な
トランペター、ケニー・ドーハム。
マイルスやアート・ファーマー等とも違う。
しかし実力はビ・バップ時代から認められ、数多
くのセッションに参加している。
後輩のドナルド・バード、リー・モーガン、
フレディ・ハバードに先を越され、何となく影が
薄いが、50年代の終わりにこのアルバムがパッ!
と輝きを放った。中でも“アローン・トゥゲザー”の哀愁味を帯びた音色と
フレーズは涙が出そう!
Youtube でお聴きあれ!⇒ "Quiet Kenny"


Top_0←こちらも古い1956年11月録音で私が唯一持って
いるArt Pepper(as)の名盤。
どの演奏曲も素晴らしいが、中でも、、
“Besame Mucho”が楽しい名演!
バップの演奏はスリルと哀愁に溢れるフレーズが
素晴らしい!

Youtube でお聴きあれ!⇒"Art Pepper"


以上、8枚のジャズ・ジャケの紹介でした。
さて、次回はどんなジャケを載せようかな~?

 

◎関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。 

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2019年8月19日 (月)

ピーター・フォンダの死去

去る16日、米俳優のピーター・フォンダ さんが亡くなったとか?
Peter-fonda先ずは 「ご冥福をお祈り致します!」

この人は私より若い人?と、思っていたら、?
何と,2歳年上の1940年生まれ、79歳だった!
何故今まで自分より若い俳優と思い、また感じて
いたんだろうか、それは、、、??


そもそもピーター・フォンダ、と云えば、、、
私は映画「イージー・ライダー」ぐらいしか思い出せない。そして、、、
私にとって単にあの名優”ヘンリー・フォンダの息子”、というぐらいにしか
実は認識が無かったのだ。
2
上図は映画「イージー・ライダー」の有名なシーン! 長くて高いハンドルの
ハーレー・ダビットソンが、米西南部のモニュメント・バレーを疾走している。
左側、星条旗デザインのヘルメットを乗せているのがピーター・フォンダ


映画イージー・ライダー (Easy Rider)
は、1969年公開の米映画。
デニス・ホッパー監督で、ピーター・フォンダとデニス・ホッパー主演の
ニューシネマの代表作と云われ、ピーター・フォンダの代表作となった。

マリファナ密輸で一獲千金を得てイージーに生きて、イージーに死んで
いったアメリカの若者たち、自由の国アメリカが実は自由ではなかった!
麻薬コカインが蔓延し、退廃していく荒れたアメリカの人心、ベトナム戦争
を契機として時代の転換期を表そうとした映画だったのだろうが、、、?

私はハッキリ言って、あまり面白くもなくシリアス感も感じられなかった。
だから主演ピーター・フォンダの映画も、唯一この映画を観ただけで正直
あまり印象には残っていなかった。

ただ、私が好きなモニュメント・バレーなど西部劇の舞台となった綺麗な
景色が次々と出てきた事だけが記憶に残っている。
N20
上図はそのモニュメント・バレーの入口付近らしい、、、?
http://interesting.world.coocan.jp/hphp/i/place/monumentvalley/ より。
(作者の許可取得済み。)


◎ここで話が変わるけど、、、

Img_1009096_44456781_0_2実は、私は今回亡くなったピーター・フォンダよりも、
その父親のヘンリー・フォンダ が大好きな俳優だった。
この人の映画で今でも私が強く印象に残っているのは、、、
『怒りの葡萄』、『荒野の決闘』、『十二人の怒れる男』
『ワーロック』、『戦争と平和』、『西部開拓史』、『黄昏』
他、etc、etc。

ヘンリー・フォンダは1905年生まれで1982年に77歳で歿。
今回、息子のピーター・フォンダが1940年生まれで今2019年79歳で歿!
因みに私の父は1907年生まれでヘンリーより2歳若く、1991年85歳で歿。
そして私が1942年生まれでピーターより2歳若く、現2019年で77歳となる。

私が大好きだった洋画 はその殆どが17,18歳~20歳台前半頃までに集中
して観ていた。だから上記ヘンリー・フォンダの映画も、また他の映画も
同様、その主な出演者たちの生年は知らなくても当然自分より年上の
俳優とばかり思っていた。特にヘンリー・フォンダはゲイリー・クーパー
ともに、私にとって父親のような雰囲気を感じていた! 

