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“趣味の音楽関連”

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2016年8月22日 (月)

“ニイタカヤマノボレ”、の送信元は?

先8月15日の拙ブログ新高山に登ったけど? で書いた昭和16年12月8日、
日本が米国との開戦に踏み切った 真珠湾攻撃! 
この合図の暗号電文が我海軍の機動部隊に送信された、あの有名な、、、
「ニイタカヤマノボレ 一二〇八(ひとふたまるはち)」、、、

この電文が実際に送信された場所、とされる所が何と! 我家から
ほど近い隣県の刈谷市にあること自体は以前から聞き知ってはいたが?

そこは、「依佐美(よさみ)送信所記念館」 と云う所で、公共交通機関が
通っていない刈谷市の畑のど真ん中なので、ついつい行きそびれて
いたところ、前記の拙ブログを読んでくれた刈谷在住の友人に誘われて、
彼の車で案内して頂いて初めて見学する事ができた。

Img_0001そこは刈谷市のほぼ中心、周囲は広大な畑の
ド真ん中にある、「フローラルガーデン依佐美」
と云う、主に花や植物が多い公園敷地内。
その一角に建っている立派な建物で、
何でも2012年3月31日にリニューアルオープン
したらしいので、まだ真新しい!



◎記念館のガイドブック、その他によれば、、、
現在の刈谷市(当時の愛知県碧海郡依佐美村)に世界最大級の大電力
無線通信所として設立、運用開始された。(1929年(昭和4年)
それは超長波の17.44kHz、波長:約17㎞、出力500kW だった!

結局、あの昭和初期はまだ短波放送の黎明期で、諸外国や太平洋上の
我が艦船向け無線通信は長波に頼らざるを得なかった。その中で特に
超長波、と云う電波の特質は、海面下まで届く唯一の波長 なので、
太平洋戦争時には日本海軍の潜水艦との交信に重用された。

従って、、、
「ニイタカヤマノボレ」の暗号文も、この依佐美送信所から潜水艦へ発信
されたらしい!? (参考:電磁波の種類と特徴

Img_0015

依佐美送信所は1929年(昭和4年)から欧州向け
に運用を開始。





Img_0021大電力のテレフンケン式高周波発電機(ドイツ製)
を使用した超長波送信設備と、、、、

刈谷市のシンボルとして市民から親しまれた
高さ250mのアンテナ鉄塔8基は、1993年にその
役目を終えるまで活躍した。

Antena250mの高い鉄塔8基(4基×2列)は横方向2本の
鉄塔間隔が500m。 縦方向4本の鉄塔間隔は
それぞれ480m合計1440m、と広大な敷地に
建設されていたので、近隣周囲の何処からでも
見えるし、特に夜はその鉄塔上部に付けられた
警告灯の輝きで目印としても役に立ったらしい!

そして、依佐美送信所は1997年(平成9年)に鉄塔、2006年(平成18年)
には送信所が解体されたが、今も重要な機械遺産・産業遺産として
一部の施設を残しているのが今回見学した、依佐美送信所記念館。
想像していたより比較的近年まで使われていた事にオドロキ!

Img_0007その正面玄関前には、上記アンテナの一部、
それも250mの1/10サイズ、25mが建っていた。

記念館は、歴史的マイルストーンと産業遺産と
しての歴史的施設であり、依佐美送信所の
関係資料を保存する施設で、貴重な産業遺産で
ある送信機器類が数多く展示されている貴重な
施設だった。



ただ、私が気なったのは、終戦後この施設が米軍に接収されたのは
止むを得ないだろうが、1950年頃から在日米軍は何とッ! 自分達の
対潜水艦通信にここの施設を利用していたらしい。
まぁ~、アメリカも意外とセコイな~!^_^)、、、
それとも日本の技術力に脱帽していたのかな?ならば許すとしよう!^_^)


◎依佐美送信所の見学を終えて、、、

その歴史、ひいては日本の歴史をも振り返ることが出来る立派な施設、
と強く感じた。だからこんな施設は是非後世まで残すべき!とも思った。

ただ、ここは如何せん電気電波機械の施設なので自ずから専門的になり
あまり一般向けとは云えない。
しかし、あまりにも立派な施設設備なので出来るだけ多くの人に訪問して
貰うには、もう少し一般受けする簡単な説明や工夫が必要かも?

私自身は、若い頃の趣味だったHAM(アマチュア無線家JA6DDK)的関心、
それに強電分野での業務経験上、モーターや発電機等と、それの制御に
関する経験も有ったので、見学中非常に興味津々だった。


◎最後に、、、

この依佐美送信所記念館は、昭和初期の日本の技術力の高さを改めて
認識させてくれる、とにかく素晴らしい施設だった!

写真集 ≪依佐美送信所記念館2016.08.19≫ も是非ご覧下さい!
 (※詳細説明を書いています。以下と併せてご覧あれ!)

Kikaisetsubi←記念館のガイドブックにある設備の説明書











◎以下、関連資料。
公式サイト
依佐美送信所 (Wikipedia)
フローラルガーデン依佐美
依佐美送信所 (アマ無線局JA2DJNのページ)
(※こちらを大いに参考にさせて頂きました!)

◎過去に書いた関連ブログ記事。
新高山に登ったけど?

2016年8月20日 (土)

『村上 寛 (drumas) トリオ』

先18日(木)夜、『村上 寛 (drumas) トリオ』 を聴きに行った。
         、、、場所はいつものジャズ・ライブハウス“Mr.Kenny's”

やっぱりベテラン・ジャズメンの生演奏は逃せないからね~!^_^)

2016818live
このレジェンド・ドラマーのライブは、過去何回か聴いたが、、、
最後は2014年6月 5日 (木)の『村上 寛 Quartet』 だったから、、、
今回は約2年ぶりだった。



◎この日のサイドメンは、、、
ピアノの楠 直孝、この人は前回、『村上 寛 Quartet』 の時に一度聴いた
ので、今回は二回目だった。
そしてベースが鈴木克人、この人は今回が初めて聴くベースマンだった。
以下、前回ライブのブログ記事と一部重複するが、、、

先ず御大、ドラムの村上 寛Wikipedia によれば、

Drums村上 寛(むらかみ ひろし、1948年3月14日 - )、、
、って事は御年68歳!
東京都出身のドラマーで、1967年に本田竹広
トリオで活動を始める。
その後、菊地雅章渡辺貞夫などのグループに
参加。
1978年から、本田竹広峰厚介らとジャズフュージョングループとして
人気を博したネイティブ・サンを結成、、、
、、、以下略、、、



◎今回の演目は、、、
楠 直孝(piano) のオリジナル作品を二、三曲を交え、他バド・パウエルや、
たしか?ウェイン・ショーターの曲、それにA・カルロス・ジョビン、、等など、
多彩な曲目を織り交ぜた2st.白熱のライブだった!

20160818murakami_hirishi_2
村上 寛 のドラミングは、とても御年68歳とは思えない、相変わらず
パワフルでとてもエキサイティング!
特にそのソロは、何処となくメロディックなので聴いてて疲れないし、
素晴らしいテクニックに今回も圧倒されてしまった。
バラードのプレイでは、そのブラッシュ・ワークが特に耳に心地良かった。

そして、ピアノの楠 直孝、、、
こちらも若いのに、そのテクニックに驚嘆! アップ・テンポの時の右手の
高速連打にはショック!

また、ベースの鈴木克人、、、
トーンが太くて如何にもウッド・ベースの音色! アップ・テンポを、
いとも簡単に弾きこなす超テクには驚いた!



◎まぁ~久しぶりだった、ピアノトリオ・ライブ!
やっぱり良いね~! オーソドックスな演奏スタイルながら、その実、、?
三人の息の合ったスリリングでエキサイティングな演奏に聴き惚れた!
トリオのまとまりは、各プレーヤーの卓越したテクニックと音楽性の深さ、
、そこに村上 寛の凄みを帯びたドラムが加わって、三人が渾然一体と
なって、重厚でシャープなサウンドを生み出したのだろう!

以下、参考までにこの日のメンバーのウェブサイトを紹介、、、!
 村上 寛(dms)、 楠直孝(piano)、  鈴木克人(bass)




◎最後に、、、
今、以前買った村上 寛のリーダー・アルバム 『Vivo!』 を聴きながら
このブログを書いている。(AMAZONでも売ってるよ!)
Xat1245394151村上 寛(dms)
峰 厚介(ts)
佐藤允彦(pf)
加藤真一(b)



◎関連拙ブログ、
本文記事左側INDEX欄 ※“趣味の音楽関連シリーズ” もご覧ください!
(1)その中の
“音を楽しむ徒然語り” その17(最終回) のシリーズ、他。
(2)またHPの
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2) も併せご覧下さい。

2016年8月15日 (月)

新高山に登ったけど?

