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2018年1月15日 (月)

大相撲問題を考える!

最近は以前ほど爺(時事)放談的な毒舌戯言を書く気にもならなくなったが、
今日は久しぶりに一発!^_^)  それは、、、?

テレビをはじめメディアでの昨年末頃から未だに騒いでいる大相撲問題!
事の発端は横綱日馬富士の暴行問題だったが、それがいつの間にか?
相撲協会のガバナンスの問題、さらには内紛?つまり協会内の権力闘争
のような話にまで発展し、いろんなコメンテーターが云わば自身の思惑を、
これ見よがしに解説したりして初めは面白かったが、、、?
最近はスッカリ興ざめしてしまった。

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元来、スポーツ嫌いの私など、、、どうでも良いよ! 勝ってにしゃ~がれ!
、ってのが本音。しかし、そう云いながら相撲のTV中継は良く観ている私。
だから相撲に関した事は過去も書いてきたが、今日は久しぶりに、
またまた持論をクドクドと、、、!^_^)


◎先ず最初に、私が思う今回の問題点を集約すれば、、、
(1)大相撲は果たしてただの格闘技スポーツか? 否か? 
(2)もし大相撲が“国技”ならば、そこに外人を入れる事の是非?
(3)相撲に限らず近年の“暴力”と云う言葉の意味は、その範囲は?

(1)大相撲はスポーツか?否か?
この定義が重要で、もしスポーツであればレスリング等と同じ格闘技と
なるだろうし、もしそうでなければ?、、、では果たして何なの?、、、と!

もし、大相撲が他の格闘技と同じく単なる競技スポーツならば話は簡単!

大相撲の様な旧態然とした慣習的な、特に相撲部屋などの団体の代わり
にボクシングやレスリング等と同じ様に、それぞれ団体グループを作って、
それぞれ外人でも何でも良いからとにかく頑強な選手を育成し、そして、
将来的にはオリンピック競技の一つとして世界に打って出れば良い。
ちょうど今の柔道界の様に! しかし、、、?

私に云わせれば、あれは日本古来の“柔道”ではなく“JUDO”!^_^)
つまり、現在の柔道は、その道の先輩である筈の日本人が外人に合せて
いるだけ! それは選手も、協会も、審判団もだ! 
だから相撲が単なる格闘技スポーツなら、“相撲”も“SUMO”と呼ぶべき!

テレビ放送も、現在の大相撲のようにNHK独占は止めて、スポンサーを
募って民放でどんどん放送れば良い。とにかく興業としての経営的感覚で
大組織として発展すれば大いに良い、、、と思う。

しかし大相撲は単なる競技ではなく、神事を司る国技であるとすれば、、


(2)大相撲独特の“国技”に外人を入れる事の是非?、となる。

大相撲が良く云われるように歴史的に国技であり、それは単にスポーツ
ではなくて神に捧げるための、いわゆる伝統ある神事であると云うならば、
        、、、そもそも外人を力士として採用したのが間違いの元! 

こんな事を書けば、直ぐに人種差別だ!、と云われるのは承知している。
そうではない!
日本古来の神教神道の歴史と伝統が有る相撲だからこそ、“国技”と
呼ばれる所以ではないのか!


その様な特殊な世界に、何故わざわざ外国人を入れる必要があるのか?
ある日、皇族に外国人が入籍するようなもの、両者は不可分の関係だ!

それではなぜ外人力士が増えたのか、、、?
大相撲に外人が入ってきたのは’97年頃のハワイ勢に始まり、その後は
欧州、その他、、、そして’05年ごろから急激に外人が増えてきて中でも
モンゴル人が急増。

相撲協会は興業としての相撲 を発展させたいが為に、ハングリー精神に
溢れ、尚且つジャパン・ドリームを夢見る体格優れた外人達に目をつけた。

その方が、数少ない力士希望の今時の軟弱な日本人若者より、体躯的
にも精神的にも頑健な外人達の方が即、金になるからだ!
興業、経営的にもその方が手っ取り早いからだ! しかし、、、

それでは、、、なぜ外人を力士にしたのが間違いか?、、と云えば、、、
前記した国技と外人は不可分の関係 と云う以外に、日本人独特の感性を
外人に求めても、元々無理な話、って事なの!

ましては国技とか神事とか云っても、今時の日本人ですら馴染みがない
相撲界独特の古い慣習などを、外人に求め要求しても、しょせん彼らには
表面的には理解できても本質的な理解にはほど遠いだろう。

それでも番付的に下位の外人力士の場合はともかく、三役や特に横綱に
なった場合、そこで品格が問題にされる。そもそも品格とは、、、?
辞書によれば 『その物から感じられる“おごそかさ”、つまり品位』、等と、
我々日本人でも訳の分からない解説!?^_^)

こんなファジーな言葉や考え方 を外人に判ってもらおうと思う方が無理!
そもそも不可能な事なのだ。日本人のDNAと云うか、感性みたいなモノを
外人に求めてもダメ! だから彼ら外人達が悪いのではない!

日本人の持つ独特なDNAと云うか? 思考方法や感性は外人には理解
され難い。これは日本人と外国人の優劣を云ってるのではなくて、
互いに相容れないものは理屈でなく如何ともし難いもの!、 と云っている。

それでも、その外人力士達の数が少なかった頃はまだ管理し易かった。
各部屋の親方の教育に差があっても、さほど大きな問題は起こって
なかっただろう!? しかし現状の様に外人力士が増えてきたら、、??

つまり外人力士が少なかった頃は、例えその外人特有の問題があっても
表面化せず問題が無かった様に見えてたが、上記した様に’05年ごろから
急激に外人が、その中でも特にモンゴル人が急増してきて徐々に問題が
目立つ様になったのではないか?

それは、モンゴル勢の圧倒的な強さ!昨年までの横綱3人がモンゴル人!
云い換えれば、如何に日本人力士が弱いか?、って事だけど、、、!
さらに現状の全力士の中ではモンゴル人が26人以上、と云う云う異常さ!
そこでいろんな問題、これまで表面化しなかったが、内々で処理していた
不祥事も出てきたのではないか? 例えば今回の暴行問題がその一例!

ただ、外人力士全てが問題を起こす訳ではない。

問題はある特定の国の力士達が急増した事が問題なのだ、、、
それがつまり現在の場合はモンゴル人力士、ってことだろう!
これが例えばハワイ勢が急増してたら、やはり同じ様に問題を起こした
かも?  また欧州人力士達でも同じ事が云えるだろう?
いつ頃からか、外人力士は一部屋に一人、と決まってるらしいが!?

話を戻して、、、
今回起こった現役横綱による下位力士への暴行問題で思うに、、、?
モンゴル人力士が増えて、彼ら同士間の競争やアツレキ‥などに起因した
今回の不祥事、、、しかし、これは、、、?


外人力士だから問題を起こし、日本人力士だったら問題を起こさない、、
と云う訳でも決してない。 
そこで次の話となる、、、

(3)相撲に限らず、、、
近年の“暴力”と云う言葉の意味?その範囲は?

近年、世の中の風潮として「何が何でも暴力は絶対ダメ!」って考えには
以前から個人的に納得していない! 賛同できない! かと云って口頭で
厳しく云えば、“言葉の暴力”な~んて云い方もするし?、、、ッたく!

私流に云えば、、、
「場合によっては怪我をさせない程度の“暴力”は許容範囲内!」 と思う。
(その場合こそ“暴力”とは云わず、“指導、鍛錬” と云って然るべき!)