だが、映画「イージー・ライダー」は1969年作品なので、ピーター・フォンダ
が29歳の時の映画であり、その頃私が27歳だったが、この年頃になると、
それより以前の若い頃と比べてあまり映画を観なくなっていた頃で、
そんな時に珍しく観た映画だった事を記憶している。だから、、、
何となくピーター・フォンダは自分より若く感じていたのかも知れない?

名優ヘンリー・フォンダには、今回亡くなった息子ピーターの姉となる
ジェーン・フォンダもいる。
下図は父ヘンリー・フォンダと娘ジェーン・フォンダのツーショット。
(Wikipediaより)
Janet_henry_fondaジェーン・フォンダ、実はこの人の映画も私は殆ど観た
記憶が無い。それより私の中での彼女はベトナム戦争の
反戦活動家だった事の方が強く印象に残っている。
もっとも1970年代初頭は彼女に限らず、多くの俳優や
芸能関係者がベトナム反戦運動をやっていて、アメリカが
一番荒れていた時代だった様な、、、?
今、そんな記憶が懐かしくよみがえる、、、!


◎関連サイト(以下全てWikipediaより)
*映画イージー・ライダー
*ピーター・フォンダ
*ヘンリー・フォンダ
*ジェーン・フォンダ

◎Youtube, 「Easy Rider」, Original Soundtrack
Born to Be Wild ~ Ballad


◎過去の関連ブログ記事
*懐かしの映画(21)『荒野の決闘/OK牧場の決闘』
*懐かしの映画(28)『怒りの葡萄』
*懐かしの映画,もろもろ談義


掲示板は下記(コメント)から、、、
「(続々)書きたい放題 掲示板」は こちら から、、、

2019年8月 9日 (金)

長崎 74年目の原爆投下の日

先日8月6日、午前8時15分は広島「74回原爆の日」式典の模様を実況
放送していたテレビの前で例年どおり黙祷!

そして今日8月9日は我が故里、長崎に原爆が投下されて74年目だが、、
地球上で起こった原子爆弾の投下が人類史上最後の地となる筈の長崎!
しかし、現状世界の動きは核拡散が広がり、いつどこで史上三度目の
核兵器が使用されるか? そんな危機が日々迫っている様に感じる。

『NHKをぶっ壊す!』の1フレーズで議席を獲得したあのオッサン!
その真意は分からないが、原爆投下の平和式典の模様を実況放送する
テレビ局は今やそのNHKのみ! 今9日もまた先の広島の時と同じく、
式典の模様を実況中継するのはNHKだけだろう?
それも短く! そして全民放は例年と同じく実況放送は一切しないだろう!

だから今、間もなく始まる長崎での式典も、同じように文字どおり形式的な、
放送で終わるのだろう!、、、それでも遠くここ愛知県安城市から、、、
テレビの前で例年どおり、、、
        午前11時2分、黙祷!
Peace_statue_of_nagasaki_20150926
長崎のグランドゼロ、松山町の平和公園の中に建つ平和記念像では、、、
本像台座後部に刻まれている作者、北村西望の言葉で、、、
「顔は戦争犠牲者の冥福を祈る 是人種を超越した人間 時に仏、
時に神」
との一節があり、顔貌は特定の人種の特徴を表さないように
したとされている。

また神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の
静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の
冥福を祈っている、、、と解説されている。

しかし、最初にこの像を見た時に感じたのは、やたら筋肉隆々の大男で
チョット違和感を感じたけど?^_^)、、今思えば素晴らしい戦後復興を成し
遂げた長崎市民の逞しさ、或いは力強く復興する事を示唆しているの
かもしれない?、と!
 
日頃から原爆の事をほとんど報道しないテレビや新聞など全マスゴミは、
あるいは日狂組による戦後教育の所為?で、子供達に原爆投下の事実
をちゃんと教えていないのだ~ッ! 