あれは今から75年前の1941年、私が母親の腹の中で7ヶ月目に入った
頃の12月8日、、、
「ニイタカヤマノボレ 一二〇八(ひとふたまるはち)」のトン・ツー電信、、、

日本は“トラ・トラ・トラ”の合図で「新高山への登山」を決行!、、、
しかし、それから3年9ヶ月後の1945年の今日8月15日、無残にも遭難して
しまった!

Photo_3本来、登山は無事に下山してこそ意味がある。
登り始めても途中で危ない、と思ったら早急に
引き返すべきである。
それを登り始めたから、と云って危険を顧みず
ただ無理やり進んでは、、、
それこそ最後はどうなるか?

だいたい登る前に自分の体力、知力など総合実力で登れる山か否か?
充分な下調べと準備が有ってこそ初めて成功するのが登山であって、
成せば成る的精神論だけで登れるような簡単なものではない。

しかし、あの頃の日本の登山家 たちは鎌倉時代の元寇じゃあるまいし
“大和の国には神の魂が宿っている” と、云わんばかりに、、、
無謀とも思える計画のもと、ついに 新高山登山 を決行!

案の定、登り始めて1年も経たない内から、滑ったりつまずいたりして、
既に危険信号が出てたのに、前記したようにただむやみに突っ走って
3年目に入る頃は既に体力気力も使い果たして満身創痍! 

挙句の果ては私が3歳になった年の8月6日、そしてその3日後の9日には
私の生まれ故郷が 致命的な大怪我 を負って遂に遭難の憂き目に会う。
登山家達も辛かっただろうが、それよりも何よりも、その登山家達を麓で
“堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍んで” 支えてきた民はたまったもの
ではない。

それから幾年月、、、誰もが日本はもう二度と立ち上がれないだろう!
と、思ってたらドッコイ、この世界でも稀に見る優秀な大和民族 は、
遭難してからわずか10年そこらで不死鳥の様によみがえって世界をアッ!
と驚かせた。やっぱり神の国だったのか!?

見事によみがえったのは良かったけど、やはりあの遭難した時の後遺症
とも云うべきか? 何かと云えば直ぐに 「すべて私が悪うございました!」
と自虐的精神構造の人間になってしまった。

もともと登山の計画がずさんだったから遭難 しただけで、周囲に迷惑を
かけた件は公の場で 正式に謝罪 したし、迷惑料 も充分支払ったきた。
だから何もそこまでへりくだらなくても良い筈だ! と云う意見もあるが、、、

一方では、日本は登山する時に隣近所の人まで巻き込んで、怪我させて
しまったから迷惑かけた、と謝ったり金を払っただけではダメ!
“日本は未来永劫謝り続ける必要あり!”と、無茶苦茶な意見もある。

その結果、今や日本人の大多数が上記の様に自虐精神構造の持ち主に
なってしまい、さらに今の子供たちは自分の国を“日本は悪い国!”と、
教えられている始末。



◎ではここで、そもそもの成り行きから考えてみよう!
何で日本は新高山登山をしたのか? する必要があったのか?

当時世界で先進国と云われていた欧米の国々は19世紀以降、、、
アジアの山に勝手に無断で登って、山の宝物を独り占め していた!
、、、しかしそれでも勝てば官軍で、他の国など国際社会からは何の
お咎めなし!

1930年頃、長年続く世界的不況の波を受けて日本も喘いでいた頃、、、
それより以前 から日本が保持していた大陸における宝物 を守ろう、
としていた。
先に宝物を独り占めしていた先進諸国は、日本のこの動き を牽制、、、
そして日本イジメが始まった。

世界の主なグループ では日本だけが悪者扱いされた!
止む無く日本はこのグループを脱退! これをたとえ弁解、言い逃れと
云われても、そんな世界情勢だったことも事実なのだ!
その証拠に、その後 山を蹂躙されていたアジア各国で山の返還運動
起こっているではないか!

まぁ~説はいろいろ有るし、日本は無謀な登山をする以外、他に道は
なかったのか? と後年、人は今現在の価値観で軽々しく云う けれど、?

しかし今になって、いくら泣こうがわめこうが後の祭り、、、
冒頭書いたように、山に登ったなら無事に下山してこそ意味ある勝利!
しかし、結果的に日本は遭難したのでこれ即ち敗戦! 、、、
この事実は変わらない。

これを良き教訓として、もう二度と無謀な登山 はしない事!
もし将来、万止む無く再び山登りの必要が生じたら、必ず登頂に成功し、
且つ、最後の下山まで無事に完了する事!
、でないと、どんなに大義名分が有っても 遭難したらミソクソに云われる。
そして、その後遺症はいつまでも続く救いようのない現在のように!





◎以上、当時の世界情勢、特に新高山登山に始まる米国との争いは、
当時の日本の置かれた立場、状況等を知れば知るほど、、、、、
私は新高山登山をした事をただ単純に批判する気にはなれない!
たしかに遭難の憂き目を味わった、と云う結果には大いに反省するが!


◎さぁ~間もなく正午、、、

先の戦争で亡くなられた、全ての英霊に黙祷!

 

20130815_08_2


◎過去の関連記事。

 “三ヶ根山” もっと世に知らしめたい!
 ♪海ゆかば♪ ガンバレ,ニッポン!
 戦後70年と天皇の言葉 
 建国記念の日
 お盆、あれから69年!
 “三ヶ根山”-その鎮魂の山登り-
 誰が 『永遠の0』 を問題にしているのか?
 日本人よ、誇りを持とう!
 昔の日本人は?(最終回)
 ♪海ゆかば♪
 新高山に登ったけど、、、 (続) (続々)
 あの終戦から68年

2016年8月11日 (木)

『TONNBASA 倉谷明バースデーライブ & CD発売 1周年記念 、Special Guest:向井滋春』

昨夜は私がいつも生ジャズを聴きに行く、名古屋 金山の“Mr.Kenny's”
そこのマスター、「クラさんの誕生日 & CD発売1周年の記念ライブ」、
、へ出かけた。

題して、、、

『TONNBASA 倉谷明バースデーライブ & CD発売1周年記念 、
                             Special Guest:向井滋春』

I8tof_4パーソネルはいつものお馴染みメンバーで、、、
倉谷"Kenny"明(guitar)、藤山"ET"英一郎(drums)、山崎真(sax)、
太田美香(piano, keyboard)、加藤雅史(bass)、荒川"B"琢哉(percussion)
Special Guest:向井滋春(trombone)
、、、昨夜の演奏曲目も一部を除き、殆どオリジナル曲で構成されていた。


◎いつもは、、、
古い50、60年代のジャズにハマっている自分としては、フュージョン・
ジャズは、レコードやCDなどで聴くと、とても疲れて長時間は聴けない。
しかし、生で聴くと楽しい!^_^) 

特にこのバンド「TONNBASA」は、毎回その演目が楽しい曲ばかりで
尚且つ、それぞれ迫力とノリが良いので昨夜も大いに盛り上がった。
昨夜の最後、お客さんのアンコールに応えてメンバー全員で最後の曲を
演奏すると、殆どのお客さんが立ち上がって踊ったりして大盛り上がり!

Dsc_0255_3
このバンドの花! ドラムの 藤山"ET"英一郎 はいつ聴いてもダントツ! 
故,日野元彦 に師事しただけあって、そのド迫力と繊細 さが見事に融合!
毎回、素晴らしい超テクニックを披露してくれる。
   、、、また荒川"B"琢哉 の巧みなPercussion との掛け合いも楽しい!

そして、いつもウッドで力強く堅実なリズムを刻む加藤雅史のベース、、、
紅一点、太田美香のキーボードとピアノも、若さが前面に出て楽しい。
また、メロディーライン、テナーの山崎 真 は、そのいつもの力強いトーン
で曲を盛り上げ、もう一人のメロライン、、、、

特別ゲストのトロンボーン 向井滋春 日本屈指のジャズ・トロンボーン・
プレイヤーで、
大ベテランらしく、オーソドックなジャズから前衛的なジャズ
まで、どんなジャンルのジャズでも毎回卒のない素晴らしいトロンボーン
演奏を聴かせてくれる。


◎ここで改めてリーダー、倉谷"Kenny"明(guitar) のProfile を、、、!
Kuratani_akira
通称“クラさん”は1945年横浜出身。
昨夜はその71歳の誕生日の 2st.ライブを最後まで
元気にやり抜いた!
相変わらず絶妙なダジャレトークを交えながら!^_^)

14歳でクラシックギターを始め、大学卒業後に
ジャズへ転向。
80年に「EVERYDAY CALYPSO BAND」を結成し、
85年には「雲竜ホール(現ダイヤモンドホール)」で
向井滋春(Tb)、横山達治(Per)、納谷嘉彦(Pf)を
迎えてコンサートを開く。90年に同バンドを解散、92年に新メンバーを
率いて「TONNBASA」を結成。97年に、向井滋春(Tb)、横山達治(Per)、
峰厚介(Sax)、益太幹夫(Pf)、高橋ゲタオ(Eb)と共に「JAZZ IS MY LIFE」
に出演。
現在、県下の若手を率い「OWL-FIVE」、「尾張藩」、「TONNBASA」の
リーダーを務めている。


◎CD発売1周年記念 とは、、、?