いわゆる、幼児へのしつけ、スポーツでの鍛錬(しごき)、罰則的しつけ、等
これらを全て含めて何が何でも暴力絶対反対、とは私は思はない。しかし、
相手が怪我をするか否か?この限度が分からない親や指導者は失格!
今の世の中、その程度が分からないバカな親や指導者、そんなヤカラが
多い様にも思う? 何故だろうか?

旧態然とした相撲界、その中で自分も先輩から叩かれ、踏みつけられ、
泥だらけになりながら頑張ったからこそ、立派な力士になり、親方にも
なれたのだッ! と自負している現在の親方たち、、、だから、、、

お前たちも俺の様に強くなりたければ、叩かれ、踏みつけられても
ガンバレ!、、、と、こんな風潮が有るのは容易に想像できるし、
またある意味正しいだろう。

これは相撲に限らず全てのスポーツ界に云える事だろう! だからこそ、、
相手が怪我をするか否か?このリミットが分からない親や指導者は
失格!
、、、となるのだ!
今回の横綱日馬富士の暴行は、相手の頭に大怪我をさせてしまった!
しかも酒の席でだッ! こりゃ~論外!

以前、確か2007年頃だったか?ある相撲部屋での若手力士に対する先輩
力士や親方などによるシゴキ暴力事件で、死者まで出したあの大事件!
これこそシゴキの限度リミットが分からないバカ連中のただの暴力だった。

あの時、被害者だった若い力士の父親が今回の事件に触れて、、、
『相撲界はあの時と何も変わっていない! 何も反省していない、、、
、、、だから息子の死はムダ死にだった!』
、といみじくも述べてている。


◎最後に話を本題に戻して、、、

今回の横綱による暴行事件は上記にクドクドと書いた事とは直接には当て
はまらない!何故ならば?
稽古中の出来事でなく、単なる呑み会の席上で起こった不祥事だから!

暴行があった現場に居合わせた横綱白鵬以下、全ての人間に責任が
有る。暴行を止めずに傍観していたからだ!
これぞ上記した相撲界に蔓延る、鍛錬と云う名のシゴキに名を借りた
陰湿な暴力是認の悪習だからだ!
        、、、しかし、これはモンゴル人だけの問題ではないだろう?

これらを管理監督する立場の現相撲協会、そのトップに立つ理事会など
上層部、彼らは世の中の変化が分からない、何も見えていない、、、
何故ならば、、、?
みんな力士あがりだから世間知らずで相撲バカの常識知らず!
(これは相撲だけに限らない、一般的に全てのスポーツ界にも当てはまる。)

大相撲の運営をするトップの理事会、さらにその理事会を管理監督する
評議会とやらも、相撲界に関係ない第三者も入っている、とか云っても、、
外から見ていると世の中の常識で機能している様には思えない。

さらに、同じく横綱審議会とやらも、いったい何を審議しているのやら?
今回のような暴行問題を起こした横綱を選んだのは彼らだろうが!
だとすれば、横審メンバーにも責任が有るはずだ!

彼ら横審は、ある力士の大関から横綱への昇進の可否を審査するだけで
なく、横綱になった後の本人が、真の意味で横綱としての態度を土俵上
だけに留まらず、私生活も含めて立派に勤めているか?
他の力士の見本となっているか? それらをチェックするのも彼ら横審の
役目ではないのか? それが無理なら横審なんか無くしてしまえ!

私に云わせれば今頃になって、、、だが、
理事会は今頃になって横綱白鵬に横綱としての品格を求めているが、
なぜ相撲協会、具体的には彼の所属部屋の長、即ち親方が白鵬に厳しく
説明、指導をしない?
   、、、なぜもっと最初から厳しく教育しなかったのか? と批判したい。

しかし例えちゃんと教育したとしても、彼は真には理解は出来ないだろう!
ただ現在、巷で批判される彼の言動、即ち横綱の品位品格に関しては、
少なくとも今よりはましだろう! 今より批判の程度が小さく少ないだろう。

だから理屈は抜きで単にそれはダメ、こうしたらダメ! とそれだけで良い。
やれ品格だ、品位だ、、、等と云うから彼らは余計に煩く感じるのでは?
『品格ってなに? 勝てば良いんでしょう?』、、、と、うそぶいた朝青龍を
思い出す。

いずれにせよ、彼らの入門時からその後の出世した後でも、その態度の
良し悪しをその都度教育指導していないから今度のような問題も起こる。
結論として、外人力士達、特に横綱白鵬を筆頭に日馬富士、さらに過去の
朝青龍、、、等々、モンゴル人力士の態度が悪いのは、、、?
全て日本相撲協会とそれに属する団体組織にその全責任が有る。
日頃から親方や相撲協会がちゃんと指導しないからこうなる!

相撲協会は全ての問題に対して、国技と云う名に甘んじているのでは?

相撲協会に管理能力がないのは対力士だけではない!
今年、新年早々 事もあろうに立行司のセクハラ破廉恥行動が表面化、、、
全て協会のタルミから問題が出ている様にしか思えない。
まだまだ、過去から現在に至るまで表面化していない、もみ消された
不祥事が相当有っただろう? と想像してしまう。


◎以下、余談だけど、、、
過去の不祥事も含め、現在の相撲界に起こっている問題は、ただ体質が
古くて閉鎖的な社会だから! って、ただそれだけでは済まないのでは?

日本は少子化問題が深刻と云われて久しい。その結果労働力不足もあり、
結果80年代末頃に入管法が改正されて、外国人労働者を多く受け入れる
ようになった。その結果、日本全国通津浦々、どんなに田舎に行っても
外国人労働者を見かける様になった。工場での単純労働は云うに及ばず、
地方のさびれた温泉宿でも、街の小さなラーメン屋でも!

もちろん、彼らが日本の労働力不足に大いに貢献している事は事実で、
それはそれで当面は良いだろう。しかし、、、将来的に見たら、、、??

国内に外人が増える事によるマイナス面、、つまり文化風習の違いによる
日本人と彼ら外国人との摩擦やアツレキ等々が発生するのでは?
小さなアツレキは既に各地で起こっている。ここで云うまでもないだろう!


昨今、あのシリア難民などのヨーロッパ諸国への大量移住で、欧州各国は
その対策に苦慮し、自国内の就労問題や、あげくは治安悪化の原因の
一つに等にもなっている事実。

そこには、理想や理屈でだけでは解決しない複雑な問題が含まれている。
日本人のノーテンキで、お人好し人助け的親切心だけでの対応では処理
できない深刻な問題が必ず発生するだろう!?

外人を多く受けれた場合に発生する問題事を十分想像理解しておく
必要がある。それは外国人が、そもそも日本の伝統文化や慣習に慣れる
事を希望、あるいは要求しても限度がある、、それは上記した理由により!



◎またまた追記:横綱 白鵬や日馬富士のこと、等々、、!

いつの頃からか? 以前は綺麗な横綱相撲だった白鵬の取り口が
荒っぽくなったのは? 白鵬は張り手紛いのエルボーは云うに及ばず、
勝負がついた後のダメ押し、、、

行司から賞金を受け取る時のこれ見よがしのパフォーマンス、等々、、、
その他、先場所起こった、勝負がついた後の有ってはならない土俵下での
クレーム、、、優勝インタビューでの観客を巻き込んだバンザイ三唱、etc、、

彼の品格品位に関する問題点を、ここで数え上げたらキリが無い。
今や相撲協会は横綱白鵬から完全になめられている! 
全て協会と親方が彼を甘やかしたツケなのだ、、、!