また、青少年の原爆に対する指導や教育云々を語るなら、、、
なぜ小中高の修学旅行先に、広島や長崎の原爆資料館見学をさせない?
韓国や中国に修学旅行させる学校側の意図が解らない??

『さぁ~! もう怒りを鎮めて、静かに11時
 2分を待とう!』


◎関係資料
長崎市への原子爆弾投下 (Wikipedia)
カトリック浦上教会 (Wikipedia)
長崎平和公園 (Wikipedia)
長崎 原爆の画像(閲覧要注意!)

◎過去の関連ブログ
長崎は73回目の原爆の日だけど!
(2018年8月9日) 長崎と広島の違いは?
8月9日、11時2分 (2016年8月9日) プロテスタントの米国の思惑は?
オバマ・スピーチを聞いて!(2016年5月29日)米国に謝罪を求めない日本!
長崎、あの日から70年! (2015年8月9日)原爆投下の事実を知らない日本人!
長崎“原爆の日” (2014年8月9日)原爆投下の瞬間は?
広島“原爆の日” (2014年8月6日)天皇は何故平和式典に参加しない?
長崎 原爆投下から68年 (2013年8月9日)アメリカの不都合な事実とは?
因果応報,Ⅱ (2012年8月22日) ひょっとして原爆投下はなかったかも?
8月9日、午前11時2分 (2012年8月9日)ウラン原爆とプルトニウム原爆の違い?
8月9日、、午前11時2分 (2011年8月8日) 原爆と原発?

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2019年8月 5日 (月)

恵那峡~岩村城址の旅

先7月30日~31日、岐阜県の『恵那峡~岩村城址の旅』へ単身で
出かけた。考えてみたら7月末以降日本列島は猛暑に見舞われる中、
その中でも特に岐阜県の多治見市などは全国一の暑さで日中の気温が
38度近くまで上昇!

旅行先の恵那峡岩村城址は、名古屋からJR中央線でその日本一暑い
多治見市の先に位置し、中津川の手前に有る地域。何を好き好んで
この猛暑の中、わざわざそんな日本一暑い所まで行かなくても良さそう
なのに?と!  しかし、いろいろ心に思う事があって、、、!^_^)

実は30日(火)朝までは具体的に行き先を決めてなくて、その二、三日前に
テレビで見た馬籠~妻籠 間の中山道を歩いて見ようかな~? と漠然と
考えていた。以前 馬籠妻籠は知人の車で行った事が有ったが、
中山道の歩きそのものは経験してなかったし、、、?
とにかく、何処か静かな所を独りで歩いて見たかった、、、!

それで同日午前中、名古屋 金山駅からJR中央線に乗った訳だったが、、、
約1時間20分後に中津川で下車、そこからバスで馬籠まで行くべく駅の
近くの観光案内所でバスの時間など調べたら待ち時間が1時間ほども
有っので、案内所で暇そうなお姉さんと雑談しながら思い付いたのが? 

そうだッ! 馬籠妻籠は一度行ってるし、それより未だ知らない恵那峡
でも行こうか? そしてかって聞き知っていた岩村城址は? これで決まり!
、となった訳。以上、前置きが長くなったけど、、、

↓これが今回の旅行行き先概略図。詳細な拡大地図は⇒こちら 
Map-1  


恵那峡岩村城址に行くには中津川からではなく、手前の恵那駅から
行くのが便利と聞いて、早速先ほど着いたばかりの中津川駅から二駅
手前の恵那駅まで戻ったのは、、、既に午後1時過ぎ頃だった。

今度は恵那駅横の観光案内所で恵那峡近くの全国ホテルチェーンに電話
予約を入れてみたら幸い部屋が取れた。送迎の車が来るまでちょっと間が
有ったので駅前のレストランで軽い昼食、その後、送迎車でホテルまで。

ホテルの3階の部屋から正面下に広がる湖がまさに恵那峡の観光遊覧船
の船乗り場だった。湖の左手先方には大井ダムもちょっと微かに見える!
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部屋で小休止の後、午後3時過ぎに先ずは目指す恵那峡へ行こう! と、
ホテルカウンターで遊覧船を予約、ホテル正面玄関前に有ったこの周辺の
案内図を見ながら坂道をチョット下ったら直ぐに桟橋へ。