バンド・リーダー、クラさんこと Akira“Kenny”Kuratani (倉谷 明) が、
録音エンジニアと一緒に、ライブ演奏時の集音の修正、録音編集を
何回となく繰り返す、いわゆる“ミックスダウン”を繰り返して、
丁寧なCD創りを心掛け、昨年夏にやっと完成させたもの。
              、、、昨夜はその発売1周年記念 でもあった!

Tonnbasax[CD収録曲]
1.あれが噂の"HONG KONG" Lady
2.Dancing Soul Night in The Blue
3.Kamuy Steps[向井滋春参加]
4.Sailing Across The Eye Of Night[向井滋春参加]
5.TONN-BASA
6.Pajero Wind
7.Don't Bite CALYPSO
8.Lotus Of Minamo(水面)
9.Good Time Kenny's Blues[向井滋春参加][LIVE]

[パーソネル]
倉谷"Kenny"明(guitar)、藤山"ET"英一郎(drums)、山崎真(sax)、
太田美香(piano, keyboard)、高橋佳輝(e-bass)、荒川"B"琢哉(percussion)
Special Guest:向井滋春(trombone)

【注】
現在AMAZONでも発売中!

TONNBASA Live at Jazz Club Mr.Kenny's Live, Original recording



◎最後に、、、

「TONNBASA」の演奏をお聴きになった事がない方は、上記CDの
挿入曲にはないが “TONNBASA”のサウンド をお楽しみ下さい!
(mid音源: Windows Media Playerで再生可)


◎過去の関連ブログ

“TONNBASA” CD発売記念ライブ
“TONNBASA”ライブ・レコーディング


◎参考:

(1)本文左側の
“趣味の音楽関連” シリーズ
(2)HP記事 “
Modern Jazz LP Collection” 、、、もご覧下さい!

2016年8月 9日 (火)

8月9日、11時2分

ある夏の日、その日も暑い昼ごろだった様な気がする、、、?
私は家の中に居た。突然 部屋の障子越しに 『 ピカッ!』 と強烈な閃光!
と、同時に 『 ドドーンッ!』、と大きな地響きの様な鈍い音! その振動で
襖や障子が揺れてビックリ仰天、、、!
 
昼ごはんの準備をしていた婆ちゃんが、、、
『 昼間っから今ん稲光はなんね~? カミナリ?』『 こがん良か天気に、
カミナリとは違うわね? 何んやろか~?』
、、、
そんな事を呟きながら婆ちゃんは私を連れて裏山に登って行った、、、

小高い裏山、そこは長崎港を見渡せる場所だった、、、そしたら、、、

長崎港の奥、市の北側の遥かもっと先、、、浦上方面に、、、
奇妙な形の真っ黒な入道雲? みたいなものが上っているのが見えた!



当時、私は長崎市の南側郊外、市の中心から一つ二つ、山向こうに
住んでいた。
その為に【注】直接被爆 を受けずに済んだ! と後日両親が語っていた
のを思い出す。3歳だった私はその日何をしていたのか憶えていない。

かすかに記憶が有るのは?、否 記憶ではなく錯覚 だったかもしれない?
小さい時から祖母や母から何十回となく聞かされてきた『 ピカ、ドーン!』
の話が私の頭に焼き付き、それがあたかも自分の記憶であったような?
今ではそんな気がしている。
      、、、
その頃 母は勤めに出ていた。そして父は遠く外地、、、、

*******************************

今から71年前の昭和20年(1945年)8月6日、人類最初の原爆が広島に
落とされ、、、それから僅か3日経った今日8月9日、午前11時2分、、、、
アメリカは二発目の原爆を 我がふるさと長崎 に投下した。

そこは、、、長崎市中心部から北部に約3km離れた浦上地区 だった。
原爆は上空高度約500mで炸裂! わずか0.2秒後には半径200mもの
巨大な火球を作った。火球の表面温度は太陽の表面温度並の8000度!
その結果、強烈な熱光線と猛烈な爆風で爆心地から半径約3km以内は、
       、、、人間も、動物も、建物も、、、ほぼ全てが瞬間的に壊滅!
その後も、炎と放射能に覆い尽くされた正にこの世の地獄だった!

浦上地区、そこは昔からカトリック教徒が多数住んでいた地域だった!

(A)Tou3_2_5   (B)Catholic_cathedral_in_nagasaki_2_6   (C)Dsc01733_6

上の写真左から、、、
(A) 爆心地近くに建っていた被爆前の浦上天主堂。
(B) 同、被爆直後の崩れ落ちた壮麗な聖堂の残骸。
(C) 同、その現在の姿。味も素っ気も、情緒すらない現在の教会に変貌。
   それは設計者がカトリック教徒ではなかったから、、、らしい?

(D)Uragami   (E)800pxnagasakiurakami   (F)800pxnagasaki_temple_destroyed

(D) 被曝前の爆心地付近と浦上天主堂の遠景。
(E) 同じ場所の少し右寄り遠景、被曝後に瓦礫と化した周囲と天主堂。
(F) その後ろ手、破壊された仏教寺院と仏像。有名な片足鳥居も!
                  (原爆投下6週間後の1945年9月24日撮影)

アメリカは仏教寺院もカトリック教会も、区別なく破壊してしまった!
キリスト教 の中でも特にプロテスタント(新教)が多いアメリカが、、、
同じキリスト教徒の中の、カトリック(旧教)が多い長崎を原爆で殺戮して
しまったのだ!

後日、来日したアメリカの調査団は、この教会の惨状をどう見たか?
『 同じキリスト教でもカトリック教会だから構わない!』、とでも思ったか?
まさかッ! (注:カトリック と プロテスタント

長崎市は原爆で破壊された浦上教会(浦上天主堂)上図(B)を、、、
広島の原爆ドームの様に、原爆投下のシンボル的存在にする筈だった?
当初、この浦上教会をそのまま残す計画だったはずの当時の長崎市長。

しかし、この市長は米国セントポール市との姉妹都市締結で渡米して
帰国後、今後の日米関係など政治的背景を重視したのか?
、、、その考えを180度変更!? 何故??

渡米後の市長に一体何があったのか、、、、、?
浦上教会がある長崎市の北側に位置する浦上一帯は、江戸時代から
隠れキリシタン の聖地、とも云われる地域で、昔から現在に至るまで
前記したようにカトリック教徒が多い地区。
(浦上地区だけでなく、そもそも長崎は歴史的にカトリック教徒が多い!)

そんな長崎に原爆投下した、と云う不都合な事実を消すために、、、?
或いはこれを隠すために、市長に何らかの見返りを条件に、、、?
プレッシャーを掛けたのだろうか?
だから浦上天主堂の傷跡を抹消する必要があったのだろうか?

余談だが、、アメリカでは少数派のカトリック信者であったJFケネディ が、
もしあの太平洋戦争末期の米国大統領だったとすれば、、、?
長崎への原爆の投下を認めただろうか?

また勘ぐれば、江戸時代から長崎とは縁が深かったオランダとか、
ポルトガルならともかく、もともと 大した縁もない 米国ミネソタ州都の
セントポール市、、、?
それも初めてと云われる姉妹都市提携を何故結んだか?
姉妹都市になって互いにどんなメリットがあった、とい云うのか?
上記 不都合な事実と併せて、何となくアメリカ側の魂胆が見え隠れする。

話を戻して、、、、、
被害当事者である浦上教会の当時の司教も、上記した様にこの地区が
歴史的な意味合いからも重要な場所なので、他所への移転には反対で
同じ場所での教会再建の意思が強かったらしい。?

その為には教会の傷跡を撤去しなければならない教会側の考えと、
結果的にアメリカへの配慮を優先した? 当時の長崎市長の意向が
合致して、旧天主堂の廃墟は撤去されることになったらしい。
それにしても私が思うに、上図(B)聖堂の残骸ぐらいは、元の場所に
そのまま残せたのではないのか?