一方、今回の暴力事件の加害者、元横綱日馬富士、、、
日馬富士擁護論も一時期盛んだったが、、、?
巷では彼の趣味としての絵画が好きでかなりの腕前だった、。だから、
本来、あんな暴力事件を起こす様な荒っぽい性格の人ではない、、と、?
しかし酒癖が悪い、って~のは既に公になってる様だし、、、!

私に云わせりゃ~これまたチャンチャラおかしい? 絵画が好きな事と
荒っぽい性格な事は別に矛盾しない。それはそれ、これはこれ!
だいたい格闘技をやる様な人間におとなしい性格なんてあり得ない、否、

そもそも運動、スポーツ好きの人間に根っからおとなしい性格の人なんて
男女ともにあり得ない!
勝負に負けても、悔しがらないような、おとなしい性格ではアスリートとは
云えないだろう!
元来アスリートは、その程度の差は有れ、気が強いのが定番なのだ!

、、、これで本当にオ・ワ・リです!^_^)

◎参考資料
日本相撲協会(Wikipedia)
NEWSポストセブン 
外国出身力士の数


◎過去の関連ブログ記事
白鵬 格闘技に転向か?
嫌いになった白鵬!
白鵬も しょせん外人
これでいいのだ! 
ロマン誘う “元寇”
NHKの相撲放送
運動馬鹿?筋肉馬鹿?
スポーツ馬鹿!!運動馬鹿!!
(HomePage)


近所に外人が.増えた!
昔の日本人は、、、?(2)
郷に入らば郷に従え!


◎コメントは
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2018年1月11日 (木)

寒い時に聴くジャズは?

2018年の正月も早10日を過ぎて連日寒い日が続いている、、、!
日本各地は大雪などで荒れ模様の天候だけど、、、この地方は幸い、
“天気晴朗なれど風冷たし、、、って感の最近の天候だ。

いつもの散歩コース、途中の休憩ポイントからいつもの写真一発!
同じ場所の 昨年10月1日 の写真と見比べて! (ズーム比は違うけど?)

Photo_2
寒い、と云っても天気が良い日に風が無ければ体感的に寒さはそれほど
感じない。しかし寒いのは昔 若い頃からどうも苦手で、、、?
体調的にも夏は良くても冬はあまり良くない。だからどうしても家の中で、
こうしてパソコンに向かう時間が長くなる、、、

そして、そんな時の私のBGMはやっぱりジャズだ!
一口にジャズ、と云ってもその時の気分で、いろいろ変えて聴くことが多く、
最近ではCDなどディスクをその都度入れ替えて聴くのが面倒で、ついつい
PCのHDにストックしている音楽の中から、その日の気分に合わせて選んで
いる。現在使っている再生ソフトは下図 “Media Go”、と云うソフトで、、、
画像はその中の一部、、、(Sony Network Entertainment International Inc.)
Mediago
これは主に音楽を簡単に検索、整理できるソフトで、PCで簡単に再生
できるよう最適化もされる。またソフト的に音質調整が可能なグラフィック・
イコライザー(画像左下)など、視覚的にも使い易く出来ている。

私はPC作業中は、リビングのオーディオセットではなく、、、
PCのAudioOutからUSB経由 で別アンプへ、そして小型の3Dスピーカー
で聴いている。

さぁ~今朝は何を聴きながらブログを書こうか? と思いつつ選んだのは?
Bill Evans At The Montreux Jazz Festival』
(モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのビル・エヴァンス+1)
1968年6月15日、スイス、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにての
ライヴ録音版で、モントルー・ジャズ・フェスの名前を世界的に広めた
傑作ライヴ盤の一枚だろう。

エヴァンス定番のサイドが従来の、、、
ポール・モチアン(ds)、スコット・ラファロ(b)、とは違って、、、
ジャック・ディジョネット(ds)エディ・ゴメス(b)、、、って~のが新鮮だ!
YouTube でお聴きください!

この綺麗なジャケットは、俗に『お城のエヴァンス』、としても有名で、
名盤の一つだろう。ただ私自身は他のエヴァンスの若い頃のような勢いが
ある力強さを感じない!?
一種のムード・ピアノ化のような? その点がちょっと物足らないが、、、
こうしてBGMとして聴くのには気が散らなくて良いのかも、、、?^_^)


Bill Evans Trio、、、その代表作と云えば他には下記の三枚かな、、、?

 
◎関連拙ブログ、本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ“音を楽しむ徒然語り” その1~7(最終回)のシリーズ、
(2)HP
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2) も併せご覧下さい。


コメントは こちら から、、、!

2018年1月 1日 (月)

平成30年 謹賀新年

30

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ここ数年、これまで私の毎年頭の誓いの言葉は、、、
2015年は、『今年こそは良い事が有りますように!』と、ありきたりに願い
ながら、内心では「今年もどうせ大した年ではないだろう! 自分にとって
殆ど良い事も起こりそうにない年になるだろうな~?」、等とネガチブに
想像していたら、、、?

結局、この年は親類や友人知人の訃報に接する事が多かった!
だから次はひょっとして自分の番かも? な~んて思ったり、、、!^_^)
           、、、ただ、この年は金婚式を迎えた年でもあったので、、、

2016年は、『今年は良い年になるだろう!』、とポジチブに書いた。
そしたら?何の事はない、10月頃からストレスが溜まる事の連続で年末を
迎え、それがさらに年を越えて翌2017年
まで続いた。

だから昨2017年 は“清々しくない新年”を迎えてしまったので、、、

ネガチブに 『今年もどうせ成る様にしか成らないだろう!』 、と捻くれて、
書いてしまった、、、!汗)

そのせいか?
2017年1月早々から耳の調子が悪くなって、なんとこれが
ほぼ1年近くにもなる今現在でも未だ完治しない!涙)
、、、やっぱりあまり捻くれた書き方は良くなかったんだ~、と後悔?^_^)

そこで今2018年 平成30年こそは耳の病気が完治する事を願うのみ!
その耳の病気に関係しているか否か、分からないが生来の短気が
歳を重ねて我ながらますます酷くなってる様で、そんな精神的ストレスと、
神経質な性分が耳にも何らかの悪影響を与えてるかも知れない?、、と、
考えもした。

巷で見かける万事 呑気で何事にも楽観的な人、そんな人が羨ましい!と、
思った事もあった。しかし人は人、自分は自分と開き直っていたけど、、、
人生のフィナーレを迎えつつある今こそ、、、

『今年は出来るだけ短気を起こさないよう努める!』
、、、と誓おう。
(今さら己の性格がそう簡単に変わる事はないだろうが!?^_^)

そして無神論者の神頼み、、、
『今年こそ耳の調子が良くなりますように!』、、、と遂に神頼み!^_^)


【追記:特別 Web Page】 病記≪耳づまりが治らない?≫


コメントは こちら から、、、!