20~30人乗り程の小型ボートだったが自分が乗った船はオバサン二人と
私で計3名のみ! 船長さんの号令で『いざ30分間のクルージング出発!』
その後は自動音声の女性ガイドの案内で窓から見える景観の諸々説明が
続く。桟橋を出て右側へ迂回し、最初の赤い橋、恵那峡大橋の下を潜る。
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この橋は湖面から50m以上の高さ ?対岸の恵那峡ワンダーランドへ!
このボートは水しぶきを避けるためか? 客室全面を透明アクリル板で
覆っているので、写真が日光の反射で影が映ってしまうな~、残念!
湖の両岸に立ち並ぶ異様な大きな奇岩の数々、、、!
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音声ガイドが、獅子岩(上右3番目)とか屏風岩(下1番目)とか、
各々の大岩の尤もらしい名称やその由来などの丁寧な説明をする。
桟橋を出て20分程経過した頃、湖の先が細くなった辺りから船はUターン
(下右3番目)の岩は「品の字岩」漢字の"品"に似ているから?
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(上右4番目)の赤い恵那峡大橋を潜ったら、、、?

↓その先に見えた大井ダムをアップして見た。そして元の桟橋に到着。
この桟橋のほぼ真上が宿泊しているホテルだった。最初に案内のあった、
出発から到着までちょうど30分間、料金約¥1300/大人也、高い?安い?
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↓遊覧ボートを下船した後、周囲を散策、、、近くの小高い丘の上へ、、、
電力王「福澤桃介」?と知らない人、その隣には聞いた事が有るたしか
昔の女優 川上貞奴、二人はどんな関係? この丘から真正面に見えた
先ほどのワンダーランドと、後ろの山は紅岩と呼ばれる巨大な花崗岩! 
(右端4番目)は翌31日朝にホテル窓から見た大井ダムと後ろは笠置山。  
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恵那峡見物を終えて、、、結果的にここは秋の紅葉の季節が良さそう!


◎ここから岩村城址の話、、、
恵那峡のホテルに一泊後の翌31日(水)朝、ホテルの送迎車でJR恵那駅
まで送ってもらう。そして同駅と隣接する「明知鉄道」に乗って、
今回の二番目の目的地である岩村城址へ、、、!

JR恵那駅に隣接する明知鉄道、小さな駅舎内に”明智光秀生誕の地”
幟が立っていた? そう、現在の”明知”は美濃源氏土岐氏支流である
明智氏の出身地だった!
明知鉄道は恵那駅から出て終点の明知駅までわずか25Kmのローカル
鉄道路線。

たまたま夏休み中の課外授業か?小学生達数十人と鉢合わせ、、、!
それまでは待合室に観光客らしいオバサン達だけ数人しか居なかったが、
思いがけず多数のチビック達の出現で、狭い駅舎内は一挙に騒々しく
なった。ウルサ~イ!汗)  午前10時過ぎ、二両編成の電車は出発。
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周囲に広がる田園風景、それは良いけど、? 私は先に席に座っていたが
チビッコが私の両側に座り、目の前には座れなかった子供が立っている。
とにかく ウルサ~イ!汗) 、私は席を立って車両最後部で立つことに、、!
同じくそれまで近くに座っていた若い青年1人も立っていた。
聞くと高二の地元青年だった。彼と明智光秀のことなど諸々歴史雑談!

それにしても、チビッコ達を引率していた女の先生曰く、、、
『アラ!子供達に席を譲って頂いてスミマセン!』だ~て!、私は
「子供たちは立ってなさい!」、と指導しないの? と内心思いつつ、
『いいえ、まだ77歳で若いから大丈夫です!笑)』、と余計な皮肉を一発!