一部の遺構は保存されたとはいえ、上記広島の原爆ドーム の様に、
爆心地付近の惨状をありのままの姿で後世に伝えることが出来る遺物を
残さなかったこと、また広島原爆ドームが史跡やユネスコの世界遺産に
登録されたこと等から、長崎の場合は全てが取り壊されたことを残念がる
市民も未だに多い。

399px1_2因みに長崎は、浦上教会から約500メートル離れた
爆心地が平和公園となり、そこに破壊された
浦上教会の残骸、遺構の一部を移設、、、

1_2
そして、その平和公園に
新しく平和記念像が建てられた。



【注】当時の長崎市の人口は約24万人。瞬間的直接被曝死7万人強、、、
時間を経てからの二次被爆死、三次被爆死、その後、長崎市内外と
それ以外の土地から長崎に来た人達などの被爆、全て合わせて
約15万人以上の人々が亡くなっている。建物は市内の約36%が全焼
または全半壊。

(爆死とは原爆の熱線や爆風で直接的に身体に損傷を受けた者、
被爆死とはいわゆる放射能被爆が原因で死亡した者。)
また直接間接被爆以外、例えば母親の胎内での被爆などによる放射能
二次、三次被爆、つまり白血病、癌などでの死者はこの71年間毎年、、、
今なお続いている。

◎以上、過去のブログ記事などのリニューアル焼き直し版でした!^_^)


さぁ~間もなく、、、午前11時2分 “黙祷”、!



◎関係資料
長崎市への原子爆弾投下
カトリック浦上教会
長崎平和公園
長崎 原爆の画像(閲覧要注意!)

◎過去の関連ブログ
オバマ・スピーチを聞いて!(2016年5月29日)
長崎、あの日から70年! (2015年8月9日) 
長崎“原爆の日” (2014年8月9日)
広島“原爆の日” (2014年8月6日)
長崎 原爆投下から68年 (2013年8月9日)
因果応報,Ⅱ (2012年8月22日)
8月9日、午前11時2分 (2012年8月9日)
8月9日、、午前11時2分 (2011年8月8日

2016年8月 4日 (木)

ブラジルの引ったくりは?

通常、テレビ各局の『海外ニュース』、と云っても、その大半は欧米や
中東関係、それにアジアでは中国関連のニュースが殆どで、、、

普段は滅多にニュースにならない南米だが、今年はリオ五輪を明5日に
控えて、ブラジル関連のニュースが多くなった。

Brazil_2

その報道の殆どは残念ながらブラジルの治安が悪い!、って話ばかり!
しかし、これは何もブラジルに限らず、他の中南米所諸国やアジア、
中東など世界中の開発途上国なら何処でも昔から似たような治安状況。

ただ、かって注目された“BRIC's” の筆頭国も今や何処へやら?、、、で
現在のブラジル景気が最悪な事が、治安悪化に拍車をかけてるし、、、
且つ外国からの五輪目当ての観光客狙いで、特に治安が悪化している
のも事実。 

そこで、、、
元ブラジル在住者で、永年現地での生活を体験した者として、、、
オリンピック/パラリンピックを観るために、初めて現地リオを訪れる
日本人の参考の為に治安対策を書いてみよう! と思い立った。
チト遅くなったけど、、、!^_^)

既にテレビや他メディアで、ブラジルの治安に関しては、その注意事項も
含め、たくさん報道されているので、基本的にはその注意事項を守れば
良いが、もう少し、“実際に役に立ち”そして“より具体的な注意事項” を、
思い出すままに書いてみよう。




先ず一口にブラジルの治安、と云っても幅広くなるので、ここでは
  あくまでも“観光客が引っかかる強盗や窃盗事件”について説明する。
  、、、それは?

ブラジルの大きな街中には“トロンバ”と云って、若い窃盗団が多い!
20歳前後の、また中にはもっと若い“トロンバ ジ-ニョ”(子供窃盗犯)、と
呼ばれる連中で、1~3、4人によるいわゆる 「引ったくり!」、が多い。
それも、日本のスリ とは違ってテクニックなし、ただ強引で危険な強奪!

以下の動画はリオに限らず、サンパウロやその他、ブラジルの各都市で
見かける、何処にでもある街中風景、、、
(Criminals Target Olympic Site in Brazil から埋め込みコードをCopy)

動画で解るように、観光客に限らず一般のブラジル人でも、トロンバ達は
道路ですれ違いざまに相手女性のネックレスやイヤリングを、、、
また男性の手提げバッグ等を 強引なまでに引ったくる 乱暴な方法!
                、、、だから、女性だったら首を怪我したりする。

ただ、ブラジルの全ての街中がこの様な状況、って訳ではない!
しかし残念ながら近年はこんな危険な場所、危険な一角一帯が増えて
いるのは事実、、、、その都市、その街々にもより若干の違いはあるが、
都会よりも地方の田舎の方が、比較的悪いヤツは少ないだろう!

彼ら“トロンバ”(トロンバ ジ-ニョ) は、主に半裸もしくはティーシャツ姿で、
その殆どが ゴム草履 とか スニーカー履きが多い、、、
              、、、それは金品を盗んだ後、素早く逃げるため!
ただ、中には稀にキチンとした身なりのトロンバ も居るから厄介だ!^_^)



以下、その“トロンバ”からの窃盗を避けるための注意事項を思い付く
ままに書いてみよう、特に外出する時の服装と身の周りなど他、、、

服装は出来るだけ質素で軽装に、出来たら現地の人と似た様な
  恰好が良い。五輪の8、9月のブラジルは冬だが、リオやサンパウロは
  日本の10、11月頃の感じ。
  日中は半袖でOK、しかし室内は長袖シャツが良いだろう。
  そして、リオは海岸沿いだから湿度が高い事も考慮した方が良い。

しかし外出時も本当は出来るだけ長袖シャツ、長ズボンが良いかも?
  それは肌の露出を避けて 害虫予防の為に! これは男女を問わずだ。
  流行のジカ熱に限らず、亜熱帯特有の虫けらも多いから!

身の周りに出来るだけ何も持たず付けず! 特に女性はイヤリング、
  ネックレスなど装飾品全て外すこと! 男女ともに出来たら腕時計も
  指輪なども! 時計をどうしても持ちたかったら、最悪時を考えて
  出来るだけ安物に!

ハンドバック、ショルダーケース等、手持ちや肩下げバッグ類も含めて、
  とにかく出来るだけ何も持たない事が最重要。バッグ類が何もなくて
  不便だったら腰に巻きつける、ヒップバック、ウエストバック等に、、!
  リュックサックだったら、背負いでなく身体の前に。

*財布も持たない方が良い。お金は現地通貨(Real)を最低限だけ!
  そして直接 各ポケットに分散して入れておく。
 
財布を見られたら金持ちと思われる。  USドルとか日本円は持ち歩か
  ない事。(現在のレート、時差などは最下段参照)

これに関連して、、、パスポートの原本も持ち歩かない事。
  コピーを持ち歩くのが良い。本当は現地で正式にコピーした証明書付き
  (Autentica)しか有効ではないが、とりあえずはただのコピーだけでも、
   原本を紛失するより良い。

街中を歩く時は絶えず前後左右をキョロキョロ して注意を怠らない事。
  しかし、あまりユックリ、ノンビリした歩き方も危ない。
  近くに上記した様なスニーカー姿やゴム草履の若者が近寄って来たら、
  相手の動きを見ながら注意しつつ、素早くその場から離れる。
  商店の中などに逃げ込んだら良いだろう。
  近づく怪しいヤツがいた場合、あまり相手を凝視するのは逆に危険!
 
滞在しているホテル等、その入り口から出る瞬間、そして入る瞬間
   タクシーに乗った場合は乗る瞬間、下車する瞬間 が要注意!
  (何の動作でも、その瞬間は注意が散漫になるので、物陰から狙って
  いる彼らに、そこを狙われる場合も多いのだ!)  

そして出来るだけ毎日同じ時刻、同じルートでの行動は避けること。
   レンタカーなど自家用車の場合、車上狙いは何処にでもいる。
   車内には何も一切置かない事、例え駐車場内でもだ。

横断歩道などを渡る時、現地の人や車が交通ルールを守らないから、
  と、ヘタに真似をすると事故を起こす。信号無視もそれなりに要領が
  必要
だから?^_^)
  また、信号待ちでただ立ってる時、トロンバにやられる事も多い!  

街中、レストラン他、何処でも日本人だけで三人以上かたまらない事。
  とにかく目立たない様に! 現地現場の雰囲気に溶け込む様な挙動を
  出来るだけ心掛けること!

ブラジル人は特に、そして外人は一般にフレンドリーだが調子に乗って
 仲良くするのは危険! とにかく100%信用は絶対禁物!
 これに関連して下手なブラジル語(ポルトガル語)だったら喋らない事。
 それは誤解される恐れが有るから、、! とにかく無視した方が良い。

*現地の生水、生ものは食しない事。ミネラル・ウオーターも信用するな!
  ただし、店舗が大きく人の出入りが多い店や、ホテルの水は信用できる。
 しかしあまり安宿の水は信用出来ないかも? 本当は十分沸騰させた
  水が一番安心、、、氷も生水から作られている可能性が高いから不安?