2017年12月23日 (土)

年末恒例モロモロ

今年もいよいよ残り一週間! 歳のせいか?時が過ぎるのを早く感じる!
街を歩けば年の瀬の人々の忙しい動きとジングルベル♪の喧騒、、、!
そして年末の恒例と云えば、、、

テレビは相変わらずタレント達が騒ぐだけのバカ番組バラエティー、、、
ドラマでは昔の作品の焼き直し版も含めて、今年もまたあの『忠臣蔵』、、、
これが外国、特にカトリック教国の年末番組は古~い映画の『ベン・ハー』
、、、と相場が決まっている。


◎以下は以前書いた拙ブログの焼き直し版だけど?
先ずは『忠臣蔵』の話で、、、
日のブログで西尾城の話を書いたが、その時に乗った電車の西尾線は
我家の近くの新安城駅から西尾線で南安城、桜井などを経て西尾へ、、、
その西尾から先は三河湾沿い吉良吉田、西浦など経て最後の駅が
蒲郡。その蒲郡の事も以前ブログで書いた事があった。

ここで出てきた吉良吉田、ここも以前一度行って、その時の感想ブログを
書いていた。⇒悪人?も地元では人気者だった!
最初は何となく変わった地名だな~?、ってぐらいしか思わなかったが、、、
調べてみたら、これが何とッ、、、?
実はあの有名な忠臣蔵の悪役、吉良上野介吉良の事だったのだ!

即ち、現在の吉良町 は、もともと愛知県の中南部にあった町で、現在は
西尾市に編入されている。大昔、中世の頃の領主が、何でも足利氏一族の
東条吉良氏 、であったことから吉良と云う地名になったらしい、、、。

A69e1ae834e66b4d6474fc384c6e6692『忠臣蔵』はもともと徳川五代将軍綱吉の時代、元禄時代
に起こった実際の事件を参考にして出来た創作作品で、
日本人が大好きな勧善懲悪を巧みに利用した作品。
歌舞伎や浄瑠璃、講談、浪曲、小説、映画、演劇など
いろんな分野の題材として扱われてきた。日本人で知らない人はいない
だろう!

1702年(元禄15)年旧暦12月14日、赤穂浅野の浪士47人が本所の吉良邸
に討ち入りし主君の仇討ちを成し遂げた。その話を現在でも毎年12月に
なれば恒例の年末娯楽番組として映画やテレビドラマ『忠臣蔵』 として
上映されている。

一般的には吉良の浅野いじめが事件の遠因、発端とされているが、事の
真相はともかく、よくよく考えてみると浅野内匠頭がいくら若かったとは
云え、短気を起こしたばかりに結果、お家断絶、何百人もの家中の関係者
が一夜にして路頭に迷う事になってしまった、、、。

今風に云えば会社社長が取引先で親会社でもある相手社長とケンカして、
相手を傷つける云わば殺人未遂傷害事件を起こしてしまい、結果その
社長は犯罪者となってしまい会社は倒産、そして従業員は一瞬にして
失業してしまった。結局、昔も今も 短気は損気、って事か?^_^)

事件直後の江戸幕府の対応のまずさ、などいろいろ説がある、その結果
いわゆる後に忠臣と呼ばれる四十七人の者たちが仇討ち事件を起こして
しまう。

今風に云えば、47人のテロリスト達が法を破ってボスの仇を討った様な
ものだが、結局テロに変わりない。

失業した元会社従業員たちが、被害者である取引先の相手を逆恨みして、
不意打ちの夜襲をかけた様なもの!^_^)

忠臣蔵関連の小説もいろいろ読んだけど、殆どが「浅野」は善人で、
「吉良」は悪人のパターンが多い。
私は昔ながらの大石内蔵助率いる四十七士の吉良邸討ち入りで幕を
閉じる 『忠臣蔵』 は、もうとっくの昔から飽き飽きしているし、、、

それより以前読んだ“池宮彰一郎”の小説 『最後の忠臣蔵』 がなかなか
面白かった。これは二人の男の生き方、“死ぬは易すし、生きるは困難”
を現した傑作! 今の世の中にも通じるものがあった様な?

話を戻して、、、かように 『忠臣蔵』の話が江戸時代以降現代に至るまで
ヒットした結果、「吉良」悪人説が一般的な日本人の感覚みたいに
なったが、しかし上野介はここ吉良吉田近辺では“吉良さん”と親しみを
込めた呼ばれ方をして、特に農業関係者の間では今でも“吉良さん”
事を敬っているとか?(地元の人たちの話)

上野介は元禄のあの時代、高家としての役職上、江戸詰めが多かったが、
ここ故郷に帰ってくると灌漑用水を整備したり、赤馬に乗って地元を巡回
するなど今風に云うと、地元ファーストとばかり大いに地元に貢献した
殿様だったとか? だから地元の庶民には昔から大変人気が有って、
それが今現在でも続いているらしい、、、?

ところがあの元禄事件でお殿様の上野介は非業の死を遂げ、オマケに
『忠臣蔵』の流行で悪人にされてしまって地元の人にしてはたまったもの
ではなかっただろう! だから今でも地元の人は年末のドラマ『忠臣蔵』は
見ない?と聞いたけど、、、? これってホントかな?^_^)

以下の写真が吉良家の菩提寺がある“華蔵寺”、吉良家の墓、赤穂浪士の
吉良邸討ち入りの時、応戦して亡くなった吉良家家臣団の氏名、この中に
記名されている小林平八郎や清水一学などはドラマでも有名人だ!
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ここで吉良、って云って思い出す事がもう一つ、、、?
それは?あの任侠物で有名な『吉良の仁吉』、、、これの関連する寺なども
ここ「吉良吉田」駅の隣にある、「上横須賀」、って駅の近くに有った。
とにかく小さな田舎町だけど、なかなか面白い地域なのだッ!

これら含めてもう一度⇒悪人?も地元では人気者だった!をご覧あれ!



◎ここでそろそろ話を変えて、もう一つの映画 『ベン・ハー』、、、
51fdcpdhzvlこれは主に外国、特にキリスト(カトリック)教の国では年末
テレビ番組の定番で、さしずめ日本の忠臣蔵と同じくらい
年末必見映画!^_^)

この古~いハリウッド宗教映画の事も以前ブログで書いた
懐かしの映画 (16) 『チャールトン・ヘストン特集』
ご覧あれ!

チャ-ルトン・ヘストン主演の映画で、古代ローマ帝国時代、キリストが
誕生した頃のエルサレム、、、! そう、最近トランプ米大統領がその
エルサレムをイスラエル(ユダヤ)の正式な首都とする旨を公表し、世界中
が大騒ぎになっている、そのエルサレムが舞台なのだ。

映画 『ベン・ハー』 は、ユダヤの下級貴族ベン・ハーの波乱の生涯を
スケール豊かに描いた傑作作品で、ベン・ハー個人が悪徳貴族や理不尽
な上層貴族に対抗する勇ましいお話だけど、映画としてのスケールの
大きさは過去未来も含めて最大な作品だろう!
              、、、もうあんな映画は二度と出来ないだろう!?

特に下記のシーン、圧巻の実タイム約10分間をご覧あれ!
 

最後に『忠臣蔵』と『ベン・ハー』の話を一口でまとめると、、、?
『忠臣蔵』、は日本人が大好きな勧善懲悪の典型的な話で、、、
“個を捨て義を重んじる日本の武士道”の話。
方や 『ベン・ハー』は、逆に“個を重んじる西洋の騎士道”の話、ってこと!