車両の前の方には私同様、座らずに立ったままの老人も! そして目の前
には近頃の車内風景では珍しいスマホではなく読書中の女子高生も、、!
何とも のどかなローカル鉄道も10時45分には目的地の岩村駅に到着、。
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岩村駅正面をちょっと右に行き、次に左折した所から古い町並みの、
いわゆる岩村城下町が続く。全長約1.3kmの古い町並みは昔の商家や
旧家、珍しい土壁など佇んでいる。まぁ~同じ岐阜県では高山市の
古い町並みの方が見栄えがした様だけど? 以下その一部の写真を、、!
右端の写真は珍しい昔の消火器収納箱と下田歌子もここの出身だった?
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↓は明治時代の郵便局と郵便ポストをリニューアルした話、、、?
またこの常夜灯の説明書きを読むと、この街並みの歴史の一端が判る、!
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↓この標識から右に登って行くと、立派な櫓と門構え! 写真右端の
”太鼓櫓いわれ”の説明書きで、岩村城の説明がほぼ全て理解できる。
”岩村城”、その知名度は低いし私は全く知らなかった。全国には
この様な無名だけど由緒ある小城や山城がまだまだ有るんだろうな?
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坂道をさらに登って行くと右手の岩村歴史資料館の中には入らなかったが
その門の右手に立つ、江戸時代の美濃国岩村藩出身の著名な儒学者
佐藤一斉 の銅像。、、、そして写真右端は岩村藩校知新館
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↓知新館の説明書きと”太鼓櫓”の全景。また元の坂道に戻って、、、
いよいよ、ここからが岩村城址への登り口、この時 時刻は11時40分
ここから登坂スタート!、、、直ぐに坂道右手の小さな門構えは?
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↓そこは先ほど城下町で見た下田歌子の勉学所だった、、、
この辺りから岩村城本丸まで、各通路の当時の呼称や門の名称などの
説明書き。さらに頂上までの残り距離を表す標示等も親切に、、、!
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登り坂が続く、、!汗)、日頃の運動不足に加えてこの日の猛暑、!汗)
ヒィヒィー、ハァハァー、、!汗)、77と云う歳の所為にはしたくない!
しかし昨夜の恵那峡ホテルで見たテレビニュースでの熱中症は恐ッ!
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水をカブ飲みしながら登坂が続く、! この辺りから石垣が、、!
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この古井戸は、、、?
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↓あと100m、もう少しだ~!ここから左手上の八幡神社は朽ち果てて?
写真右端、菱形の石垣の説明書きはなかなか興味深いものだった。
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↓さぁ~最後の登り階段、ここで何処かの女性に追いついた!
、それにしても、ホント立派な石垣だ~ッ! 昔の人はやっぱり偉い!
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↓そして遂に、標高717mの岩村城本丸跡に到着、、、!
時刻は12時20分、先ほどの登り口からストートしたのが11時40分だった
ので凡そ40分も掛かった事になる。正直きつかった~!汗)
下に見えるは岩村町か? 広っぱの端に建つ岩村城の歴史と歴代慰霊碑。
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↓本丸の説明板。この広っぱの周囲を廻って観た。どうやら西北の方の
あの雲に隠れた高い山は恵那山らしい? ここ頂上で肝心の証拠写真を
撮り忘れたので下り坂の途中で出会った女の子に撮って貰った!

Img_0128_rImg_0126_rImg_0129_rImg_0131_r 

↓そして、城下町の古い町並みを下り、途中の食事処で遅い昼食!
元の岩村駅に帰り着いたのが午後2時頃。駅舎の横に有ったここ岩村の
三人の偉人たち。失礼ながらこんな小さな田舎町でも文化的な素養に
優れた人物を輩出した町なのだ。凄いッ!

恵那駅
までの帰りの電車が2時15分発、と出発前に調べていたので
予定通りの到着時刻だった。この時刻に間に合ってなかったら1時間
以上待たされるところだった! 隣の駅名が”極楽”とは!?
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↓定刻の2時15分、戻りの電車で恵那駅まで、そして午後3時1分、
JR恵那駅から名古屋方面行に乗り換えて帰路に就いた。
昨日、今日ともに猛暑だったな~! フ~ッ!汗)
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◎最後に、、、
以上、このブログ記事は写真が多くて、、、!汗)
ブログ本体画面の最上部右の※でも書いてるが、2019年3月以降、
写真集(アルバム)が作れなくなったので、やむなくブログ本文
記事内に写真を載せてアルバム形式にしています。