*食事も加熱したものしか食しない事。外人は一般的に日本人より
  衛生観念が低いから!

*大勢の人が騒いでいる場所、デモ隊などには当然近づかない。 
  深夜や早朝の外出、人通りが少ない場所へは行かない事。
  、かと云って、人通りが多いところではスリにもご用心! 
  上記した引ったくり以外に人混みの中には日本と同じ様なスリもいる。

空港、待合場所、人が多い場所等での置き引きに注意するのは当然。
  その他どんな所でも、とにかく荷物は全て、いつも手から離さない事。
  両手を使う必要がある時、荷物は両足の間に挟んで、、、! 
  チョット横に置いただけ、、、これが一番狙われやすいのだ。
  (敵は必ずどこかで狙ってる事を知るべし!)

とにかく、“人を見たら泥棒と思え!” とは、“外人を見たら、、、”
  置き換えるのが妥当で、日本より外国にこそ当てはまる諺で、、、
  これはブラジルに限らない。
  どんなに身綺麗にしている男も女も、そして子供も含めて絶対信用
  するべからず!

乞食の様にみすぼらしい格好しているヤツより、身綺麗にしている
  ヤツの方こそ、逆に危険人物の場合もある。

また、子供や女の乞食、物乞いにヘタに仏心を出して同情しない事!
  そんな子に施しをすると、必ず陰で見ている親方が、また別の子に
  物乞いをさせたりタカリに来る! 外国版“悪徳越後獅子”?^_^)

日本人が好きなカメラ、スマホなども持ち歩かない事。
 
どうしても写真を撮りたい時は気付かれない様に! 特に被写体に
  現地の人が写っている時はご用心!
  また乞食や貧民街などを珍しがって撮るのもご法度で、チョー危険!
  先ずそんな場所には行くべからず!

◎今、思い付くのはだいたいこんな所かな~!?





◎以上、充分注意していても、、、
それでも運悪く強盗、窃盗等に遭ったら、“トロンバ”が急に襲ってきたら?
絶対に抵抗するな! 凶器などで脅されても絶対に抵抗せずに、、、
現金を直ぐに渡す事。その渡し方は、、、?

現金は上記した様に、自分の服やズボンの各ポケットに分散して
持ってる方が良い。
運が良ければ、一つのポケット内のお金だけで済むかも? しかし、、、
                     、、、もし運が悪かったら、、、?^_^)

ただ、強盗に襲われた場合は自分でポケットに手を入れずに、
指で相手にポケットの位置を示し、相手にポケット内を探らせる方が安心!
自分でポケットに手を入れたら武器を出すかも? と思われて危険!

ここで追記すれば、、、
とにかく“トロンバ”達は覚醒剤など麻薬中毒患者も多く、例え言葉が
出来ても会話のやり取りは通用しないし、逆に危険と云う事も知るべし!


以上、怖い話ばかり書いたが、、、
あくまでも、あまり外国をご存じない方 向けに書いた注意事項であって、
ひととおり、その要領やブラジルの街で無事に過ごす“コツ”が分かれば、
それほど神経質になる事はない! 楽しく過ごせる事も事実なのだ!
ただ、良くも悪くも日本とは何もかも異なる社会、と云う事を知るべし!


◎関連資料

ブラジル/サンパウロ/リオの時差と現在時刻、レートなど。
ブラジル連邦共和国 (Wikipedia)
リオデジャネイロ・オリンピック目前のブラジルは、、、
MEGA★BRASIL(ブラジル情報誌)

◎関連ブログ
ブラジルと東京で今?
“水と安全”はタダじゃない!
晩夏、思い出の海 (昔遊んだ、リオの海の紹介が含まれます。)
それでも、とりあえず“祝”!

その他、本項左側の、、、
※“我輩はハゲである!”シリーズの中から、
我輩はハゲである!(6)(11)(ブラジル人の人の好さなど。)

他にも本項左側の、、、
※“ブラジル関連”シリーズ、もご覧あれ!

2016年7月31日 (日)

障害者施設での惨劇に思う!

先日の相模原の障害者施設で起こった連続殺傷事件で思い出したこと!
それは、、、?

昔々、ブラジルのサンパウロで勤務していた1980年代中頃、、、
郊外のイタケーラ(Itaquera)地区。そこの田園地帯にあった我社の工場の
近くに、いわゆる心身障害者の為の保護施設が有った。

Kodomo001_2
その存在は聞き知ってはいたが、実際に行った事はなかった。
ある日、そこの責任者の方が我社を訪れて、私が応対した事があった。
それは、、、

そこの入居者の中の一部の人に、彼らの心身のリハビリのために、
何か簡単な手作業をさせたいが、ついては御社(我社)の仕事の中で、
委託出来そうな簡単な作業はないだろうか?、、、と云う相談だった。

そこで、先ずはどんな施設なのか?  私が見学したい旨の要望を出すと
直ぐに快諾。そしてその責任者(経営者?)の方から案内された場所は?
のどかな田園の一角に建つ建物数件、、、そこは民間の日本人篤志家に
よる自主運営で経営されていた「こどもの園」と云う施設だった。

(今、これを書きながら念のためにネットで検索してみたら、実際にまだ
その施設は残っているではないかッ!)
http://www.k5.dion.ne.jp/~pochi-br/kodomonosono1.htm
http://kcv-net.easymyweb.jp/member/brz_zainichikyo/?c_id=42723

そこは当時、たしか15、6歳から70歳過ぎの老若男女の各種心身障害者
が100人程? も収容され、皆が一緒に団体生活を営んでいた。

収容者の内訳は日系人も居れば、ブラジル人も居るなど多種多様だった。
入居資格に年齢制限も有ったらしいが、しかし実際には“おとなの園”
、って感じるぐらい、子供より大人の方が多かった。
つまり、一旦そこに預けられた人達は、歳をとってもその家族がなかなか
引き取ろうとしない、、、と云う悲しい、そして切ない現実があったのだ。

しかし、責任者の方の説明では、、、
この施設では、たまに彼らの家族や身内の人が訪問して来て、収容されて
いる身障者の我が子や我が親など、身内と共に家族水入らずでの一日を
過ごしたり、またいろんなレクレーションなども企画して、障害者と職員
スタッフなど皆が参加しての、ほのぼのとした“心が暖まる”ような場所でも
あった。

見学して先ず私が驚いたのは、、、
入居者の老若男女の内、施設内の周囲の畑で農作業をしている比較的
軽度の障害者、つまり責任者曰く “単なるな知恵おくれ”の人が居るか、
と思えば、、、

おとなしい静かな障害者だけでなく、別棟には見知らぬ私を見て、
凶暴な形相で私を睨みつける、など正直云って気持ちの悪い人も何人か
収容されていた。
また、中には他の収容者とは同居させられない乱暴な者や、自分の
身内か否か? の判断もまるっきりつかない重度の障害者の人達も居る、
、等々と諸々の説明を受けた。

これらを見聞きして、責任者やスタッフの方たちの苦労は並大抵でない!
、と、ホンノわずか1、2時間の見学だけでも充分想像できた。

私が園内を見学中も、私に向かっていきなり飛び掛かってきたり、
唾を吐き掛けてきたり、
とか! 案内してくれたスタッフの方が慌てて
それを止めに入ったり、、、かと思えば見知らぬ私に握手を求めたり、
ハグを求めたりする者など、同じ障害者と云ってもいろんな人が居たので
正直、ビックリ仰天の連続だった。

見学を終え、帰社した私は考えた挙句、工場内の作業の中の比較的
単純な手作業の中から適当なものを彼らに作業依頼する事を思いついた。
これもボランティアだ、地域協力だ、だから利益抜きの特別委託料で、と!
たしか3年間ほどそんな活動が続いた事を今でも憶えている。
、、、そんなある日、私はその施設から感謝の言葉を頂いた事もあった。




◎昔話はそのくらいにして、、、
今回、相模原の施設で起こった重大事件、元職員だった容疑者の言い分、
障害者は社会に必要ない! 障害者の為にムダな税金が使われている!
これらの考え方は、、、

報道によると、この容疑者自身が薬物障害に侵されている様なので、
自分自身にも当てはまる事だが、当の本人はそれに気づいてない!^_^)
つまり、身勝手な言い分、って事になる。

ただ、障害者を抱える家庭や、その施設の現場で日夜苦労している
スタッフ、関係者のご苦労は、上記 私の昔話の様に、チョット垣間見た
だけでも充分想像できる。

単に軽度の知的障害のみならず中には自覚症状意識もない重度身障者、
絶えず無意識に暴力を繰り返す者、突発的に近くの人に対して暴れ出し
たり、物を投げつけたり、自らを傷つけ酷い自傷行為を繰り返したり、、、
、それが落ち着くまで何時間も、そして毎日の様に続く、!