◎その他、年末恒例の音楽としては、、、?
私のような年代は ビング・クロスビー のホワイト・クリスマスが懐かしいし、

また、エルビス・プレスリー のホワイ・トクリスマスは今でも大好きだ。
  

またクラシック音楽では、 ベートーベンの交響曲“第九” 、、、!
それにしても、日本人は年末に“第九” が好きだな~!
 


◎以上、過去の参考ブログから、、、

年末恒例 その他多数。

コメントは こちら から、、、!

2017年12月15日 (金)

ジェンキンスさんが亡くなった!

ジェンキンスさんが亡くなった!
云わずと知れた拉致被害者 曽我ひとみさんの夫で元アメリカ陸軍兵士。
ここに、、、『謹んでお悔やみ申し上げます!』

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2002年の小泉訪朝で日本人拉致被害者の存在を北朝鮮政府が公に
認め、その時に、曽我ひとみさんの夫であるジェンキンス、と云う
アメリカ人の存在を初めて知った。そして、、、

彼が24歳で朝鮮半島軍事境界線付近に駐屯勤務していた1965年頃、
境界線を越えて北朝鮮側へ投降、逃亡した脱走兵だった事を初めて
知ってビックリ仰天、本当に驚いてしまった!

そして私は何故か? 大昔に観たアメリカ戦争映画 『最前線』 の記憶と
ダブってしまうのだった。

今回、ジェンキンスさんの訃報を知って、またまたこの戦争映画を
思い出し、彼のこれまでの波乱万丈の人生を想って、独り感無量に
なってしまった。

Sim映画 『最前線』 (原題:Men in War)は、
1957年頃のアメリカの戦争映画で、朝鮮動乱時の
米陸軍の最前線の内幕を鋭く描いた異色戦争映画
だった。
主人公は西部劇の『誇り高き男』などで好きに
なったロバート・ライアンだった。


【概要】 映画の冒頭、シーンと静寂の中、疲れ切った兵士たちの表情、、
通信兵が無線に小声で呼びかける本部は一向に応じない??
場所は朝鮮戦争の最前線、主人公率いる小隊は周囲を敵軍に囲まれて
孤立していた、、、
この冒頭のシーンは何故か? 今でも私の脳裏から離れない!

ベトナム戦争以前のハリウッド製戦争映画といえば、好戦的な勇ましい
映画ばかりが多いが、『最前線』 は全編を不穏で厭戦的なムードに
覆われた極めて異色な作品だった。
異国の戦地で孤立し、疲弊しきった兵士たちが終りの見えない消耗戦を
強いられる辛い辛い映画だった事を思い出して、、、

その時の映画のシーンと、何の関係ない今回のジェンキンスさんの話、、
つまり映画は朝鮮戦争そのものが舞台だから、1950~1953年頃の話、
しかし、ジェンキンスさんが南北軍事境界線付近に駐屯勤務していた
のは1965年頃の話だから、、、! それはともかく、、、

軍事境界線を越えて北朝鮮へ逃亡しようとしたその瞬間、彼が頭の中で
何を考えながら走ったか?、、、そんな事を勝手に思ってしまうのだった。

話はガラリと変わるが、最近同じく軍事境界線付近で勤務していた北朝鮮
兵士が境界線を越えて韓国側に逃亡した事件があった、、、
時代背景も、その兵士の脱走理由もまったく異なるだろうけど朝鮮戦争は
終わったのではなく、1953年以降 北緯38度線付近の休戦時の前線が
軍事境界線として認識され、以降これまで休戦状態のままなのだ。

後に知った事だけど、1965年頃と云えば、ちょうど私が結婚した年だから
良く憶えている。それより以前からアメリカはベトナムに軍事介入、、、
そして拡大を続けていたさ中で、多くの米兵がベトナムに派遣されていた
時期だったのだ、、、

そんな時に、ベトナム戦争での米兵の壮絶な戦いを聞き知っていた
であろうジェンキンスさんは、自分も朝鮮からベトナムに派遣されるかも
知れない、と云う心配と恐怖? つまり軍務に対する不満と厭戦気分が
高揚したのか、、、?  結局、脱走を計ったらしい? もっとも、、、
これ以上、その時の彼のせっぱ詰まった心情を我々は知る由もなし!

ただ、結果的に北朝鮮に逃亡して39年後の2004年、北朝鮮で結婚して
先に日本に帰国していた妻の曽我ひとみさんと再会! 曽我さんの故郷
佐渡で二人の娘さんを交えての新しい自由な新生活を迎える事が出来て
本当に良かったな~!、、、と私は心の底からそう思う。

日本帰国後、神奈川県の座間にある米軍キャンプに脱走後初めて
出頭し、出迎えた上司に最敬礼して出頭を報告している姿をテレビで
観ながら、如何に歳はとっても、その軍人としての毅然かくしゃくとした
態度行動
に思わず凄いッ! と強烈な印象を持ったことを憶えている。

その後は日本政府の働きかけもあってか、米軍側でも特別な対応処置が
あった様で、結果的には脱走問題を取り上げる軍法会議も形式的なモノ
だけだった様だ。 一か月未満の短期間の禁固刑のあと釈放、、、、
はれて脱走兵の汚名も消えて正式に米国軍人としての経歴を終えた。

まぁ~見方を変えれば北朝鮮での39年間の自由のない辛かった生活が、
云わば米軍から脱走した罰だった! と考えられない事もないかも?
また、艱難辛苦の北での生活だったと思うが、結果的に曽我ひとみさんと
結婚、二人の娘さんも授かった事は唯一の幸せだったかも?

ジェンキンスさんはその後、母国アメリカに帰国、、、
そして年老いた母親とも涙の再会! 結局、ジェンキンスは妻ひとみさん
を気遣ってか、母国ではなく日本で家族ともども暮らす事にした。が、
本当はやはり生まれ故郷のアメリカで余生を送りたかったのでは?
などと考えてしまう。

話は変わるけど、、、
当時、ジェンキンスさん以外にも3名の北朝鮮に残るアメリカ軍の逃亡兵
が確認されているとか、、、? またこんな話はベトナム戦争でも似た様な
脱走事案が確認されているし、、、

近年の世界各地での紛争、戦争で最前線に配置されている主に米国の
兵隊は、その程度の差こそあれ強烈なストレスで精神病を病んだりした
者が多くいる事が確認されている。

ジェンキンスさんとご家族の数奇な運命を大変気の毒だった、と思うが、、
日本国民のみならず世界中の人々に北朝鮮の実態を明らかにした事と、
彼が知り得た他の拉致被害者の情報など大いに評価されて良いのでは? かなり勇気の要る事だっただろうし!

拉致問題に北朝鮮側は誠実に調査をすると約束しながら、いまだに進展をみていない。ジェンキンスさんが帰国してから早十年以上が経過した。
速やかな解決を望んでやまない、、政府は何やってんだッ!

2017年12月、彼の波乱の人生は日本の佐渡で終止符となってしまった。
少ない年数だったが、人生の最後を佐渡で暮らしたジェンキンスさんは
多分幸せだっただろう! そう思いたい!