◎関連サイト
*恵那峡
(Wikipedia)
*大井ダム (同)
*岩村城 (同)
*明知鉄道 (同)
*明智光秀 (同)
*下田歌子 (同)
*三好 学 (同)

◎過去の関連ブログ
*雪の飛騨高山
*馬籠 妻籠の旅
*春の予感、大正村

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2019年7月27日 (土)

Days of Delight 第三弾CD"1969"発売記念ツアー

この地方の梅雨明けを感じさせる様な最近、、、?
セミも鳴きだしたし、あの毎年の猛暑がまた還ってきた、、、!汗)
そんな暑い夏の夜、まさに真夏の夜のジャズ を聴こうと、、、
先25日(木)夜、久しぶりに 「Mr.Kenny's」  へ 、、、!

先夜のライブは初めて聴いたグループだったが、ペット、テナー、ピアノ、
ベース、ドラムス、と云うオーソドックスな構成のQuintet、、、!

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その出演パーソネルは、、、
リーダー、アレンジャーの塩田哲嗣(b)、吉岡秀晃(p)、大坂昌彦(ds)、
曽根麻央(tp)、太田剣(as)。
いずれも今の日本で名が売れてる一流ジャズ・ミュージシャン達ばかり
だが、この中で私は大坂昌彦(ds)以外は 全て初めて聴くミュージシャン
ばかりだった。

◎以下、ネット上の彼らの関連サイトからの引用だが、、、
タイトルの『Days of Delight 第三弾CD、、、』、と云うのは、、?
その第一弾のテナーが土岐英史、第2弾は峰厚介ときて、今回は太田剣、
と云う事らしい。

Days of Delight Quintet による新作『1969』は、20代から50代まで
世代を超えて参画した腕利きのプレイヤーたちがストレート アヘッドな
ジャズの “今"を圧倒的な熱量で快演。
バンドを束ねるのはベーシストの塩田哲嗣がレコーディング・エンジニア
も兼ねてこのCDの音づくりを担当した、、、とか! 
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←そのCDジャケ





◎そして、2ステージの演奏の感想は、、、?
リーダ一、塩田さんのオリジナルを主体として、一部リー・モーガンの
「ザ・サイドワインダー」や、ハービー・ハンコックの何とか? と曲名を
忘れたが、とにかく飽きが来ない2ステージの演奏曲構成だった。
もっとも「ザ・サイドワインダー」はこのバンドのメインテーマの様な?

私が思うに、出演ミュージシャンのオリジナル曲は、こちらが馴染みが
無いので、往々にして面白くも、楽しくもない感じになってしまいがち
だが、このベーシスト塩田哲嗣さんの曲は素晴らしくて全く別格だった!

中でも、塩田さんがMCで語った、ある一曲(TARO ?)は、著名な画家の
”岡本太郎”のトリビュート作品であり、「今日の芸術は、うまくあっては
ならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と、
云う彼の言葉に影響を受けて作った曲とか? そんな難しい理屈は??
だが、とにかく素晴らしい印象に残る曲だったことは間違いない。

20190725live


◎2St.全体を通して感想を一口で云えば、、、
全曲無難な”ストレート・アヘッド”なジャズで、且つ全曲良くスゥイングする
言うなれば ”今風ハード・バップ・ジャズ”、とも云える様な、、、?^_^)
実に楽しいライブだった。5人のミュージシャンとお客さんたちが一体に
なって、ノリノリな2ステージだった。
そして何となく昔の東京スカパラ的なサウンドにも似ているかな? と!

Tp、Ts、P、Bs、Dms、の各ソロは云うに及ばず、全員のコンビネーションが
実にバッチリと決まっていた。その中でも敢えて言えば、、、
ベースの塩田さんがサウンド全体の柱となり、ドラムの大坂さんが、その
定評ある強烈なパンチと、正確かつ精細なドラミングで見事に全体を
リードしていた様に感じられた。

そして、どんなに時代が変わっても、ジャズと云う音楽はやっぱり、、、
♪"It Don't Mean a Thing"♪(スゥイングしなけりゃ意味がない)、を
見事なまでに踏襲していたのが何より嬉しかった。


◎最後に、、、
私が日頃耳に聴き慣れている1950、60年代の古いジャズと今回のライブ
は、そのグルーブ感がまるで違う。何もかも全てが新鮮で、今時の
ジャズはやはりメンバー全員がそれぞれが自分を主張し合っている?
、、、とまぁ~そんな感じだけど、とにかく簡単に云えば、、、
理屈抜きに楽しめた!、ってこと!