どうにも手が付けられない! 下手すると世話をするスタッフまで大怪我
する事もある。だから、、、
最後は数人で止むなく無理に腕力で抑え込んで、言い聞かせても徒労で
終わる、この空しさ!涙)

こんな事が毎日の様に繰り返されるのだ。たまったものじゃない!汗)
これを冷静に対処せよ! な~んて云うのはあまりにも無責任で現実を
知らない者の言い分だろう。普通の人だったら簡単には務まらない仕事。

例え専門スタッフでも、時には爆発する事もあるだろう、、、!
                           、、、同じ人間なんだから!
あるいは、スタッフで鬱病になったり、ストレスで神経が参ってしまったり、、
普通の人間なら誰しもそうなる可能性が高い。
 、、、そのくらい心身共に過酷な労働環境、と云う事は充分想像できる。

結果、報道で知る事件の中には施設職員による障害者への虐待事件が
大きく報道されるが、実はその逆のケース、即ち障害者が暴れて職員や
スタッフを傷つける事件も起こっている。

               、、、しかしこちらはあまり大きくは報道されない。

施設内で、健常者のスタッフが同じ腕力暴力を振るえば、警察沙汰に
なって障害の罪に問われる。下手すると周囲から虐待扱いされる!
しかし障害者だったら罪に問われる事もなく、この辺りに矛盾を感じても
現実はどうしようもない、、、!
だから職員スタッフは、ただただ忍耐、忍耐、我慢、我慢の日々なのだ。




◎結論として私が思うに、、、
今回の容疑者の言い分に少しでも同調したり、もちろん擁護する気など、
毛頭ないが、「障害者は排除すべし!」
と云う、、、
今回の容疑者の極端な異常性だけが注目されている事に関しては、、、

この考え方が優生学的思想、って云うのか?何か知らないけど、
今の日本社会において必ずしも特別なものではなく、人によっては、
心の片隅でその様な思いを密かに、密かに、抱えているのでは、、、?
と想像する事もできる。

世界中の心身障害者、、、この悲しくて辛くて、空しい現実!
     、、、これは
神の悪戯か?果たまた人間に与えた試練なのか?


◎以下、関連した余談だけど、、、

よく一般の傷害事件で云われる容疑者の責任能力 云々!
これなんて、おかしな話で、たとえどんな人間でも罪を犯したら、それが
過失だろうが何だろうが罪を問われるべきで、未成年の犯罪の多くや、、
また交通事故などの判例にその悪しき例が多い!、と日頃感じている。
           、、、責任能力より結果重視 こそが必要なのでは!?

その意味では、よく良く云われる容疑者の精神鑑定、これも不要!
その必要性は無い! と私はいつも思っている。
従って心身障害者もその意味では健常者の犯罪と同じように取り扱われ
るべき!、、、つまり相手を傷つけた事実と結果は同じだから!

また同じく傷害事件で殺意の有無 を検証する場合も多いが、これまた
私はムダ、と思ってるので毎回違和感を抱いている。
つまり、その瞬間は殺意が有るのが当然で、例えば首を絞めながら、
あるいはナイフで相手を刺しながら、つまり相手を攻撃するその“瞬間”に
殺意が無い訳はないだろう!
事前の計画性の有無の話とは別なのだ。

時代劇チャンバラじゃあるまいし、手加減して相手を傷つける、、、そんな
器用で冷静な人間だったら、先ず殺傷事件そのものを犯す筈もなし!

以上、いずれにせよ 身内同士の殺傷事件の場合は情状酌量の余地
出てくる場合も当然あるだろう。



◎関係資料

相模原障害者施設殺傷事件(Wikipedia)

◎過去の関連記事
疑わしきは罰せず?
危険運転とは?
年寄りの車運転

2016年7月27日 (水)

出光のお家騒動

最近、出光興産と云う会社のお家騒動が報じられているが、、、

石油元売り大手2位の出光興産の創業家が、5位の昭和シェル石油との
合併計画に反対していると云う問題。
出光の現経営側と、約34%(議決権ベース)の同社株を持ってる創業家の
協議で、経営側は合併の目的である経営基盤の強化などを説明したのに
対して、創業家が合併反対を訴えている問題。
今のところ平行線のままの様だけど、、、?

これは良くある話で、私も以前勤めた会社で経験したが、、、
オーナー企業が時の流れで、ある時その経営権が別人に移った時、
それが例え他社との合併話でなくとも、必ずと云って良いほど起こる問題。
最近の酷い話の場合、例えばあの大塚家具の様に経営権が他人でなく
自分の娘であってもだ。またロッテ・グループ等の身内の騒ぎも同様!

つまり創業者側としては、艱難辛苦して起業し、自ら育て挙げた我が子
同然の会社には当然執着心が強いから、別人の経営方針とは当然
そぐわない。今回の出光興産の場合も、報道によると出光創業時からの
経営理念、家族的社風 等々が合併によって外部資本が入る事により
失われる事への危惧などがその主な反対理由? と云われているが、、?


◎出光の経営理念、家族的社風とは?
、、、
そこで思い付いたのが?、以前読んだ事がある本、「海賊とよばれた男」Photo_2この本は出光興産の創始者である出光佐三 の自伝的小説で、、、
戦前から戦後の激動の時代の中、一代で出光を巨大企業に作り上げた
出光佐三、と云う人物の話。著者は「永遠のゼロ」の百田尚樹、、、
上下二冊の長編ノンフィクション大作!
                 、、、涙なしでは読めない感動の傑作だった。

◎話のあらすじは、、、
【※】日本の敗戦の日から物語が始まる、、石油小売り業の「国岡商店」を
率いる国岡鐵造(出光佐三)は、戦争でなにもかも失って残ったのは
莫大な借金のみ。 その上、大手石油会社から排斥されて売る油もない。
しかし国岡商店は社員を一人も解雇せず、同業他社が手を付けなかった
旧海軍の残油浚い等を一手に引き受ける等して、徐々に再生していく、、、

途中から話が明治時代にさかのぼって、、、
国岡鐵造は学歴的にはエリート学生で、周りの友人は皆大手企業に就職
する時代、一人彼は独立を考えていた。周囲からは非難嘲笑されながらも
社員数名の個人商店に丁稚奉公同然で入社。
そこで自ら起業するのに必要なビジネスのノウハウを数年で吸収し、、、
やがて1911年(明治44年)25歳で「国岡商店」(出光商会)を立ち上げる。

自分の商店の独立にあたって、赤の他人から現在価値で約1億円を、、、
「返済不要、利子不要、事業報告も不要」と云う破格の好条件で資金提供
を受けた。その人物は自らの家を売って会社設立の為の資金を捻出し、
心底信頼していた国岡鐵造(出光佐三)に資金提供した。
赤の他人が何故そこまで、、、?

その出資者との出会いの切っ掛けは、国岡鐵造がその人物の息子の
家庭教師をしていたと云うのが始まりだった。
一切妥協せずに怠け者の息子を叱責しながら教育する鐵造の姿を見て、
出資者は鐵造を信頼できる青年だ! と思ったのが切っ掛けだったらしい。

赤の他人との偶然の出会い、それが切っ掛けで心底惚れ込まれ、出資に
至らしめた国岡鐵造(出光佐三)と云う人物が、人間として只者ではない
ところなんだろう!

また本のタイトル、国岡鐵造(出光佐三)は何故海賊とよばれたか?
国岡商店を開業した後、鐵造が20歳代の終わり頃、若い従業員達と
一緒に手漕ぎの伝馬船に乗って瀬戸内海の海上で油を売りまくっていた。
そんな危険な商売は他社は一切やらない、、それで“海賊”と呼ばれた!
つまり常識に捉われず他人がやらない事を躊躇なくやる実行力 の人。

やがて時代は大正時代と変わり、、、
国岡鐵造は満州へ渡る。酷寒の地 満州で車軸油が凍結し貨車のトラブル
が続出していた南満州鉄道に、試行錯誤しながら独自に開発した車軸油を
無償で提供。何回も現地で試験を行い、やがて車軸凍結事故を一掃、、!
その結果、南満州鉄道に自社の車軸油の継続納入に成功!
1927年(昭和2年)満鉄創立20周年の時に満鉄から表彰される。
それほど、、、
他人が投げ出す事を人一倍の努力と探究心で解決へと結びつける能力。

満州での躍進を経て、やがて日本は戦争へと突き進んでいく時代、、、
この辺りは省略し、、、1940年(昭和15年)、国岡鐵造は現在の前身、
出光興産株式会社 を設立! 、、ここで物語は冒頭の【※】へ戻って、、、

敗戦後の数々の艱難辛苦が続き、紆余曲折を経ながら、、、やがて、
1946年(昭和21年)には国際石油カルテル独占を規制することを建言。
当時の欧米の国際石油メジャーの独占に一貫して対抗していく。

その後、出光興産は元売業者の指定を受け1950年(昭和25年)には、
戦後復興のため石油製品の輸入を主張。そしてその翌年、あの有名な
日章丸 (二世) を建造、「消費者本位の石油政策」 を発表するに至る。
とにかく国岡鐵造(出光佐三)は、戦後の混乱期を自社の利益より、
日本国民の利益を優先させる経営方針を貫いていく。

1953年(昭和28年)5月、あの日章丸事件 が起こる。
これは出光がイランから内々に直接石油輸入を敢行した事件。
まかり間違えばイギリスと日本が一触即発の争いになる大事件だった。

小説の中でもその往復航路が正にスリル満点! 一番面白い場面だった。
秘密裏にインド洋経由、[注] ホルムズ海峡 を通過してイランのアバダン
港へ、、、
この事件当時、私は当時11歳(小5)で何となく聞き覚えがあったが、
詳細はもちろん知らず、、、!