◎最後に、、、
近年、彼ら家族一同が佐渡で平和に暮らしている事を知り、出来る事なら
一度訪問して、ジェンキンスさんと直接会ってみたかった。
     、、、ジェンキンスさんの波乱万丈だった人生を想う時、、、

『人は人生の困難にぶち当たった時、その事から“逃げる”という選択を
 した場合、それが後々 いかに悔恨につながるか、、、!』
、、、
、と私自身にその教訓を改めて思い起こさせてくれた。だから、、、
余計に見ず知らずのジェンキンスさんの事が私は気になるのかも?
      、、、『どうぞ安らかにお休みください!』


◎関連資料
拉致問題再考 (拙ブログ)
Yahoo Japan News
Charles Robert Jenkins (Wikipedia)
朝鮮戦争 (Wikipedia)

映画 『最前線』
映画 『誇り高き男』のテーマ音楽 (Youtube)
(懐かしの映画音楽、スリーサンズのテーマ曲をお楽しみあれ!)

その他、角川書店 『告白』(チャールズ・R・ジェンキンス(著)
Jenkins

コメントは こちら から、、、!

2017年12月 8日 (金)

晩秋の西尾城

先日、久しぶりに西尾市をブラリ散策、、、!
西尾市は愛知県の中央を北から南の三河湾へ流れる矢作川 流域の南端
にある市で、我が安城市の南側隣県となる。
2009年秋に初めて行ったので今回は8年振り二回目だった、、、!

日本一の抹茶の生産地、また三河の小京都、などと宣伝はされてるけど?
そうは云ってもしょせん田舎町ではある、、、!^_^)
だから街にはあまり興味はないけど、西尾城など歴史遺産があるし、
電車で20分そこそこの近距離なので手軽に行ける。

名鉄西尾駅の西口に出ると、大通りの先に直ぐに目に入る、、、
「西尾歴史公園」の標識、、、そこに向かって花ノ木町4丁目の交差点を
渡って道なりに進むと、、、間もなく道路左手に見える「伝想茶屋」の看板、
以前、この店で食事した事を思い出した。そしてその右隣には「尚古荘」。

Dsc_0051  Dsc_0051x

「伝想茶屋」は最近閉鎖した旨のお知らせが貼ってあったが、珍しい豆腐の
料理が美味しかった事を思い出して、、、残念だった!

また、隣の「尚古荘」は昭和初期につくられた京風庭園で、この後に行く
西尾城の一部を生かして造られた美しい日本庭園。
Dsc_0054  Dsc_0057 


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「尚古荘」の庭園の上に「旧近衛邸」への標示が、、、?
そのまま、その小路を行くと、、、すぐに西尾城へ至った。
そして正面にはその「旧近衛邸」が、、、!
江戸時代後期に島津家によって建てられたもので、
書院と茶室からなっている、とか?



なかなか立派で美しい屋敷と庭園だった!
Dsc_0072  Dsc_0071

Dsc_0073

その近衛邸庭園から振り返り見た逆光の西尾城、、、
今や晩秋の紅葉と歴史の面影のコントラスト!

歴史に埋もれた西尾城? どこか寂しかったな~!



Dsc_0083「資料館」側から見た、お濠と西尾城天守閣、、、!

Dsc_0086そして最後に、、、
西尾城大手門か? 否、正確には、
『二の丸鍮石(ちゅうじゃく)門』
云う。



以上で「西尾歴史公園」の見学を終わり、、、!

◎最後に、、、
“西尾城”と云っても、歴史的にさほど有名ではなく、またここ徳川本家が
ある三河一帯でも、特に歴史的に大きな影響を与えた城ではなさそう?
歴代城主もよほどの歴史マニアの間でしか知られてないのでは?

もとの道を西尾駅まで戻った、、、今日は往復約5時間の散策、、、
天気は良かったけど寒かった~!

◎詳細は 写真集≪西尾城.2017.12.03≫ を是非ご覧ください。

◎前回のブログ西尾城址、も今回の記事と併せご覧ください。

◎参考資料
西尾城 (Wikipedia)
西尾市歴史公園

◎コメントは こちら から、、、!

2017年11月23日 (木)

桶狭間はこっちだぎゃぁ!

先週、急に寒くなってきた。外は寒いが天気は良いし何処となくアテもなく
散歩しながら、ふと思いついたのが「そうだ、桶狭間へ行ってみよう!」 と!

「桶狭間」、と云えば直ぐに思い出すのは、、、?
織田信長が今川義元を打ち破った所! たしか1500年代中期、群雄割拠
時代の真っ只中、尾張の若き信長がその少数兵力で、大兵力を誇る駿河
の大名 今川義元に対して桶狭間で戦を仕掛け、これに見事勝利!

この戦で信長は、戦国時代の天下にその名を轟かせ、一躍スターダムに
のし上がった、、、そして天下統一に向けて日本史が大きく動いた歴史上
有名な戦いだった、、、と、そのぐらいは知っていた!^_^)




◎これより以下の記事本文と、写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫
   を併せてご覧ください。

桶狭間、実はその合戦場だった場所は私が住む安城市からほど近い!
いつも利用する名鉄名古屋本線、新安城から名古屋方面へ向かうと、
途中、“中京競馬場前”って駅が有り、その近くに桶狭間が有ることは、
以前から知っていたし、いつだったか?車でその合戦場の近くを素通り
した事もあったが、今回改めてゆっくり見学しよう、と思い付いたわけ。

■≪先ずは前編から、、、!≫
“中京競馬場前駅”は急行電車は止まらないので各駅停車の普通電車で
新安城駅から約20分、、、
【Img_0002】
Img_0002駅の改札を出てから南側出口に行くと、、、
こんな案内板が有った。

(以降、画面上に【Img_XXXX】が有る写真をクリック
すると、その記述内容を読むために大画面の写真
に変わります。)

Img_0003_3
そこから通りを右手に行くと、、、
直ぐに信号の傍に大きな案内板が出ているので
指示どおりそこを左折、なだらかな上り道を直進。



Img_0005_2すると直ぐに見つかった「史跡桶狭間古戦場」
の石碑。中に入って先ずは一とおりぐるっと周って
みたら? エッ!たったこれだけ? と想像したより
小さな公園だった! いろんな石碑や墓石など、
それぞれ標識、説明書きと共に建ってたが、、、
とにかく狭い。

Img_0011_2Img_0010_2
そして、この小さい公園の一角に
この戦の敗戦の将、今川義元の
墓石
があった!
合掌、“南無阿弥陀仏”




【Img_0008】
Img_0008_6また標識の一つに「桶狭間七石表」と有ったが?
戦で敗れた今川義元の家臣七名が祀られているらしい。
江戸時代に出来た、と云われている。

しかし下部の説明を読むと、、、
後編に出てくる別の場所(田楽狭間)「七ッ塚」とは、
どんな関係なのか??

【Img_0013】
Img_0013_3
桶狭間の戦いの全体、織田と今川両軍の進軍
ルートや、この小さな公園周辺にある石碑類の
説明書き。
上記、家臣七名の石碑は画面右側に!