今回のライブ・タイトルとなったCDのプロモーション画像を
ネットから無断借用しました。以下、ご覧あれ!

 

◎出演者の関連Web site
*塩田 哲嗣(Bs)
同 (Wikipedia)
*曽根麻央(Tp)
*太田剣(Ts)
*大坂昌彦(Dms)
*吉岡秀晃(P)

◎関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。 

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2019年7月17日 (水)

セミが鳴きだした!

今朝は久しぶりに朝から日が射した~ッ!^_^)

ここ二週間以上、連日雨や曇天が続いて正に梅雨真っ最中だった!
鬱陶しい天気が続いていたが、今朝は本当に気持ちの良い朝を迎えた。
そして、、、待ちに待った大好きなセミが遂に鳴きだした!

20190717b

我マンション北側の内庭には樹木が鬱蒼と茂っているので、毎年7月に
入って間もなく、その内庭ではセミが鳴き出していたが、、、、、?

今年は雨模様の天気が続いていたのでセミ達も木の中、土の中で日光が
射すのを待っていたのだろう?
今朝は 「待ってました!」、と云わんばかりに一斉に鳴きだした。
、、、これで、やっと今年の夏が始まるな~!、って感じ。

以下、過去のブログの焼き直し版だけど、、、

Cicada_kumazemi_3このブログを書いている部屋の左側の窓の下では
今、全てのセミがその鳴き声を競うかの様に、
あるいはその短い命を精一杯 生きてるぞ~!
、と云わんばかりに鳴いている。

下記の▶ をクリックするとクマゼミが鳴き出すよ!



今年もまた、何だか‟世間の喧騒、人生の儚さを嘆いているような?”

20190717d

こちらもネットから無断借用したいろんな
← セミの鳴き声 (Click) です。
これを聞くと、どこか遠い昔の事が思い
出されます。

 


セミと云えば、、、
その幼虫として地下生活をする期間は3~17年(アブラゼミは6年)にも
達するらしい。思ってたよりその幼虫期間は他の昆虫類より長寿だ?

長期間の地下幼虫時代を無事に終えていよいよ羽化、しかし、、
成長してからの寿命は長くても一ヶ月間程らしいので大変短くて儚い。
まるで人間の一生にも当てはまる様だな~、、、?

セミの幼虫時代が3~17年なら、人間で云えば生まれて成長する、
ちょうど思春期の頃までの期間とほぼ一致するのかな?
セミが幼虫から成虫になるのと同じく、人間もまた17,8歳以降~
徐々に大人へと成長していく。

自分の子供時代、あの故郷長崎の実家の裏の神社の森でセミ捕り
やってた頃、今思えば貧しくとも楽しかったあの頃を思い出す!涙)
あぁ~あれから60数余年、、、!

その自分の子供達二人も、いつの間にか大人に成長し、今それぞれ
自分の人生を懸命に生きている、、、!
楽しいことも有れば、辛く苦しい事もあるだろう、、、!
否、むしろ辛くて苦しい事の方が多いかも知れない、、、?

しかし、それでも子供たちはきっと頑張って生きていくだろう。
今や抜け殻となった親セミはそんな我が子の様子をなす術もなく、
唯々、黙って見守るしかない。

親から子へ、そしてその子からまた次の子へ、と代々家族の営みが
永遠に繰り返される。まるでセミのように、、、!



◎参考資料
* セミの種類

◎過去の関係ブログ記事
* この暑さはなんだ!