後年分かったのは、、、
石油大国のイランは、自国の石油を売りたくても、当時その石油権益を
持っていたイギリスとの関係で自由に売る事が出来なかった。そこで、、
国有化した結果、イランとイギリスはその権益を争って係争中だった。

Img6そんなイランとの秘密交渉に成功した出光は、アバダン
港からガソリンと軽油を満載し、川崎港へ戻り着いた。
その時に使用されたのが上記 出光興産の自社タンカー、
日章丸 だった。結局、この事件はイギリスと出光との
裁判になったが、出光側が勝訴して決着。

その後1957年(昭和32年)以降の国岡鐵造(出光佐三)は、、、
徳山や千葉に製油所を創るなど、原油輸入から精製加工まで一貫した
巨大石油コンビナートを建設したり、、、常に日本の石油産業に貢献。
そして、1981年(昭和56年)3月、95歳で逝去。この長編小説もここで完!




◎ここで今回の出光のお家騒動に話を戻すと、、、
合弁予定相手の昭和シェル石油はオランダに本拠を置くロイヤル・ダッチ・
シェルグループに属し、それはサウジアラビア系の別会社とも株式が関連
している。つまりイランと出光は上記の様に昔からの古い取引相手だが、
昭和シェル石油は、イランとは相対するサウジアラビア系との関連が強い。
その点も出光創業家の今回の合弁を躊躇させてる要因の一つでは?
出光としてはイランとの義理と信頼関係を重視しているのでは?
                                   以上、あくまでも素人の勘ぐりだけど、、、?^_^)

石油は戦前から戦後にかけて長年、セブンシスターズ、と呼ばれる
国際石油資本、いわゆる石油メジャーと云われる七大企業がほぼ独占、
牛耳ってきている。
Photo_2出光の出光佐三 は、戦前から戦後にかけて終始この
石油メジャーに抵抗。
日本の為に一貫した経営で出光興産の石油を国民に
提供してきた。
20世紀の世界では、各産業を興し、その権益をめぐって
争ったり、挙句は戦争の火種となった巨大エネルギー
である石油。その石油を武器として世界と闘った男、、、
それが、、、出光興産の創業者・出光佐三 だった!


◎最後に、、、
Idemitsu_2
昔、子供の頃から街角のガソリン・スタンドの看板を見て、
丸善石油とか大協石油、等々の記憶が残ってたが、、、
その中でも特に出光の看板とロゴが自分の印象に強く
残っていた。

そしてこのノンフィクション「海賊とよばれた男」 を読んで、、、
それまで漠然としか分かってなかった、いわゆる国際石油メジャーなど
初めて世界の石油業界の内情が少し分かった様な気がする。
そんな意味でもこの本は大いに参考になった。

今回、、、
本当はブログ・タイトルの「お家騒動」より、出光佐三 と云う偉大な
人物に興味津々だった。我々日本人が古くから大切にしてきた和の
精神や互譲互助の精神、自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、
世のため人のために事を成す、、、
    、、、この人こそ日本人としての誇りを貫いた真の日本人だった!



◎この本の著者、、、今やあの「永遠のゼロ」「カエルの楽園」
「黄金のバンタムを破った男」、等で、売れっ子作家となった百田尚樹

この人は、、、
27721巷では暴言はばからない右翼オヤジ、等と思われて、
確かに強烈な毒舌を吐く場合もあるが、本を書かせたら
「永遠のゼロ」で泣かされ、この「海賊とよばれた男」でも、
またまた泣かされた私の好きな作家!
また、この人の思想的にも、その歯に衣着せぬ物言いも
私は大好きな人だ!逆にそれが嫌いな人も多いけど?^_^)


「カエルの楽園」も読んだが、今の日本の平和ボケ、ノーテンキ族、特に
日本に蔓延る左翼メディアを大いに皮肉った政治パロディーで大変面白
かった。その他、何冊かの本も読んだが変わったところでは、、、

「至高の音楽」、、、これは作者がクラシック音楽にも造詣が深い人で、
ご自分の推奨するクラシックの永遠の名曲を紹介した本だった。
よくある音楽評論家の気取った解説書ではなく、この人らしい素直な
文章に好感が持てた。
     、、、そして右翼暴言オヤジらしからぬ根は優しい人だった!^_^)

◎参考資料
出光興産
出光佐三
石油元売
国際石油資本 (以上、Wikipedia)
出光佐三の「大家族主義」はどこへ行った?(産経ニュース)


◎関連ブログ記事
「永遠のゼロ」
誰が 『永遠の0』 を問題にしているのか? 
訃報、オマー・シャリフ
Futabasose35002
[注] ホルムズ海峡 に関連して、、、
安保法案、特にホルムズ海峡の重要性など、
我が国に於ける原油等エネルギー問題を
考える時、中東問題に無関心であっては
ならないのだッ!)

2016年7月21日 (木)

暑中お見舞い!

このところ連日の猛暑続きでグッタリ!
毎度の事だけど、自分の体調的には冬より夏の方が良い!、、、
、、、 とは云ってもこうも暑い日が続くと、、、やっぱりキツイな~!汗)

こう暑ければ思考も停止状態! 何も考えたくない、だからブログ・ネタ
にも事欠き?  否、正直あまり書く気が起こる様なニュースもない、、、
                             、、、と云いながら、、、?

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大橋巨泉が82歳で逝った!
先日のザ・ピーナッツ、永六輔 に続く昭和の伝説人、、、
TVで流れた11PMテーマ曲 がやたら懐かしかった!

“謹んでご冥福をお祈り申し上げます!”



Photo_3方や、米国ではトランプが遂に共和党の大統領候補
に正式指名された。来る11月の本選挙で彼がもし本当
に大統領になったら?
そしてかねがね発言していた日米安保体制の再検討
が本当になされたら?(多分それはない、と思うけど?)
日本も本気で独自に安保体制を考える良い機会に
なるかも? 平和ボケ・ノーテンキ族・サヨクの一掃
にはちょうど良い機会かもな~?それこそ反面教師かも?


Photo_4それより気になる都知事選の行方
報道も日に日に何やかやと派手に、賑やかになって
いるが、、、私の願いは、、、?
、、、最低でも鳥越俊太郎だけは当選させたくない!

候補者同士のネガキャン的話などどうでも良い。
彼の本質を見抜く、東京都民の良識を信じるのみ!


これ以上、書く意欲をそそる様なニュース・ネタを思いつかないし、、、
結局、旧ブログ記事から昨年夏のリメイク版になるけど、、、!
     、、、『暑中お見舞いの滝三題!』

毎朝、窓際でのセミの鳴き声 に癒されながらも、、、
猛暑、烈暑、激暑、極暑、酷暑、炎暑、狂暑、役所、事務所、警察署、etc、
もう、これ以上の言葉を思い出さないくらい日本列島は連日のチョー暑さ!

そこでフト思いついたのが、、、
この暑さを写真でなり少しでも凌ごう、、、! と、以下、滝三題

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先ずは上のこの写真、“光頭老”こと不肖私が、今を去ること10年前に
当時 在住していた香港でのハイキングの時に撮った、、、
 香港版 “華厳の滝” [梧桐寨群瀑 (Ng Tung Chai Water Fall)] です。
日頃の生臭坊主の修行の様子! 、、、でも涼しそうでしょう!^_^)

二つ目の滝は、、、
Img_0039この地方の滝で、7年前に行った隣県、
岐阜県の「養老の滝」 です。
昔々、同じ名前の居酒屋チェーン店には
行った記憶が有ったけど、、!^_^)

本物の滝に行って、その名前の由来を
知ったのはこの時が初めてだった。
そこは滝本体に行き着くまでの広大な
自然公園が素晴らしかった!
2009年に書いた拙ブログ「養老の滝」
ご覧あれ!