何れにしてもここ「史跡桶狭間古戦場」、と標識されたこの公園は小さい!
思ったよりも断然狭くて、小さくて、、、全く期待外れだった。



◎ここでフト考えた、、、!?
以前何処かで見た信長と義元の銅像 が有るはずだけど何故ないの?
何処に有るのか? 
そんな事を考えながら、、、この小公園脇の坂道の対面を見たら、、、

Img_0018Img_0019竹林の中の小さなお地蔵
さんとその左手に高徳院
と云う大きなお寺が、、、!
よし、中へ入って見よう、、
、、、と。


Img_0021すると、正面の本殿と「今川義元公本陣跡」なる
石票が立っていた。これって本当?
この寺と義元は関係あるの? この寺は明治時代
に出来たらしいが、義元公本陣跡な~んて?
後で取って付けた様な?^_^)


Img_0025
その正面の本殿と、、、
その右側上の方には大きな赤い塔が?
あれは何処かで見たような? そうだ、思い出したッ!
名古屋へ向かう電車の車窓からよく見ていた塔だ。
よしッ! あそこへ行ってみよう、、、と。


そしたら、、、そこは高徳院の永代供養納骨堂だった。桶狭間の戦いとも
今川義元とも無関係の施設だった。何だ、こりゃ! 紛らわしい!
こんな事を書いたら叱られそうだけど、、、
何だか前記 「史跡桶狭間古戦場」公園の近くにこの寺を建てたので、
義元公にあやかって利用したような?? スミマセン!^_^)

その他、詳しい内容は 写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫ を、
ご覧ください。

元に戻って高徳院正面門を出て、先ほどの竹林土手の小さなお地蔵さん
の場所を再度歩いてみる。すると、、、?

【Img_0037】
Img_0037こんな義元公の仏式の墓標 とか?
それでは上記小さな公園内の墓石は何だろうか?
これまた、よくワカラン?
こちらも下部の説明を読むと、、、
後編に出てくる別の場所(田楽狭間)と関係ありそうな?





≪これより後編です、、、!≫

◎まぁ~そんなこんなで、、、
信長と義元の銅像を見つける事が出来ないのが腹立たしい、、!?
たしかに何処かに有るはずだッ! 
今度は坂道をもう少し上まで歩いてみよう、、、途中タクシー会社が有って
運ちゃんらしいオッサンが洗車してたので、「カクカクしかじか」、と尋ねて
みたらば?、、、何とッ!

「桶狭間古戦場て~のは、もう一ヶ所 他の場所も有るだでッ!」
、、、
、と、のたもうたッ! ギクッ! そんなバカな?、、と思いつつ、しかし、、、
教えられたとうり坂道をさらに上って行く、、、今度は自転車に乗った
オバサンが来たので尋ねたらば?、、、
「あそこを右に曲がって、左に下って、、、なんたらかんたら?」、と、、、
説明が難しそう?

ポカ~ンとしていた私を見たオバサンが「なら一緒に行くだで~」と!^_^)
私の事を「何処かのボケ爺ィ~だろう?」、と思ったのか、、、?
自分の自転車には乗らず、わざわざ押しながら親切に同行してくれた、、、
結局、最初の小さな公園を出てから20分程も歩いたかな~?

歩きながら親切なオバサンが、名古屋市と豊明市が何たらかんたら、、?
良く解らない事を喋っている。そして間もなく、、、ジャジャーン!
有ったッ! ついに見つけた! 
以前ネットか何かで見ていた信長と義元の銅像、この公園だったのか!

Img_0042 Img_0052Img_0049_2

Img_0054ここは先に行った公園より少し広い、、、
そして信長、義元の銅像の他にも、合戦の
様子を当時の地形や両軍の配置など実体的に
ジオラマで表現して理解を深める様な工夫も
されている。
歴史愛好家には喜ばれるだろう!

下剋上の戦国時代、西暦1560年に起こったこの桶狭間の戦い、、、
全国的にはまだ無名だった織田信長はこの戦に勝利して以降、、、
一気にその名を全国に轟かせた。
以後、300年強、日本は信長、秀吉、家康の三傑に統治される事となる。
上図、信長、義元の銅像に挟まれた石標、まさに「近世の曙」だろう!

ここの現在の場所は桶狭間北三丁目、、、
昔は“田楽坪”、“田楽狭間”、、、と呼ばれていたとか?
以下の写真【Img_0043】をご覧ください。

その他、この公園内の重要な標示板は下記のとおり(各クリツクで拡大)
【Img_0043】、  【Img_0045】 【 Img_0051】、  【Img_0056】
Img_0043 Img_0045 Img_0051 Img_0056

【Img_0063】
Img_0063 

その他、こちらの公園の詳細も写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫ を、
ご覧ください。

◎そして、、、
件のオバサンが喋っていた事は、後日ネットを調べてやっと理解できた。
つまり、、、
Photo_2
左図のとおり、、、
私が最初に行った名鉄中京競馬場駅近くの
公園「史跡桶狭間古戦場」は豊明市に有る
「桶狭間古戦場伝説地」、と呼ぶのが
正しい様で、、?

そこから私が住宅街を20分程も歩いて着いたここ信長と義元の銅像が
有るこの公園は名古屋市緑区 有松に有る「桶狭間古戦場公園」、が
正確な呼称らしい。ややこしいのはちょうど豊明市と名古屋市緑区の
境界付近に位置する事だ。

これも後日、ネットで調べて解った事だけど、、、
この二ヶ所の距離は2kmほどだが、電車で行く場合は最初に行った
古戦場伝説地 の方が便利で、後の古戦場公園 は有松駅から徒歩では
ちょっと遠い。

いずれにせよ、豊明市の古戦場伝説地 の周辺地図に名古屋市緑区の
古戦場公園の記載や紹介が一切ないのは何故か?
逆にここ古戦場公園にも、豊明市の古戦場伝説地 の記載紹介がない。

豊明市は今川方、名古屋市緑区は織田方で互いに張り合っているのか?
両市は犬猿の仲なのか? こんな話は各地で似た様なのが良くあるけど、
「桶狭間はこっちだぎゃぁ!」、とまるで子供のケンカみたゃ~だ!^_^)

そう云えば件のオバサンも笑いながら話してたな~、、、!
地元では観光PR目的で、毎年桶狭間合戦に因むお祭りをとり行うが、
名古屋市と豊明市の両市はそれぞれ別々に行うらしい?
まったく、どっちもどっちで大人げない対応には呆れてしまう!^_^)

地元の人達はそんな事も慣れっこだろうが、今回の私の様なよそ者、
部外者は、なぜ桶狭間が二ヶ所も有るのか? 戸惑うだろうがッ!怒)
 
結局、今川義元が討死した場所は私が先に行った「桶狭間古戦場伝説地」
なのか? それとも後に行った、ここ「桶狭間古戦場公園」なのか?
主戦場跡はどっちだったの?  そもそも450年ほども昔の話なので、
ピンポイントでその場所を特定できる筈もなし! 
  、、、だから分からなければ“この辺り一帯”、とすれば良いものを!

その“この辺り一帯”、って話も、、、
そもそも桶狭間 とはどんな所か? と考えたら、先ず「狭間」か「谷」を
思うので山地を想像するだろう。 しかし実際には現在の名古屋市の
東南部に位置し、平地とゆるやかな丘陵地で形成される土地なのだ。

案内板などに載っている地図には昔の呼び名で○○山などと記述され
ているが、実際には標高100メートル以下の単なる丘、否それより低い
数十メートルの起伏の丘陵地帯だった。

桶狭間の戦いは両軍合わせて2~3万の軍勢が激突した大規模な戦い
だった、と云われている。従って戦いの場はかなり広かったのでは?
もちろん現在の桶狭間一帯は宅地化が進んで当時の面影はまるでなし。

◎そして最後は、、、!
銅像が建ってた「桶狭間古戦場公園」からの帰路は、名鉄の有松駅まで
歩いて帰った、、、有松絞り で有名な古い街並みをブラブラと、、、!
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◎上記ニヶ所の公園の詳しい写真集≪二つの桶狭間,2017.11.17≫、を
  ぜひ併せご覧ください。

◎参考資料

歴史年表【天下統一までの足跡】
桶狭間古戦場(Google Map)
桶狭間 (Wikipedia)
桶狭間の戦い (Wikipedia)
桶狭間の戦いの場所の真実! 
名古屋市緑区vs.豊明市 
豊明市「古戦場伝説地」と名古屋市「古戦場公園」
豊明と緑区の桶狭間古戦場を一緒に観光開発できるの? 
有松・鳴海絞り(Wikipedia)

◎コメントは こちら から、、、!