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2019年7月 8日 (月)

訃報! ジョアン・ジルベルト

Brasilflag_7_2 ブラジル音楽、ボサノバの生みの親の一人、、、
João Gilberto(ジョアン・ジルベルト)が先6日にリオデジャネイロ
の自宅で亡くなったとか? 御年88歳だったらしい。

「Sinto muito pela sua perda!」

    、、、謹んでお悔やみ申し上げます、、、!
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ジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)

1950年代後半ごろに作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家
ビニシウス・ジ・モラエスと共にボサノバ音楽を創始し、「ボサノバの父」の
一人に数えられた。代表曲は哀愁を帯びた「Chega de Saudade」、
「Grota de Ipanema(イパネマの娘)」等々。64年発表のアルバム
「Getz/Gilberto」で米グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞した。

この「Getz/Gilberto」とは、、、?
ジャズ・テナーサックス奏者のスタン・ゲッツが、チャーリー・バードとの
連名で発表したアルバム『Jazz Samba』(1962年)がボサノヴァを取り入れ、
大ヒットとなった。それに気を良くしたか?^_^)  ゲッツは1963年、その頃
既にボサノヴァ界の大物になっていたブラジルのジョアン・ジルベルト
アントニオ・カルロス・ジョビンをアメリカに招き、この「Getz Gilberto」
の傑作アルバムを世に出した。ゲッツの思惑どおり こちらも大ヒット!
さぞや笑いが止まらなかっただろうな~!^_^)

 
(クリックすると裏面のパーソネル、曲名などに変わります。)

この中で当時ジョアンの妻だったアストラッド・ジルベルトが「イパネマの娘」
と、「コルコヴァード」の2曲を唄っている。さらりとした歌唱法で、けだるさが
特徴の一見素人ぽい唄い方が魅力で、日本では人気が有ったが、
当時、ブラジル本国では何故かあまり人気はなかった様だ!?


ジョアン・ジルベルト
の作品の中には、他にも以下のような代表作が有る。
(以下もYoutubeでご覧になれます!)

Chega De Saudade (想いあふれて)
Felicidade (フェルシダージ)
Desafinado (デサフィナード)
Corcovado (コルコバード,静かな夜)
Izaura (イザウラ)
Eu Vim Da Bahia (ジョアン・ジルベルトはバイア州生まれだった。)
Bim Bom (ビン・ボン)
Um Abraço no Bonfá (ボンファに捧ぐ)


◎最後に、、、
ボサノバ、と云うブラジル音楽は、日本では昔から好まれていて、
それなりに今現在でもミュージシャンも好んで演奏したり、歌手も多いが、
そもそも
その発祥の地であるブラジルでは、現代では殆ど流行ってない。

それは今から42年も昔、私が初めてブラジルの土を踏んだ1977年頃、
すでに彼の地のテレビやラジオでも殆ど聴いた事が無かった。
その代わりに、一日中流れているのは、サンバ系の音楽ばかり、、、!

そして現在でも、そのサンバ系とアメリカン・ポップス系が特に若い
ブラジル人の間では流行っている。つまり、
”ボサノバは昔の音楽”と、
云うのが彼の地で一般的な人達の認識なのだ、、、!
だから
演奏するミュージシャン達も今では少なくなっている。



◎関連情報
*Brasil
(Wikipedia)
*Globo.com (Pop & Arte-Música)
*JazzTokyo
*Estadão
*Joao Gilberto
(Wikipedia)
*Getz/Gilberto
(Wikipedia)
*Bossa Nova(Wikipedia)
*Antônio Carlos Jobim (Wikipedia)
*「イパネマの娘」作曲者の像

◎過去の関連ブログ
*『黒いオルフェ』、『真夏の夜のジャズ』
*マルセロの唄を聴いたら“Saudade Brasil”
*晩夏、思い出の海
*2018年ブラジル・カーニバル
*初の西回りブラジル行きは?

◎その他の関連拙ブログ
本文記事左側INDEX欄の、、、
※“ブラジル関連”シリーズ、の全て。
(サッカーやカーニバルの話が多いですが、、、!)

また、
本文記事左側INDEX欄、 >※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ “音を楽しむ徒然語り” その1 以降のシリーズと、
(2)HPの “Modern Jazz LP Collection” も併せご覧下さい。

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【注】下段の各≪写真集≫は2019年3月以降、現サーバーの改編で継続不可となりました。従って多数写真のアップはブログ記事内で紹介しています。