そして三つ目の滝は、、、
Img_0037現在の所在地、愛知県安城市からそれ
ほど遠くない、新城市にも良い滝が有った。
それは 「阿寺の七滝」  
もうかれこれ5年ほど前に、友人に連れて
行ってもらった場所だけど、、、!

ここもなかなかのナイス・スポット!
何でもここの滝および周辺は国の名勝
および天然記念物に指定されていて、、、
1本の滝だが数えてみたら確かに大小
七段の段差が有った。

以上、5年前の写真ながら、写真集≪阿寺の七滝、他≫ も覗いて!

因みに「養老の滝」 「阿寺の七滝」 日本の滝100選 の一つ!


以上、最近の日本全国の異常なまでの暑さにたまりかねて、、、
数少ないここの読者に少しでも涼を感じて頂くべく、、、でも、、、
本当はブログのネタ切れでリメイク・ブログになってしまったのだ!汗)

2016年7月14日 (木)

左巻き+ボケ老人が都知事に!?

世相には反応したくない、と云いながら、、、やっぱり気になるな~!
参院選が終わった今、ホットな話題は都知事選だろう!
愛知の片田舎から東京の事を心配してもね~!?、、とは思うけど!^_^)

Photo
つい三、四日前まで、たかが役者の分際で畏れ多くも天下の“まつりごと”
に首を突っ込もうとした青二才に、この未熟者め! と云おうとしたら、、、
直ぐに引っ込んだ、、、その代り今度は、普段から何かと江戸市民に危機
を煽っている、元“かわら版”屋の不届き者が出現!、、その様なヤカラは、
もし200年前だったら“市中引き廻しの上、打ち首獄門に処す”となる!^_^) 

それは、12日夕 都知事選出馬表明会見をしたフリー・ジャーナリストの
鳥越俊太郎 のこと。

Torigoe
その12日の発言内容の全ては、、、
http://logmi.jp/152335



この発言の中で、、、
>私は昭和15年の生まれです。終戦の時20歳 でした。
>もちろん空襲 も覚えてます。防空壕 に逃げ込んだこともよく記憶して
>おります、、、、
>戦後の平和と民主主義の教育のなかで育ってきた、、、
>私は私なりに戦争を知る時代 の端くれとして、、、
、、、等々もろもろの発言あり。

私はこの記者会見を聴いていて先ず驚いた! 
そして、アホかッ! ボケが始まったかッ?、、、と思ってしまった。
昭和15年の生まれなら昭和20年8月の終戦の時は5歳だろうがッ!
私は自分が昭和17年生まれなので、無意識の内に暗算反応してしまう。
従って、鳥越俊太郎と私は云わば同世代、同年代人なのだ。
5歳を20歳と云ったのは単なる口滑りミスか? だとしても、、、

終戦時わずか5歳だった子供が、それから以降の戦後日本が貧しかった
時代を何となく感じていた としても、混乱期なんて具体的に判って
いる筈もなく、ましてや体験してた、などと云う事自体 笑止千万!
多分、親や周りの大人から聞いた話を自分の体験としてカモフラージュ
して喋ったのだろう!?

また防空壕 の事に関しても、彼の記憶力が人一倍良いのなら必ずしも
否定はしないが、不肖私の場合は子供の頃に近所の石垣に防空壕の
残骸が有ったのは微かに憶えているが、それがいわゆる“防空壕”
知ったのは、後日大人達から聞いたからだった。

また空襲 と云えば因みに私自身の拙い記憶力で云えば、、、
以前、長崎の原爆投下 の時の事を書いた中で、、、
>3歳の時の体験を小さい時から祖母や母から何十回と聞かされて
>きたその時の話が私の頭に焼き付き、それがあたかも自分の記憶
>であったような気もする、、、と書いた事があった。


◎そんな事はともかく、、、
都知事選立候補者に対する不肖私の見方は、、、?


「増田寛也」、、、
自公公認推薦だが、その発言を聴いてると如何にも官僚的、優等生的、
ソツがない発言と受け答え。一見良さそうに見えるが、、、?
都議会とは波風を立てなくて、結局なぁなぁ的処理に終始しそう。だから、
舛添問題で計らずも表面化した都議会の問題点を本当に解決できるか?
こりゃ~大いに疑問なり!

「小池百合子」、、、
最初に立候補表明して、結果的に自民党都連に嫌われた。
そして結局、自公の推薦なしで孤独な選挙戦になるが、、、
見事当選したら、大東京の初の女性知事として大いに活躍しそう!
豊富なアイデアと、真の意味で如何にもプロ政治家らしい、そして、、、
私など、彼女が子供騙し的なポピュリズムがない所が大いに期待できる。
都議会にも公約どおり切り込むだろう! そして最後はどうまとめるか?
 
ただ、女性票も期待したいところだが、男女を問わず最近の草食系日本人
から見た場合、その単刀直入な物言い、お世辞にもさっくばらんで親密感
有り?、、、とは云えないキャラなので、その辺りが選挙でどう出るか?

「鳥越俊太郎」、、、
まぁ~上記した様な記者会見の内容での疑問点はともかく、それより私が
問題にするのは彼が思想的に“完全に左寄りジャーナリスト” と云う一言。

野合野党4党の公認推薦だが、こんな“左寄りボケ老人”、さらに、、、
“行政に対する知識も経験も、さらに見識もない、ただのド素人”、、、
ただただ左巻き特有の理想論と情熱だけの男だが、もっと気になるのは、
そもそも東京や都政に対する思いなど皆無で、憲法問題や原発関連を
筆頭に、国政に対する不平不満の方が強い人間、、、!
       、、、だから、その様な者に大東京を任せる訳にはいかない!

もし間違って当選したら、実際の業務の中で立ち往生し、都議会との
やり取りも中途半端となって、結局己が思い描いた都政が出来ずに
途中で投げ出す事になるだろう!
               、、、それまで己の体力が保つのか、も又疑問!

「宇都宮健児」、、、
昨13日夜、野党4党の密室野合の犠牲となって急きょ立候補を取り止め!
この人は過去共産党が推薦しただけあって、
如何にも市民運動家的、正義の味方ポピュリズムの固まりみたいな思想。
一見、温厚な人柄に見えるが、果たして海千山千の都議会をうまく
コントロールできるのか大いに疑問だった。
しかし、私の中では少なくとも 鳥越俊太郎 よりマシだった。
                               、、、以上が私の見方。

今14日午前現在、与党は小池、増田で分裂! 
方や野党は宇都宮を降ろして、結果的に鳥越一本で有利となったら、、、?
              、、、こりゃ~目も当てられない!汗)



◎以下余談だけど、、、
私は、特に専門的な知識もなく、単に市井の中道右派の人間 として、
主にテレビや新聞など、通常のメディアで得た知識を自分なりに考え、
消化し、その結果何故? どうして? チョットおかしいな~?、、等々、
自分のこれまでの人生経験から得た嗅覚 で感じた事を率直に拙ブログ
で書いてきた。だから当然私の間違いや認識違いも有るだろう!

それを踏まえて私が感じた、、、
“この人は現状認識と客観的な視感がない!” 、、、あるいは、
“何が何でも現在の安倍自民党政権を倒したい!”、に凝り固まっている、
、と感じた人達。なかんずく左翼とまでは云わなくても、いわゆる左寄り
左巻き の人は過去のブログでも具体的に氏名を挙げて書いてきたが、、、

現行テレビ各局の報道番組と、その男女キャスター、アナウンサー等、
ほとんど全ての関係者
、、、そして著名な評論家の中にも多数!
そのくらい現在の日本社会には、、、
反日的、左派的思想の持ち主が多数蔓延横行している。
今回の都知事選立候補した鳥越俊太郎 もそんな中の一人だ。




◎それにしても、、、
鳥越俊太郎
と私は云わば同世代で僅か2歳違い。さらに彼は福岡人で
私は長崎人、、、と同じ九州の隣県同士でその風土も似ている。
そんな二人の男が、何故ここまでその考え方が変わるんだろう??

彼の家系 を見ると、、真偽のほどはともかく、少なくとも我家よりも遥かに
裕福な家庭に育っていた事は間違いなさそう!
貧乏な地方公務員の家 に生まれた私が、元ノンポリで後に中道右派的な
考え方になり、方や裕福だった鳥越が左派的思想の持ち主となった、、?

まぁ~これは思い当たる事もある。学生運動華やかりし頃の話だけど、、
裕福な家庭で育った人間が、後に過激思想に走った!、、、等々。
           、、、先日来のバングラのテロリスト達もまた然りかも?
私に云わせりゃ~
 、、、「アンタら、贅沢で我がままなんだよッ!」、、、と叫びたい!




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