2017年11月16日 (木)

岡崎城の紅葉は?

先の日曜日、もともと何も予定はなかったし、朝からの素晴らしい好天に
誘われて外出する気になり、フラフラと隣町の岡崎城公園まで行ってみた。

考えてみると岡崎城公園は4月頃の花見には過去何回も行ってるが、
今の秋の時期は行った事がなかったような?

そして結果は、、、? やっぱり桜の方が良かった! 
紅葉はその色付き方がまばらであまりパッとしなかった。
帰宅して遅ればせながらサイトで調べたら、時期が少し早かったようだ?
やはり念のために前もって調べるべきだった!悔)

いつもの様に別途≪写真集≫を造るまでもなし!
下記の写真をクリックしながらご覧ください。

先ずは乙川(おとがわ)に掛かる橋の袂から、、、!Img_0001
下から見上げた岡崎城天守閣もパッとしない、、、Img_0003x
葵松庵(きしょうあん)の傍を抜けて、、、Img_0004
内堀に架かる神橋、、、Img_0017
ここは能楽堂、、、Img_0007
ちょうど名鉄電車が通過中、、、!Img_0014
竹千代通り、、、。Img_0019
同じく、、、Img_0022
内堀、巽閣(たつみかく)辺りの様子、、、。Img_0024
同じく、、、!Img_0025
この角度が一番良かった!Img_0026
そして最後にもう一度、、、乙川からの遠景!Img_0027


◎参考資料
岡崎城
(Wikipedia)
岡崎城公園公式サイト

◎過去の関連ブログ
岡崎城の桜~2015~
写真集≪岡崎城公園の桜,2015.4.2≫
写真集≪岡崎城公園花見≫
写真集≪岡崎城と八丁味噌≫

◎コメントは こちら から、、、!

2017年11月 8日 (水)

「中村家 LIVE2017」

ちょっと遅くなったけど、、、
先週3日(金)の文化の日、ライブを聴きに名古屋 金山のMr.Kenny'sへ、!

この日のライブは 『中村家 LIVE2017』、と銘打って、、、
ベテラン・サックス奏者 中村誠一(ts)と彼の娘さんの紗理(Vocal)、それに
渡辺ショータ(pf)出宮寛之(b)大森ヒロ(dms) のQuartet+1Vocal、、、

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テナーの中村誠一さん、この人のライブは3年前に初めて聴いて今回は
二回目だったが、さすがに日本のジャズサックス界の重鎮であり、その
低音域が魅力的な野太いトーン、これぞサキソフォーン! って感じ。

そして、やっぱりレジェンドの演奏は素晴らしい! 安心して聴いて
いられるし、ジャズはもちろん、この日は比較的ポップス系の演奏も楽しく
聴かせてくれた御年70歳の元気オヤジさんだった!^_^)
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前回、中村誠一さんのことをネットで調べた事があった、、、?
何でもその昔、ピアノの山下洋輔のバンドでフリー・ジャズを演ってた? と、
あったけど、とてもフリー・ジャズを演ってたと人には思えない。
つまり難解なフリー・ジャズからポップス系まで何でも器用に熟す人!?

この夜の演奏も主に古いスタンダードを中心に、娘さんの紗理さんの唄も
含め、リラックスしたBGM的な肩のこらないジャズを聴かせてくれた。
しかし、だからと云って中村誠一さんのサックスは決してコマーシャル的な
軽いものではない!

先ず、先に書いた様にサックスらしい野太いトーンがとても素晴らしく、、、
そして、その歌心に溢れたアドリブに惚れ惚れしてしまう本物のジャズ!
そして、ゆったりしたスロー・ナンバーの時には、テナーをバスクラリネットに
持ち替えて、とても色っぽくて艶がある演奏を披露してくれた。

娘さんの紗理(Vocal)、、この女性は実はセロニアス・モンク・ジャズ協会が
サポートするヴォーカル・コンペティション〈Osaka Asian Dreams Jazz
Competition 2013〉で優勝するなど、若いのに才能に溢れている人、、、
さすが親子だ! この日も3年前と同じく親子共演だった、、、

Image_1円熟の中村誠一さんのテナーと、娘さんの唄が
完璧なコンビネーション!
そしてPiano、Bass、Drums、との息の合った
演奏にすっかり聴き惚れてしまった。
この三人は地元でお馴染みの若いメンバーだった
けど、各人の演奏がリーダー中村誠一さん親娘を
引立てていた様子が好ましかった。

◎出演者のWeb site
中村
誠一(ts)
中村沙理(Vocal) 
渡辺ショータ(pf)
出宮寛之(b)
大森ヒロ(dms)

◎過去の関連記事
中村誠一Quartet & Vocal:紗理

◎関連拙ブログ、本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ“音を楽しむ徒然語り” その1~7(最終回)のシリーズ、
(2)HP
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2) も併せご覧下さい。

コメントは こちら から、、、!

2017年11月 6日 (月)

秋になったな~!

台風が続けて来襲したかと思えば、それもどうやら落ちつき一気に寒く
なってきた。そして今年もまた秋の到来、我がマンション内庭にも既に、、、
秋の気配が! (以下、古いスマホで撮った写真。画質が悪いけど!)
20171103


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この紅葉も、やがて 枯葉 となって散っていく、、、!

枯葉と云えば、、、シャンソンの名曲“枯葉”(Autumn Leaves) だけど、、、
ここはやっぱりジャズ! 
只今、下記のディスクを聴きながらこのブログを書いている、、、

秋の夜長、こんなジャズを聴きながら過ごすのも良いね~!

◎過去の紅葉関連ブログ記事
2015年11月11日ブログ紅葉/枯葉もろもろ(マンション内庭)写真集
Img_0019
2015年11月 3日ブログ郡上八幡城/せせらぎ街道の紅葉写真集
Img_0031
2014年11月20日ブログ奥びわ湖の紅葉写真集
Img_0021
2014年11月14日ブログ我がマンション内庭の紅葉写真集
Img_0013
2014年11月12日ブログ期待外れだった紅葉(御在所岳)写真集
Img_0011
2013年11月25日ブログ寂光院の紅葉/モンキーパーク写真集
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2012年11月21日ブログ香嵐渓 -2012年-写真集
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2012年11月11日ブログマンション内公園の紅葉
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2009年11月26日ブログ下呂温泉-紅葉と合掌村-写真集大写真集
 (以下、大写真集とは原本1600X1200ピクセルの圧縮なし画像です。)
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2008年11月30日ブログ夜の香嵐渓大写真集
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2007年11月21日ブログ香嵐渓写真集大写真集
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◎ジャズ関連、
本文記事左側INDEX欄、 ※“趣味の音楽関連”から、
(1)ブログ“音を楽しむ徒然語り” その17(最終回) のシリーズと、
(2)HP
“Modern Jazz LP Collection” (Part 1, 2) も併せご覧下さい。

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